オープン・ザ・ブレイブゲート王座
オープン・ザ・ブレイブゲート王座は、DRAGONGATEが管理、認定している王座。
オープン・ザ・ブレイブゲート王座 | |||||||||||||||
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詳細 | |||||||||||||||
現王者 | ドラゴン・ダイヤ | ||||||||||||||
獲得日 | 2024年7月21日 | ||||||||||||||
管理団体 | DRAGONGATE | ||||||||||||||
創立 | 2005年3月13日 | ||||||||||||||
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歴史
編集2005年3月、K-ness.とYOSSINOの発案で創設。3月13日、DRAGONGATE名古屋国際会議場大会で行われた初代王座決定トーナメントに優勝した土井成樹が初代王者になった。体重制限は82kg。
ベルト中央に「龍」のエムブレムがあり、エムブレムは8つにばらせるようになっており、8人による王座決定トーナメントでは8つのエムブレムの配られて勝者が回収していく。
2008年4月27日、第9代王座決定戦に優勝したGammaが「DRAGONGATEで一番勇気のない俺がこのベルトを持っても価値がない」と言い、「龍」のエムブレムを外して独自のエムブレムを付けたオープン・ザ・ガンマゲート王座と名付けられて勝手に王者になっていた。Gammaがコミッショナーに就任。6月29日、Dr.マッスルがGammaを破って「龍」のエムブレムに戻された。独自のエムブレムは超神龍にプレゼントされた。挑戦者はGammaが一方的に決めて何かと言いがかりをつけたり、後付したルールで防衛することがある。立会人の堀口元気が試合に介入することがある。
2011年6月12日、第20代王者のPACがイギリスに帰国することを理由にBlood WARRIORSの谷嵜なおきがPACから王座を強奪してBlood WARRIORS認定オープン・ザ・ブレイブゲート王座と名付けられて勝手に王者になっていた。メタル・ウォリアーがコミッショナーに就任。7月24日、リッチ・スワンが谷嵜に挑むも敗北。8月25日、Gammaが谷嵜に挑むも事前に谷嵜から突き付けられた「王者(谷嵜)のみ2カウントで勝ちになる特別ルール」の影響で敗北。9月16日、本当の王者であるPACが「王者(谷嵜)のみ2カウントで勝ちになる特別ルール」で谷嵜を破って王座を自分の手に戻した。
歴代王者
編集歴代 | チャンピオン | 戴冠回数 | 防衛回数 | 日付 | 場所 |
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初代 | 土井成樹 | 1 | 5 | 2005年3月13日 | 名古屋国際会議場 |
第2代 | ドラゴン・キッド | 1 | 1 | 2005年11月13日 | 名古屋国際会議場 |
第3代 | 吉野正人 | 1 | 4 | 2006年3月19日 | 本川越ペペホール |
第4代 | マット・サイダル | 1 | 2 | 2007年2月12日 | SITE-KOBE |
第5代 | 堀口元気 | 1 | 2 | 2007年3月25日 | 津市体育館 |
第6代 | 神田裕之 | 1 | 2 | 2007年7月1日 | 神戸ワールド記念ホール |
第7代 | 吉野正人 | 2 | 6 | 2007年9月22日 | 大田区体育館 |
第8代 | アンソニー・W・森 | 1 | 0 | 2008年4月13日 | 名古屋テレピアホール |
第9代 | Gamma | 1 | 0 | 2008年4月27日 | 博多スターレーン |
第10代 | Dr.マッスル[1] | 3 | 0 | 2008年6月29日 | 大阪府立体育会館・第2競技場 |
第11代 | 堀口元気 | 2 | 2 | 2008年7月27日 | 神戸ワールド記念ホール |
第12代 | 吉野正人 | 4 | 2 | 2008年10月12日 | 名古屋テレピアホール |
第13代 | CIMA | 1 | 3 | 2009年3月22日 | 両国国技館 |
第14代 | 土井成樹 | 2 | 0 | 2009年7月19日 | 神戸ワールド記念ホール |
第15代 | 谷嵜なおき | 1 | 6 | 2009年8月30日 | 博多スターレーン |
第16代 | K-ness. | 1 | 1 | 2010年1月11日 | 名古屋テレピアホール |
第17代 | スペル・シーサー | 1 | 1 | 2010年2月27日 | KBSホール |
第18代 | タイガースマスク | 1 | 4 | 2010年4月18日 | アプラ高石 |
第19代 | 吉野正人 | 5 | 0 | 2010年8月14日 | 神戸サンボーホール |
第20代 | PAC | 1 | 11 | 2010年8月29日 | 博多スターレーン |
第21代 | リコシェ | 1 | 3 | 2011年11月19日 | 大阪府立体育会館・第2競技場 |
第22代 | ドラゴン・キッド | 2 | 9 | 2012年5月6日 | 愛知県体育館 |
