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地理編集

シャトーランはフィニステール県の中央に位置する。オーヌ川fr:Aulne (fleuve))を船舶航行可能にしたナント=ブレスト運河が市街を流れる。南のカンペール、北のブレストの間にある。西は、メネゾム山(fr:Ménez-Hom)が、クロゾンの島々やドゥアルヌネ湾からシャトーランを隔てている。

歴史編集

シャトーランのサケ漁編集

オーヌ川の現在の郵便局に相当する辺りには大規模なサケ漁場があり、年4000尾の漁獲があった。この漁場は11世紀の終わりに、ブルターニュ公アラン4世からランデヴェネック修道院(fr:l’abbaye de Landévennec)へ寄進された。17世紀、サケは水車とともにフランス王に属していたが、債務解消のため4500リーヴルで払い下げられている。

サケはシャトーランの紋章にも表され、シャトーラン住民はペン=エオグ(Pen-Eog、サケ頭)というブルトン語のあだ名をつけられた。

漁場は運河掘削が行われた1816年に破壊された。

騎士団編集

ケルジャンの施設付き司祭職は、1130年にブルターニュへやってきたテンプル騎士団によって設置された。司祭はカンペールの騎士修道会に所属し、カンペールの者はさらにフイエの騎士修道会に所属していた。施設付き司祭職は、慈善の家、サン=ジャン礼拝堂、その他一部資産から成っていた。巡礼者の受け入れが主な任務であり、貧者と病人にも門戸を開いていた。これが後のケルジャン村の起源となった。

眼病回復に利益があるとして洗礼者ヨハネ(サン=ジャン)の加護を謳ったことにより、礼拝堂は重要な巡礼の地となった。洗礼者ヨハネの祭日には、ディネオーとサン=クーリ小教区の者が教区の旗を先頭にケルジャンを訪れ、パルドン祭りに参加した。礼拝堂はゴシック様式で交差廊とアプスを持ち、緑色の石が敷かれていた。付属の鐘楼には鐘が一つあるきりだった。17世紀半ばには礼拝堂は老朽化し放棄された状態にあった。これはそれまでの一世紀以上の間、マルタ騎士団の財力では施設保持がままならなかったためである。施設付き司祭職とその資産はシャトーランの終身助任司祭の所属となり、資産はシャトーランの司祭に預託された。1637年、ケルジャンの礼拝堂付き司祭は、司祭館を建設した。

フランス革命時代、礼拝堂は火薬庫に使われ、後に国有財として売却された。1836年、礼拝堂は火事で焼き尽くされた。焼け跡に残った石は、ペナラン村で住宅を建てるのに使われた。1850年代には司祭館は雑草に侵食された四方の壁を残すのみとなった。

1840年、シャトーランは近接するコミューン、ポール=ロネ(fr:Port-Launay)の新設で領域を割譲した。

1864年、ナント、カンペール、ランデルノーを通過する鉄道路線がシャトーランへ敷かれた。この時期に高架橋と駅が建設された。

人口統計編集

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2010年
4096 4370 4711 5357 4965 5157 5337 5213

参照元:1999年までEHESS[1]、2000年以降INSEE[2][3]

史跡編集

  • ノートルダム礼拝堂
  • サンティデュヌ教会

言語編集

2007年の新学期、1.1%の児童がブルトン語との二言語学校に在籍した。

姉妹都市編集

脚注編集

関連人物編集

外部リンク編集