重慶市(じゅうけいし、チョンチンし、簡体字: 重庆市拼音: Chóngqìng英語: Chongqing)は、中華人民共和国直轄市長江の上流地域経済の中心であり、西南圏総合交通拠点である。

中華人民共和国 重慶市
上から時計回り:渝中区のスカイライン、重慶軌道交通2号線、豊都県で建設中の大橋、重慶美術館、洪崖洞
上から時計回り:渝中区のスカイライン重慶軌道交通2号線豊都県で建設中の大橋重慶美術館洪崖洞
上から時計回り:渝中区のスカイライン重慶軌道交通2号線豊都県で建設中の大橋重慶美術館洪崖洞
略称:
別称:山城、霧都
旧称:巴郡、江州、楚州、渝州、恭州
中華人民共和国中の重慶市の位置
中華人民共和国中の重慶市の位置
中華人民共和国中の重慶市の位置
中心座標 北緯29度33分00秒 東経106度30分00秒 / 北緯29.55000度 東経106.50000度 / 29.55000; 106.50000
簡体字 重庆
繁体字 重慶
拼音 Chóngqìng
カタカナ転写 チョンチン
国家 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
行政級別 直轄市
政府所在地 渝中区
設立 1997年
市委書記 袁家軍
市長 胡衡華
面積
総面積 82,400 km²
海抜 237 m
人口
総人口(2020年[1]) 3205.4 万人
経済
GDP(2019) 23605.77 億元
電話番号 023
郵便番号 400000 - 409912
ナンバープレート 渝 A, B, C, D, F, G, H
行政区画代碼 500000
市樹 黄桷樹
市花 ツバキ
2017年のHDIは 0.759。
公式ウェブサイト http://www.cq.gov.cn/
重慶市
繁体字 重慶
簡体字 重庆
郵政式Chungking
文字通りの意味Chongqing
発音記号
標準中国語
漢語拼音Chóngqìng
ウェード式Ch'ung-ch'ing
IPA[tʂʰʊ̌ŋtɕʰîŋ] ( 音声ファイル)
その他官話
四川拼音Cong2-qin4 ([tsʰoŋ˨˩tɕʰin˨˩˦])
呉語
ローマ字zonchin
客家語
客家語拼音Tshùng-khin
粤語
イェール粤拼Chùhng-hing
粤拼cung4hing3
閩南語
閩南語白話字Tiōng-khèng
台湾語ローマ字Tiông-khìng

人口は約3,213万人で、単独の市域では世界最多の人口である。2017年都市圏人口は1962.66万人のメガシティである[2]

略称はで、重慶市内にある嘉陵江の古称「渝水」を由来とする。2019年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス人材文化政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第105位の都市と評価されている[3]

地理 編集

重慶市は長江上流の四川盆地東部に位置し、東は湖南省湖北省、西は四川省、南は貴州省、北は陝西省と接する。東西470km、南北450kmにわたる広大な面積を持ち、総面積は8.24万㎢である。市の中心部では北から嘉陵江が合流し、涪陵烏江が合流する。

現在中華人民共和国に4つある直轄市の中で最大の面積であり(最小の自治区である寧夏回族自治区(6.6万㎢)や最小のである海南省(陸地面積3.51万㎢)よりも広い)、全域の人口では上海市北京市天津市の他の3直轄市や香港特別行政区などを上回る。中国の物流の大動脈である長江沿岸に栄えた重慶は古くから水運が発達していたが、三峡ダムの完成後は、1万トン級の船舶も直接重慶まで航行が可能になり、併せて整備される保税区との相乗効果で重慶港は内陸の国際コンテナターミナルとして大きな発展が見込まれている。

市内にはガス田などの豊富なエネルギー資源があり、内陸部内での輸送コストにおいて有利な点から工業都市として発展している。2014年にはシェールガスの開発・生産もみられた[4]