第23代 | 吉野正人 | 6 | 4 | 2013年5月5日 | 愛知県体育館 |
第24代 | 堀口元気H.A.Gee.Mee!! | 3 | 4 | 2013年9月29日 | 神戸サンボーホール |
第25代 | フラミータ | 1 | 8 | 2014年3月16日 | 和歌山県立体育館 |
第26代 | Dr.マッスル[2] | 1 | 1 | 2015年1月12日 | 神戸サンボーホール |
第27代 | 戸澤陽 | 1 | 6 | 2015年2月28日 | 大阪府立体育会館・第2競技場 |
第28代 | Kotoka | 1 | 1 | 2015年11月1日 | 大阪府立体育会館 |
第29代 | ヨースケ♡サンタマリア | 1 | 2 | 2016年3月5日 | 大阪府立体育会館・第2競技場 |
第30代 | Eita | 1 | 4 | 2016年7月24日 | 神戸ワールド記念ホール |
第31代 | ジミー・カゲトラ | 1 | 5 | 2017年3月20日 | 和歌山県立体育館 |
第32代 | 神田裕之 | 2 | 0 | 2017年12月23日 | 福岡国際センター |
第33代 | パンチ富永 | 1 | 0 | 2018年3月3日 | 大阪府立体育会館・第2競技場 |
第34代 | ドラゴン・キッド | 3 | 1 | 2018年4月6日 | 後楽園ホール |
第35代 | Eita | 2 | 1 | 2018年7月22日 | 神戸ワールド記念ホール |
第36代 | ドラゴン・キッド | 4 | 2 | 2018年9月24日 | 大田区総合体育館 |
第37代 | 横須賀ススム | 1 | 4 | 2019年3月21日 | 和歌山県立体育館 |
第38代 | 石田凱士 | 1 | 4 | 2019年11月4日 | 大阪府立体育会館 |
第39代 | 奥田啓介 | 1 | 5 | 2020年11月3日 | 大阪府立体育会館 |
第40代 | 堀口元気 | 4 | 0 | 2021年7月31日 | 神戸ワールド記念ホール |
第41代 | Kagetora | 2 | 0 | 2021年8月1日 | 神戸ワールド記念ホール |
第42代 | SB KENTo | 1 | 0 | 2021年8月8日 | 名古屋国際会議場 |
第43代 | SB KENTo | 2 | 4 | 2021年9月11日 | 大阪府立体育会館・第2競技場 |
第44代 | ドラゴン・ダイヤ | 1 | 3 | 2022年1月12日 | 後楽園ホール |
第45代 | H・Y・O | 1 | 4 | 2022年7月30日 | 神戸ワールド記念ホール |
第46代 | ミノリータ | 1 | 0 | 2022年12月25日 | 福岡国際センター |
第47代 | ジェイソン・リー | 1 | 2 | 2023年3月4日 | 大阪府立体育会館・第2競技場 |
第48代 | ISHIN | 1 | 1 | 2023年7月2日 | 神戸ワールド記念ホール |
第49代 | Kzy | 2 | 0 | 2023年10月9日 | 仙台サンフェスタ |
第50代 | ISHIN | 2 | 1 | 2023年10月14日 | 神戸芸術センター |
第51代 | 豹 | 2 | 7 | 2023年12月5日 | 後楽園ホール |
第52代 | ドラゴン・ダイヤ | 2 | 3 | 2024年7月21日 | 神戸ワールド記念ホール |
主な記録
編集- 最多戴冠回数:6回 - 吉野正人(第3・7・10・12・19・23代)[3]
- 最多連続防衛回数:11回 - PAC(第20代)
- 最多通算防衛回数:16回 - 吉野正人
- 最長連続保持期間:447日 - PAC(第20代)
- 最年長戴冠記録:42歳10か月 - 堀口元気(第40代)
- 最年少戴冠記録:19歳3か月 - フラミータ(第25代)
- デビュー最短戴冠記録:1年2か月 - ミノリータ(第46代)
- オープン・ザ・ドリームゲート王座との同時戴冠:土井成樹(第14代)
主な出来事
編集- 挑戦資格は体重82kg以下であるが2009年2月12日の第12代王者の吉野正人の2度目の防衛戦の相手のKAGETORAは85kgで規定体重をオーバーしていた。この防衛戦は先月25日に行われた「BATTLE OF TOKYO 2009」優勝者と行うことになっていた。しかし、吉野が全参加選手の体重を確認しておらず、KAGETORAの言い分を呑む形となった。そのためこの試合のみ体重制限が撤廃された。これまで規定体重をオーバーしてブレイブゲートに挑戦した選手はいなかった(挑戦が決まった段階で82kg以上あった選手もいたが体重を落として82kg以下にして挑戦した)。
- 2018年にEitaがベルトを破壊したため、2019年に修理が行われた。この際、当時の王者であったドラゴン・キッドの「ブレイブゲートをそれぞれの王者の色に染めてほしい」という発案によりベルトの色が黒から白に変更された。
その他
編集2010年2月27日、タイガースマスク(大阪プロレス)が獲得して初めて他団体に流出した。他にフリー、他団体の選手で獲得したのは奥田啓介(フリー)。