カザン大学(カザンだいがく、: Казанский государственный университет: Kazan State University)はロシア沿ヴォルガ連邦管区タタールスタン共和国の首都カザンにある大学で、2010年に連邦大学となり、カザン連邦大学ロシア語: Казанский федеральный университет)が正式名称となった。

カザン(沿ヴォルガ)連邦大学
Kazan (Volga region) Federal University
Казанский (Приволжский) федеральный университет
Kazan state university.jpg
カザン連邦大学本館とレーニン
種別 国立連邦大学
設立年 1804年(カザン帝国大学)
職員数
3,344人
学生総数 44 992人
所在地 ロシアの旗 ロシア
沿ヴォルガ連邦管区タタールスタン共和国カザン(420008, Казань, ул. Кремлёвская, 18)
公式サイト https://kpfu.ru
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地図
大学天文台 1838年築
冬の大学本館

歴史編集

1804年に創設され、ロシアの大学の中ではモスクワ大学に次いで古い[1]ヴォルガ川中流域やウラル地方における研究・教育の中心地となっている[1]。また、「有機化学発祥の地」としても知られている。

1825年に完成したカザン大学本館は、建築家のピャトニーツキーの手によるもので、幅160mの端正なファサードを持つ。19世紀におけるロシアの地方都市の新古典主義様式の代表的建築として評価されている。

ロシアの大数学者ニコライ・ロバチェフスキーは、1827年から1846年までカザン帝国大学学長を務めた。アレクサンドル・ブートレロフウラジミール・マルコフニコフアレクサンドル・アルブーゾフらがカザン大学で教鞭をとっている。また、1875年から1883年に教授を務めたポーランド出身の言語学者ボードゥアン・ド・クルトネは、後のプラハ言語学派に繋がるカザン言語学派を創設することとなる。帝政時代は歴史・言語学、物理学、医学、法学の4学部を備え、1917年十月革命の後に学部が拡充された。

シベリアトムスクに大学が設置されるまで、ロシア帝国で最も東に位置する大学だった。このためロシアにおける東洋研究の拠点に位置付けられた。大学付属図書館の旧館には、東洋学関係の膨大な文献資料が所蔵されている[1]

帝政時代末期には反体制を志向する学生運動の拠点となり、この学校に通っていたウラジーミル・レーニンは学生運動への参加を理由に放校処分を受けた[1]。しかしながら、後にソビエト連邦の「建国の父」となったため、大学本館の前にレーニン像が建てられた。通常、レーニン像は頭の禿げた壮年の姿であるが、カザン大学のレーニン像は髪を蓄えた学生時代の若きレーニンの姿となっている。

2010年、沿ヴォルガ連邦管区を代表する連邦大学として指定され、以降カザン(沿ヴォルガ)連邦大学ロシア語: Казанский (Приволжский) федеральный университет)または単にカザン連邦大学と呼ばれている[2]

国際性編集

約100カ国から千人の留学生が在籍している。日本からは金沢大学、埼玉大学、東京外国語大学から留学生が来ている。

副専攻で日本語を学ぶことができる環境にあり、日露青年交流センターより日本語教師が1名派遣されている。

教職員および出身者編集

 
物理学部

脚注編集

  1. ^ a b c d 今井、西山「カザン大学」『ロシアを知る事典』、134頁
  2. ^ 歴史(カザン連邦大学)(英語)

参考文献編集

  • 今井義夫、西山克典「カザン大学」『ロシアを知る事典』収録(平凡社, 2004年1月)

外部リンク編集

座標: 北緯55度47分26.7秒 東経49度7分18.88秒 / 北緯55.790750度 東経49.1219111度 / 55.790750; 49.1219111