気候 編集

盆地であるが故に夏は酷暑となり7月の平均気温は28.3度に達し、湿度も高く非常に蒸し暑く不快指数は非常に高く、日中は猛暑日となり、最低気温が30度を下回らないことも珍しくない。いずれも長江流域の武漢南京と並んで「三大火炉」と呼ばれている。冬季の1月の平均気温は7.9度、平均最低気温は6.2度と内陸盆地に所在するにもかかわらず、かなり温暖である。これは秦嶺山脈が北からの寒気を遮ることと、日照時間が少なく常に曇っているため、放射冷却が少ないからである。年中曇りや雨の日が多く、中国で最も日照時間が少ない都市のひとつである。 ケッペンの気候区分では、温暖湿潤気候(Cfa)と温帯夏雨気候(Cwa)の境界にあたる。


重慶市(1981〜2010年平均、極値1951〜2013年) の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 18.8
(65.8)
24.5
(76.1)
34.0
(93.2)
36.4
(97.5)
38.9
(102)
39.8
(103.6)
40.9
(105.6)
43.0
(109.4)
41.9
(107.4)
35.1
(95.2)
29.2
(84.6)
21.5
(70.7)
43.0
(109.4)
平均最高気温 °C°F 10.3
(50.5)
12.9
(55.2)
17.7
(63.9)
23.0
(73.4)
27.2
(81)
29.4
(84.9)
33.0
(91.4)
33.2
(91.8)
28.3
(82.9)
21.7
(71.1)
17.1
(62.8)
11.5
(52.7)
22.1
(71.8)
日平均気温 °C°F 7.9
(46.2)
10.0
(50)
13.8
(56.8)
18.5
(65.3)
22.6
(72.7)
25.1
(77.2)
28.3
(82.9)
28.3
(82.9)
24.1
(75.4)
18.6
(65.5)
14.2
(57.6)
9.3
(48.7)
18.4
(65.1)
平均最低気温 °C°F 6.2
(43.2)
8.0
(46.4)
11.2
(52.2)
15.4
(59.7)
19.3
(66.7)
22.1
(71.8)
24.8
(76.6)
24.7
(76.5)
21.2
(70.2)
16.5
(61.7)
12.2
(54)
7.7
(45.9)
15.8
(60.4)
最低気温記録 °C°F −1.8
(28.8)
−0.8
(30.6)
1.2
(34.2)
2.8
(37)
10.8
(51.4)
15.5
(59.9)
19.2
(66.6)
17.8
(64)
14.3
(57.7)
6.9
(44.4)
0.7
(33.3)
−1.7
(28.9)
−1.8
(28.8)
降水量 mm (inch) 19.7
(0.776)
23.4
(0.921)
43.0
(1.693)
96.5
(3.799)
146.7
(5.776)
193.8
(7.63)
186.0
(7.323)
135.1
(5.319)
105.6
(4.157)
85.7
(3.374)
48.2
(1.898)
24.3
(0.957)
1,108
(43.622)
平均降水日数 10.0 9.8 11.9 14.3 15.5 15.7 12.5 11.3 12.7 16.1 11.5 9.8 151.1
湿度 84 80 77 77 77 81 76 74 79 85 84 85 79.9
平均月間日照時間 20.6 29.7 64.9 93.6 109.4 97.7 158.6 167.0 106.6 50.4 35.9 20.4 954.8
出典:中国气象局 国家气象信息中心 2014-01-01

歴史 編集

古代 編集

戦国時代、諸侯の国の巴国は現在の重慶地区の江北区・墊江において都を定めている。張儀が蜀に入って巴国が消えた後に、江州に兵隊を駐屯させて江州城を築いた。秦・漢の江州城の所在地は現在の江北区、三国時代以降の江州城の所在地は現在の渝中区長江・嘉陵江の合流地の「朝天門」の近くにある。重慶は、史書の記載に遡ると、2020年まで2336年間の歴史を有する。秦が全国を36郡に分け、重慶はその一つとして「巴郡」となった。漢代の巴郡は江州を語って、益州の州長官部に所属した。魏晋南北朝時代、巴郡は荊州、益州、巴州、楚州に属している。

