ゴットフリート1世 (ヴェルダン伯)

ヴェルダン伯ゴットフリート1世(ドイツ語:Gottfried I., フランス語:Godefroid Ier, ? - 1002年)は、ビドガウ伯(在位:959年 - 1002年)、ヴェルダン伯(在位:963年 - 1002年)[1][2]。捕囚伯[3](le Captif)、老伯(le Vieux)といわれる。969年アントウェルペン辺境伯領およびエナメ辺境伯領を手に入れた。また、974年から998年まで、エノー伯およびモンス伯であった。

ゴットフリート1世
Gottfried I.
ヴェルダン伯
在位 963年 - 1002年

死去 1002年
配偶者 マティルデ・ビルング
子女 フリードリヒ
ゴットフリート2世
アダルベロン
ヘルマン
ゴツェロ1世
イルムガルト
エルメントルーデ
アデラ
家名 アルデンヌ家
父親 ビドガウ伯ゴツェロ
母親 オーダ・フォン・メッツ
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ゴットフリートはアルデンヌ家の分家アルデンヌ=ヴェルダン家の祖であった。ザクセン家に常に忠実であったが、同家とは母方の祖母を通して血のつながりがあった。

生涯

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ゴットフリートはビドガウ伯ゴツェロとオーダ・フォン・メッツの息子であり[4]ユーグ・カペーに戴冠したランス大司教アダルベロンの兄にあたる。

959年にすでに相続によりビドガウ伯であったが、963年にヴェルダン伯とされた。974年、レニエ4世の失脚後に、ゴットフリートはモンス伯およびヴァラシエンヌ伯アーノルドとともにエノー伯となった。下ロレーヌ公シャルルはレニエ4世を支持し、976年にモンスでゴットフリートとアルノールを破り、ゴットフリートは捕縛された。

解放された後、985年にゴットフリートは神聖ローマ皇帝オットー2世に味方しヴェルダンで西フランク王ロテールと衝突した。しかしゴットフリートは息子フリードリヒとともに再び捕まり、数年間捕囚の身となった[5][6]987年に弟アダルベロンと同盟関係にあり、戴冠を行ったユーグ・カペーにより解放された。また、ゴットフリートは、ユーグ・カペーと対立していた下ロレーヌ公シャルルの敵でもあった[7]

989年、ゴットフリートはヴェルマンドワ伯エルベール3世により三度目に捕囚の身となり、995年より前に解放され、ムッソンの宗教会議に出席した。998年、ゴットフリートはモンス伯領を失い、それはレニエ4世に再び与えられた。

家族

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ゴットフリート1世と妃マティルデ・フォン・ザクセン

963年、ザクセン辺境伯ヘルマン・ビルングの娘でフランドル伯ボードゥアン3世の寡婦マティルデと結婚し[8]、以下の子女をもうけた。

  • フリードリヒ(970/6年 - 1022年) - ヴェルダン伯[9]
  • ゴットフリート2世(965年頃 - 1023年) - 下ロートリンゲン公(1012年 - 1023年)[9]
  • アダルベロン(988年没) - ヴェルダン司教(984年 - 988年)[10]
  • ヘルマン(1029年没) - ブラバン伯、1022年以降ヴェルダン修道院に隠棲[9]
  • ゴツェロ1世(970年頃 - 1044年) - ロートリンゲン公
  • イルムガルト(1042年没) - ヴェッテラウ伯オットー(コンラディン家)と結婚
  • エルメントルーデ - フロレンヌ領主アーノルド・ド・ルミニー(1010年没)と結婚
  • アデラ - ゴディツォ・フォン・アスペルと結婚、娘イルムガルトはノルトマルク辺境伯ロタール1世の息子ベルトルトと結婚

脚注

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  1. ^ Jan, Régine Le; Lejan, Régine (1995). Famille et pouvoir dans le monde franc (VIIe-Xe siècle): Essai d'anthropologie sociale. ISBN 9782859442682. https://books.google.com/books?id=v8vwhSwhWogC&q=gratia+dei 
  2. ^ Jan, Régine Le; LeJan, Régine (1995) (フランス語). Famille et pouvoir dans le monde franc (VIIe-Xe siècle): essai d'anthropologie sociale. Publications de la Sorbonne. ISBN 978-2-85944-268-2. https://books.google.com/books?id=v8vwhSwhWogC&q=gratia+dei 
  3. ^ Murray 2000, p. 6.
  4. ^ Reuter 1978, p. 234.
  5. ^ McKitterick 1999, p. 327.
  6. ^ Murray 2000, p. 7.
  7. ^ Bradbury 2007, p. 72.
  8. ^ Tanner 1991, p. 254.
  9. ^ a b c Healy 2006, p. 36.
  10. ^ Healy 2006, p. 30.

参考文献

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  • Bradbury, Jim (2007). The Capetians: Kings of France, 987-1328. Hambledon Continuum 
  • Healy, Patrick (2006). The Chronicle of Hugh of Flavigny: Reform and the Investiture Contest in the Late Eleventh Century. Ashgate Publishing Limited 
  • McKitterick, Rosamond (1999). The Frankish Kingdoms under the Carolingians. Longman Group UK Limited 
  • Murray, Alan V. (2000). The Crusader Kingdom of Jerusalem: A Dynastic History 1099-1125. Oxford University Press 
  • Reuter, Timothy (1978). Medieval Nobility: Studies on the Ruling Classes of France and Germany from the Sixth to the Twelfth Century. Elsevier Science Ltd 
  • Tanner, Heather J. (1991). Chibnall, Marjorie. ed. “The Expansion of the Power and Influence of the Counts of Boulogne under Eustace II”. Anglo-Norman Studies: XIV. Proceedings of the Battle Conference (The Boydell Press).