サボー・レーリンツ
サボー・レーリンツ(Szabó Lőrinc 1900年3月31日 – 1957年10月3日)は、ハンガリーの詩人。
サボー・レーリンツ | |
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リップル・ローナイ・ヨージェフによる肖像画 | |
誕生 |
Szabó Lőrinc József 1900年3月31日 ハンガリー ミシュコルツ |
死没 |
1957年10月3日 (57歳没) ハンガリー ブダペスト |
教育 | エトヴェシュ・ロラーンド大学 |
ウィキポータル 文学 |
生涯
編集サボー・レーリンツはハンガリーのミシュコルツで生まれた[1]。バラサギュルマトで育ち、デブレツェンにある学校にも通った。それからブダペストのエトヴェシュ・ロラーンド大学で学び、バビチ・ミハーイと親交を結ぶ[1]。サボーは大学中退後、1921年に文芸誌「Az Est」で働き始める。やがて雑誌『Nyugat』に初めて詩を発表した。1922年に処女詩集『Föld, erdő, Isten』を刊行した[1]。サボーは1927年に定期刊行物「Pandora」を創刊して編集者として務めた[1]。
サボーはモリエール、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ、ウィリアム・シェイクスピア、フランソワ・ヴィヨン、シャルル・ボードレール、サミュエル・テイラー・コールリッジの作品を翻訳した。
サボーはファシズムを絶賛し、ファシストの軍人ゲンベシュ・ジュラと交流した。ファシズム系団体であるヨーロッパ作家同盟のハンガリー支部の代表を務めた。 サボーはファシズムを支持したことから戦後は一時的に冷遇される。1957年にコシュート賞を受賞したが、同年秋にブダペストで死去した[1]。
詩
編集- Föld, erdő, Isten 1922
- Kalibán 1923
- Fény, fény, fény 1926
- A Sátán műremekei 1926
- Te meg a világ 1932
- Különbéke 1936
- Harc az ünnepért 1938
- Régen és most 1943
- Tücsökzene' 1947
- A huszonhatodik év 1957