南宋の景定2年(1261年)に、蒙古軍は成都を攻め落とし、宋軍は重慶に後退して守勢をとった。彭大雅は重慶府知府を担当。都市防衛の為、彭大雅は全力を尽くして重慶城を北へ嘉陵江まで、西へ現在の臨江門を拡張した。拡張後の範囲は大体三国時代の李厳が拡張する江州城に比べて2倍拡大して、明・清時代の重慶の基礎を打ち立てた。

清王朝時代 編集

1876年9月13日、イギリスは「マーガリー事件」を口実にし、清政府と中英「芝罘条約」(煙台条約)を締結した。それをきっかけで、イギリスが重慶に領事を駐在させることができるようになった。1890年3月31日、中英は「新訂芝罘条約が継続してもっぱら条を増加する」を締結して、貿易港として重慶を確定した。1891年3月1日、重慶税関が朝天門の近くで設立した。

1895年、清帝国は日清戦争の中で日本に打ち負かされて、当時4月の締結する「下関条約」の中規定によって、重慶は日本に内陸の貿易港として開放された。同時に、イギリスとフランスがそれぞれ重慶で領事館区を創立した。

中華民国時代 編集

 
韓国臨時政府遺跡地
 
重慶大爆撃の遺跡

1929年(民国18年)、重慶は巴県から切り離され、国民政府の2級の乙等の省管轄の都市四川省に所属するようになった。

1936年、管理する1等国家直轄市となり、貴州省の遵義地区など統轄した。

1939年(民国28年)5月5日、南京国民政府は、重慶を甲等の国家直轄市に昇格させ、管轄区域の範囲は大体今重慶の主な市街区域である。日中戦争首都であった南京が陥落すると、1938年蔣介石中国国民党は首都機能を重慶に移転させ、重慶の北碚市(現在の北碚区)において中華民国の中央行政院と臨時政府が設置された。1937年から1944年の間、重慶は中華民国の首都として、数万の企業、学校があって、8万トン近くの黄金はすべて重慶まで引っ越し、戦時中の中国の政治、経済、文化センターとなり、第二次世界大戦同盟国の極東指揮センターとされた。日中戦争の中で、川軍57師のうち、重慶籍の兵士は半分の以上であり、対日作戦の絶対的な主力の川軍の絶対的な主力とされた。

また、金九などを中心とした大韓民国臨時政府も、国民政府とともに重慶へ避難した。日本軍は、蔣介石の国民政府及び大韓民国臨時政府を殲滅するため、重慶に戦略爆撃、後に無差別爆撃を行った(重慶爆撃)。その中、1941年6月5日の日本軍の爆撃による「トンネル大惨事」で7764人の市民が窒息して死亡した。蔣介石政府は国民政府と重慶市民は対日作戦を徹底する決意を示すため渝中区鄒容路と五四の交差点「精神の堡塁」を設立した。渝中区人民公園には重慶市の消防人員の殉職紀念碑があり、臨江門都市広場の近くも大きな爆撃記念碑がある。

日中戦争終結後の1945年8月、内戦を避けるため、国民政府(中国国民党)は中国共産党と重慶において43日間にわたる重慶会談を行った。

中華人民共和国時代 編集

1949年11月30日、中国人民解放軍は重慶に入り、その後、重慶市は中華人民共和国の直轄市となった。1954年7月、重慶市は直轄市から地方都市と変更され、再び四川省に併入された。

1997年3月14日、第8期の全国人民代表大会の第5回の会議で、もと四川省重慶市・万県市・涪陵市・黔江地区を合併し重慶直轄市を設立する議案が可決され、6月18日に設立された。

経済 編集

 
解放碑中央ビジネス地区

重慶市の2022年の市内総生産は21929.03億元(約3067億ドル)であり、広州を超えて中国の第4位になってきた。


重慶は1895年に締結された日清講和条約の条文にある「清国は、荊州府沙市・重慶府・蘇州府杭州府を日本に開放する」により対外開放され、長江を使って宜昌を経由して東部へ、また中部の各所への輸送が強化され、外資、民族資本が投入され近代工業が興った。

