エドワード・コルボーン・ベイバー

エドワード・コルボーン・ベイバー(Edward Colborne Baber、1843年4月30日 - 1890年6月16日)は、イングランド東洋学者、旅行家。

生涯 編集

ダリッチ英語版に生まれたベイバーは、ロッサル・スクール英語版クライスツ・ホスピタル英語版を経て、ケンブリッジ大学モードリン・カレッジに学び、1867年に卒業した[1]

中国語を習得したベイバーは、大学を卒業した年に北京のイギリス大使館で働きはじめ、たちまち昇進を重ねた。北京に駐在していた期間に、ベイバーは中国内陸部へ3回の旅行を行なった。1876年にはビルマとの国境に至り、次いで翌1877年には四川省の高原に赴き、さらに1878年には重慶から北方へ山岳地帯を進んだ。彼の旅行と発見の記録は、書籍にまとめられ、1883年には王立地理学会から金メダル(パトロンズ・メダル)を贈られた[2][3]

1885年から1886年にかけて、ベイバーは朝鮮の総領事代理を務めた。その後、英領ビルマ(現・ミャンマー)のイラワジ川(エーヤワディー川)上流部のバモー駐在の政治代表に任じられたが、1890年6月16日に、任地で、未婚のまま死去した[2]

脚注 編集

  1. ^ "Baber, Edward Colborne (BBR862EC)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  2. ^ a b Seccombe 1901.
  3. ^ Medals and Awards, Gold Medal Recipients” (PDF). Royal Geographical Society. 2016年12月10日閲覧。

  この記事にはパブリックドメインである次の文書本文が含まれている: Seccombe, Thomas (1901). "Baber, Edward Colborne". In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (1st supplement) (英語). London: Smith, Elder & Co.

参考文献 編集

外部リンク 編集