コムナルカ射撃場

コムナルカ射撃場(コムナルカしゃげきじょう、ロシア語Расстрельный полигон «Коммунарка»ラテン文字転写:Rasstrel'nyy poligon "Kommunarka"、英語Kommunarka Shooting Ground)は、秘密警察長官であったゲンリフ・ヤゴーダダーチャがあった場所であり、1937年から1941年にかけては集団墓所として使用された。大粛清期、NKVDによる処刑が実行され、また別の場所で処刑された遺体が埋葬のため運ばれてきたとも言われている[1]アルセニー・ロギンスキーロシア語版英語版は「射撃場」という語はNKVDが大粛清による大量埋葬のために確保した、神秘的かつ厳重に守られた区域の事を指す一般的な婉曲表現であった、と述べている[2]

コムナルカ射撃場の入口。2012年撮影
コムナルカにおける犠牲者への墓標
木に貼り付けられた犠牲者の写真

犠牲者の身元の特定編集

2007年、ロシア連邦保安庁の代表者はイズベスチヤに対し約1万人の人々が殺害され、集団墓地に埋葬された可能性がある事を示唆している。[3] メモリアルや他団体の研究者は1990年代に埋葬された遺体のうち4,527人の身元を特定し、メモリアルの「追悼の本」初版にその名を記した。[4]コムナルカが祈念公園として開かれる前、考古学的調査によって約6,600体の遺体が眠っている可能性が示され、さらに文献調査の結果現在の総数に到達した。[5]

ソ連各地に点在する「射撃場」はその後数十年にも渡りNKVDおよびKGBの後継組織であるFSBの管理下に置かれた。しかし、1999年にようやくモスクワの南にあるブトヴォ射撃場英語版と共にロシア正教会に土地が譲渡された。1999年11月14日にモスクワにあるどの集団墓地よりも遅く、「特別施設」の政治的弾圧の犠牲者に対する祈念のプレートが設置された、とアルセニー・ロギンスキーは述べた。[6]ソ連時代にキリスト教への信仰のために没した教徒のために「ロシアの殉教者と告解者のために捧げる教会」がコムナルカに建てられ、以後毎年1月25日に祭日が設けられた。

公開と議論編集

2018年10月27日、祈念公園が開かれ、6,609人全ての名が「追憶の壁」を含む場所に埋葬された。また、ヤゴーダを含む名誉回復がなされていない約50人の秘密警察高級官僚をこれに含むかについての議論が巻き起こった。[7]

メモリアルの議長であるヤン・ラチンスキ英語版、埋葬された犠牲者の代表であるグラーグ博物館、モスクワ市の政治的弾圧の犠牲者のための委員会、そしてロシア正教会がパートナーとなり祈念公園設立の議論に携わった。委員会は全ての子孫が来訪できる墓が必要だと結論付け、コムナルカの犠牲者全てがこの対象であるとしたが、また、その犯罪が赦免されるわけではないともした。[8]

著名な犠牲者編集

エリートの墓地編集

特に、1938年3月のいわゆる右翼トロツキスト陰謀事件に関連し有罪となった者も含め、2度のモスクワ公開裁判で有罪となったボリシェヴィキの指導者層がコムナルカに埋葬された。(1937年1月の第二回公開裁判の被告人のうち、ベロボロドフブーブノフと言った出廷しなかった者もコムナルカに埋葬された。)[9]

ヤゴーダについてはすでに言及がなされている。1938年3月の21人裁判の他の被告については下記の通りである。ブハーリン、ルィコフ、クレスティンスキー、ローゼンゴリツ、ウラジーミル・イヴァノフ、ミハイル・チェルノフ、イサアク・ゼレンスキー、ウズベク・ソビエトの指導者アクマリ・イクラモフ、ファイズッラ・ホジャエフ、ヴァシーリー・シャランゴヴィチ、プロコピー・ズバレフ、NKVD将校のパーヴェル・ブラーノフ、クレムリンの医師レフ・レーヴィン、イグナティー・カザコフ、ヴェニアミン・マクシモフ=ディコフスキー、マクシム・ゴーリキーの秘書ピョートル・クリュチコフ。(リストに名前が上がっていないラコフスキー、ベッソノフおよびプレトニョフは1938年に重い禁固刑を言い渡された。彼らは後の1941年、戦争が開始され数ヶ月以内に即座に処刑された。)

モンゴル人革命家(バドラフ、ドグソム、ロソル、ルヴサンシャラ、シジェー)、作家(ピリニャーク、キルション、ヤシエニスキ)、赤軍およびNKVDの将校(アグラーノフ、ベルマン兄弟、ベルジン、コーガン、パウケル)のうち、2人は中欧出身であった。クン・ベーラは1919年に成立した短命政権であったハンガリー評議会共和国の指導者であり、元カトリック司祭のテオドーレ・マーリーは海外でソビエト連邦の工作員を募集し、1930年代中盤にはケンブリッジ・ファイヴの責任者を務めていた。[10]

参照編集

脚注編集

  1. ^ "The Kommunarka burial site in Moscow", Russia's Necropolis of Terror and the Gulag. en.mapofmemory.org
  2. ^ Arseny Roginsky, "Epilogue", Those shot at Kommunarka, Memorial: Moscow, 2000 (in Russian).
  3. ^ "The 'Monastery' special installation", Izvestiya, 2007 (in Russian).
  4. ^ Execution lists, Moscow 1937-1941: Kommunarka and Butovo, Memorial: Moscow, 2000, 502 pp. (in Russian).
  5. ^ "The Kommunarka burial site in Moscow", Russia's Necropolis of Terror and the Gulag. en.mapofmemory.org
  6. ^ Arseny Roginsky, "Epilogue", Those shot at Kommunarka, Memorial: Moscow, 2000 (in Russian).
  7. ^ "Tortured past: victims and perpetrators side by side", RFE/Radio Liberty, 27 December 2018.
  8. ^ Arseny Roginsky, "Epilogue", Those shot at Kommunarka, Memorial: Moscow, 2000 (in Russian).
  9. ^ Robert Conquest, The Great Terror: A reassessment, 1990, hbk, pp. 122 and 240.
  10. ^ Andrew, Christopher (2009). The Defence of the Realm: The Authorised History of MI5. pp. 180-181. ISBN 978-0-307-26363-6 

外部リンク編集