日中戦争中に南京市武漢市などから主要工場を疎開させたため産業が集積した。

中華人民共和国成立後、内陸部工業化の重点都市となり、中ソ対立の時期には上海市東北部から工場が四川省などへ移転し重慶にも多額の国家投資が1976年まで投入された。重慶は機械工業、総合化学工業、医薬品、電子機器、電力設備、食品加工、建築資材、ガラス工業、冶金などの各工業が組み合わさった一大基地となり、一時は「工業は重慶に学べ」のスローガンすら出た。

一時中国6大工業基地の一翼となるが、内陸部から資本の撤退により衰退をしていった。1980年代の改革開放後、上海など沿海部の都市が目覚しく発展したのに対し、重慶は発展から取り残され、以前とは逆に経済的に立ち遅れた地域になっていた。

1997年内陸部振興のため重慶直轄市が新設され、中国人民銀行重慶営業管理部が設置されるなど、再生の努力がなされている。現在の主力産業は自動車産業(自動車、オートバイ)であり、また中国内最大の軍事設備生産の拠点でもある。

改革開放政策による急激な需要の増大に対し、老齢化した設備により一時期大気汚染がひどく、多数の公害病患者が出たことでも知られたが、近年は設備の近代化や環境対策により以前ほど深刻ではなくなってきている。

行政区画 編集

重慶市は中央直轄市として26市轄区・8県・4自治県を管轄する。

重慶市の地図

年表 編集

軍事 編集

西部戦区(旧成都軍区)に属する快速反応部隊である第13集団軍司令部が市内に駐屯し、空軍の第33航空師団(戦闘機師団)が大足基地に所在する。

教育 編集

重慶市にある985工程の大学は重慶大学しかない。211工程に所属しているのは重慶大学と西南大学の二校である。

交通 編集

空港 編集

 
重慶江北国際空港

重慶市内には、重慶江北国際空港(渝北区)、万州五橋空港(万州区)、黔江武陵山空港中国語版(黔江区) 、重慶巫山空港中国語版(巫山県)の四つの空港がある。重慶江北国際空港が市内最大級の空港である。

鉄道 編集

 
重慶北駅
 
重慶西駅

市中心部の4つの鉄道ターミナル(重慶駅、重慶北駅、重慶西駅、沙坪垻駅)が重慶と中国各地とを結ぶ。この他にも市内には複数の鉄道駅が存在する。

道路 編集

 
市内中心部に架かる菜園垻長江大橋
下部を重慶軌道交通が通る鉄道道路併用橋である

市内中心部から高速道路が放射状に伸び、環状の高速道路が三重に形成されている。また国道はG210国道、G212国道、G319国道の3本が市内中心部を通る。市内を流れる長江、嘉陵江には複数の橋が架けられ、道路交通の一端を担っている。

水運 編集

  • 朝天門埠頭から市内の長江沿い各県行き、及び武漢上海行きの定期船や長江下りの客船が発着する。
  • 市内を流れる長江に建設されたコンテナターミナルは中国内陸部最大規模を誇る。

市内公共交通 編集

重慶の市内軌道交通は重慶軌道交通(Chongqing Rail Transit、CRT)によって運営されており、路線網は地下鉄145610号線、環状線)とモノレール23号線)によって構成される。駅数は190、路線長は329kmであり、中国で6位、中国西部で1位の長さを誇る。
初の路線はモノレールである2号線であり、2004年11月6日に正式開業前の観光運転を開始した。この路線は中国初のモノレール路線であるとともに、中国西部初の地下鉄道であった。
  • 1号線(重慶メトロ):2011年7月28日開通。現在小什字駅〜尖頂坡駅間が営業中。
  • 2号線(重慶モノレール):2005年6月18日開通。現在較場口駅〜魚洞駅間が営業中。
  • 3号線(重慶モノレール):2011年9月29日開通。現在魚洞駅〜江北空港駅、挙人垻駅間が営業中。
  • 4号線(重慶メトロ):2018年12月28日開通。現在重慶北駅北広場駅~唐家沱駅間が営業中。
  • 5号線(重慶メトロ):2017年12月28日開通。現在園博中心駅~大石垻駅間が営業中。
  • 6号線(重慶メトロ):2012年9月28日開通。現在茶園駅〜北碚駅、悦来駅間が営業中。
  • 10号線(重慶メトロ):2017年12月28日開通。現在鯉魚池駅~王家荘駅間が営業中。
  • 環状線(重慶メトロ):2018年12月28日開通。現在重慶図書館駅~海峡路駅間が営業中。
  • 路線バス
  • エスカレーター・エレベーター
坂を歩いて登り下りしないで済むように有料エスカレーターやエレベーターがある。
  • 皇冠エスカレーター(両路口〜重慶駅)
  • 凱旋路エレベーター(凱旋路〜較場口)
  • 高空公共ロープウェイ
重慶独特の都市交通手段として、大江を渡るロープウェイ(索道)が使われている。現在のところ重慶には一本のロープウェイが営業中。嘉陵江を渡るロープウェイもあったが、2011年2月28日に廃止された。
  • 重慶索道1號線(長江ロープウェイ)長安寺〜上新街

