オーブリー2世 (マコン伯)
オーブリー2世 Aubry II de Mâcon | |
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マコン伯 ブザンソン伯 | |
在位 |
マコン伯 943年 - 961年 ブザンソン伯 965年 - 982年 |
全名 | オーブリー2世・ド・マコン |
出生 |
935年 |
死去 |
982年9月10日 |
配偶者 | 名前不明の妻 |
エルマントルド・ド・ルシー | |
子女 |
ベアトリス リエトー オーブリー 名前不明の娘 |
家名 | マコン伯家 |
父親 | マコン伯リエタール2世 |
母親 | エルマンガルド・ド・シャロン |
宗教 | キリスト教カトリック教会 |
オーブリー2世(フランス語:Aubry II de Mâcon、935年- 982年)またはアルベリク2世・ド・マコン(フランス語:Albéric II de Mâcon) は、のマコン伯(在位:966年 - 982年)及びブザンソン伯(在位:965年 - 982年)であった人物。
生涯編集
マコン伯リエタール2世とその妻エルマンガルド・ド・シャロン(ブルゴーニュ公ジルベール・ド・シャロンの妹)の息子として生まれる。
957年にマコン伯領を父と共同統治するようになり、966年に父の後を継いでマコン伯となった。
971年、オーブリー2世はクリュニー修道院とトゥールニュ修道院に重要な寄付を行った。
ルシー伯ルノーとアルベラート・ド・ロタリンジーの娘でロートリンゲン公ギゼルベルトの外孫にあたるエルマントルド・ド・ルシーがオーブリーの唯一名が伝わっている妻であるが、彼女と結婚する前に前妻または愛妾がいた[1]。
オーブリーは生涯で以下の子女をもうけている。
母不明の子
エルマントルドの子
- リエトー - ブザンソン大司教
- オーブリー - ブザンソンのサン・ポール修道院長
- 名前不明の娘 - おそらく、アキテーヌ公ギヨーム4世と妃エマ・ド・ブロワの次男エブル・ド・ポワティエと結婚し、ルシー伯エブル1世(フランス語版)をもうけた可能性がある[2]
982年以前にオーブリー2世は嫡男に恵まれずに死去した。寡婦となったエルマントルドはマコン伯領の統治権を相続し、彼女と再婚したブルゴーニュ伯オット=ギヨームが次代マコン伯となった。
脚注と参考文献編集
- ^ Christian Settipani (1994). Les origines maternelles du comte Otte-Guillaume (Annales de Bourgogne, 66 ed.). p. 5-63.
- ^ Jean-Nöel Mathieu (2000) (Français). La Succession au comté de Roucy aux environs de l'an mil. Unit for Prosopographical Research (Linacre College ed.). Oxford. p. 75-84. ISBN 1-900934-01-9.
関連記事編集
外部リンク編集
- “マコン伯” (フランス語). gilles.maillet.free.fr. 2016年1月29日閲覧。
- “ブルゴーニュ公国の貴族” (フランス語). fmg.ac. 29/01/2016閲覧。
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