コセ=ダンジュー
コセ=ダンジュー (Cossé-d'Anjou)は、フランス、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏、メーヌ=エ=ロワール県のかつて存在したコミューン。
Cossé-d'Anjou | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏 |
県 (département) | メーヌ=エ=ロワール県 |
郡 (arrondissement) | ショレ郡 |
小郡 (canton) | シュミエ=ムレ小郡 |
INSEEコード | 49111 |
郵便番号 | 49120 |
市長(任期) |
リュック・ペレ[1] (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | C.C. de la région de Chemillé |
人口動態 | |
人口 |
434人 (2012年) |
人口密度 | 33人/km2 |
住民の呼称 | Cosséens |
地理 | |
座標 | 北緯47度09分48秒 西経0度40分36秒 / 北緯47.1633333333度 西経0.676666666667度座標: 北緯47度09分48秒 西経0度40分36秒 / 北緯47.1633333333度 西経0.676666666667度 |
標高 |
平均:208m 最低:84m 最高:211 m |
面積 | 13.29km2 |
地理
編集モージュ地方にあるアンジューのコミューンである。ラ・トゥールランドリーの北に位置する。
由来
編集古くはラテン語でCocaiumまたはCozaiacumと記され、その後Cossay、Cosséとなり、1930年よりCossé-d'Anjouとなった。
歴史
編集普仏戦争中の1870年11月2日、ガス気球のフルトン号がル・グロアルネックという船員に操縦され、土木技師エルネスト・セザンヌを伴い、プロイセンに包囲されているパリのオルレアン駅から飛び立った。345kmの飛行の後、フルトン号はコセ=ダンジューに到着した。
第一次世界大戦では、18人のコセ=ダンジュー出身者が戦死した。第二次世界大戦では犠牲者はなかった[2]。
2014年、自治体間連合レジオン・ド・シュミエに加盟するコミューン全てが合併する案が浮上した。2015年7月2日、自治体間連合に加盟する全てのコミューン議会でコミューン・ヌーヴェル(fr、サルコジ政権時代に成立したフランス国家領土改革法によって、合併して誕生したコミューンの名称)創設の合否を採決、2015年12月15日に新たにシュミエ=アン=アンジューが誕生することになった[3]。
人口統計
編集1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2012年 |
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331 | 305 | 291 | 286 | 360 | 407 | 438 | 434 |
脚注
編集- ^ Ouest-France, Luc Pelé, élu nouveau maire de la commune, article du 6 avril 2014
- ^ Memorialgenweb.org- Cossé-d'Anjou : monument aux morts, consulté le 2 janvier 2013
- ^ Ouest-France (3 July 2015). "Feu vert pour trois communes nouvelles". ouest-france.fr.
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引数が必須です。 (説明). - ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=10420
- ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
- ^ http://www.insee.fr