日本との関係 編集

日本外務省は重慶市に在重慶日本国総領事館をおいている。

重慶モノレール第一期工事では43億元の総投資額のうちODAによる円借款(10年据え置き、40年償還、年利0.7%)271億円(約20億元)、23億元の支援を実施。大学の廃棄物処理研修や老齢化していた天然ガス、火力発電所などに最新排煙脱硫装置を設置するなどを実施した。また、中国沿岸部に対して、内陸、西部の発展の中心的役割を担っている同市に対して、学校設備整備、乳児死亡率減少を目指して医療設備などの支援を実施した。

長江と嘉陵江に挟まれているという立地条件から市内と郊外を結ぶ交通は自ずと橋に集中することになるが、この橋の料金所がボトルネックとなり渋滞が頻発していた。1999年に市内に架かる重慶長江第一大橋、嘉陵江大橋、石門大橋の有料三橋の料金収受システムの国際競争入札において豊田通商及びデンソーが受注し、日本式のETC(自動料金収受システム)が設置されている。

内陸のため地の利が悪い(日本との物流的に不利)こともあり、日本人の常駐者は重慶市の総人口に比してかなり少ない。スズキ自動車の現地合弁企業である重慶長安鈴木汽車をはじめとした自動車関連企業や環境関連企業などが進出していたが、小型車の販売不振によりスズキが中国からの撤退を決定。2018年に合弁が解消されている[9]

スポーツ 編集

名産 編集

主要名勝 編集

 
重慶のスカイライン
 
洪崖洞

友好都市 編集

舞台とした作品 編集

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ Communiqué of the Seventh National Population Census (No. 3) -Population by Region”. 中国統計局 (2021年5月11日). 2023年8月22日閲覧。
  2. ^ http://www.chamiji.com/201711061693.html
  3. ^ Global Cities 2019AT Kearney 2020年2月24日閲覧。
  4. ^ http://j.people.com.cn/n/2014/0520/c95952-8729893.html
  5. ^ 县级以上行政区划变更情况 - 中華人民共和国民政部
  6. ^ 重庆市 - 区划地名网
  7. ^ “第二篇 历史地理/第一章 建置沿革”. 重庆市志 第一卷. 四川大学出版社. (1992-12). ISBN 7-5614-0716-5. http://109.244.99.129:8083/dfz/static/plugin/pdf/web/book_view.html?timestamp=1626799612929&bookId=aefaa4debcf5433a9bf88df160e301bb&bookName=重庆市志(第一卷) 
  8. ^ “一、四川省各时期行政区划表”. 四川省志•政务志(上册). 方志出版社. (2000-02). ISBN 7-80122-546-5. http://202.61.89.158:81/importBook/portal/content/info?id=276805aae1ff48f3a2c13604a2729671 
  9. ^ わずか3カ月で中国事業を店じまいしたスズキの勝負勘”. 日本工業新聞 (2018年12月19日). 2019年1月4日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集

公式

日本政府

ブログ

掲示板

座標: 北緯29度33分00秒 東経106度30分00秒 / 北緯29.55000度 東経106.50000度 / 29.55000; 106.50000 (重慶市)