ショーン・マリオン

アメリカのバスケットボール選手 (1978 - )

ショーン・ドウェイン・マリオンShawn Dwayne Marion, 1978年5月7日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州ウォキーガン出身の元バスケットボール選手。NBAフェニックス・サンズなどで活躍した。人間離れした身体能力を持つことから、「マトリックス」の異名を持つ(右足に縦書きで「魔鳥樟」とタトゥーも入れている)。ポジションはフォワード。身長201cm、体重103kg。

ショーン・マリオン
Shawn Marion
現役 (ダラス・マーベリックス) 時代のマリオン
引退
ポジション SF/PF
基本情報
愛称 ザ・マトリックス
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1978-05-07) 1978年5月7日(45歳)
出身地 イリノイ州ウォキーガン
身長(現役時) 201cm (6 ft 7 in)
体重(現役時) 103kg (227 lb)
ウィングスパン(現役時) 212cm  (6 ft 12 in)
キャリア情報
出身 ネバダ大学ラスベガス校
ドラフト 1999年 9位
選手経歴
1999-2008
2008-2009
2009
2009-2014
2014-2015
フェニックス・サンズ
マイアミ・ヒート
トロント・ラプターズ
ダラス・マーベリックス
クリーブランド・キャバリアーズ
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
代表歴
キャップ アメリカ合衆国の旗 2004-2006
獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
オリンピック
2004 アテネ バスケットボール

経歴 編集

インディアナ州の短大を終えた後、ネバダ大学ラスベガス校に編入した。そこで1年プレイしたのち1999年のNBAドラフトにおいてフェニックス・サンズから9位指名を受けた。ルーキーイヤーの1999-00シーズンは平均得点を2桁に乗せ、オールルーキーセカンドチームに選出された。

 
ショーン・マリオン フェニックス・サンズ1999-2008年

7シーズンのNBAキャリアで5回プレーオフに進出。中でも、2004-05シーズンはリーグトップの62勝(チーム記録1位タイ)をマーク。ダラス・マーベリックスから移籍したリーグ屈指のポイントガードであるスティーブ・ナッシュや、怪我から復帰したインサイドの中心アマレ・スタウダマイアーなどと共にリーグを席巻した。

本来スモールフォワードのマリオンが、パワーフォワードとしてプレイすることによって、リーグ最高のラン&ガンオフェンスを展開した。

2005-06シーズンは、ジョー・ジョンソンらの移籍やスタウダマイヤーの長期離脱などで苦戦が予想されたが、マリオンは得点・リバウンド・FG%でキャリアハイをマークする活躍で、チームを西地区決勝まで導いた。翌2006-07シーズンにはスタウダマイヤーが復活し、サンズは61勝21敗と高い勝率でレギュラーシーズンを終えたが、プレイオフではカンファレンスセミファイナルでサンアントニオ・スパーズの前に敗退した。

シーズンオフに入ると、マリオンは自身がチーム内においてナッシュやスタウダマイヤーに次ぐ3番手選手という扱いに不満を漏らすようになった。チームもマリオンのトレードを模索するようになり、そして2007-08シーズン途中の2月に、シャキール・オニールとの交換でマーカス・バンクスらと共にマイアミ・ヒートに移籍することになった[1]

その後移籍したダラス・マーベリックスでは主力の一角として定着。2010-2011シーズンを制覇し、自身初のチャンピオンリングを獲得した。

2014-2015シーズンは、クリーブランド・キャバリアーズに移籍し、このシーズン後に引退することを表明[2]。6月18日に正式に引退を表明した[3]

オールスター戦にはこれまで4度出場。2004年には米国代表選手としてアテネオリンピックに出場、銅メダルを獲得した。

個人成績 編集

略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック  PPG  平均得点  太字  キャリアハイ
  優勝シーズン   

レギュラーシーズン 編集

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1999–00 PHX 51 38 24.7 .471 .182 .847 6.5 1.4 .7 1.0 10.2
2000–01 79 79 36.2 .480 .256 .810 10.7 2.0 1.7 1.4 17.3
2001–02 81 81 38.4 .469 .393 .845 9.9 2.0 1.8 1.1 19.1
2002–03 81 81 41.6 .452 .387 .851 9.5 2.4 2.3 1.2 21.2
2003–04 79 79 40.7 .440 .340 .851 9.3 2.7 2.1 1.3 19.0
2004–05 81 81 38.8 .476 .334 .833 11.3 1.9 2.0 1.5 19.4
2005–06 81 81 40.3 .525 .331 .809 11.8 1.8 2.0 1.7 21.8
2006–07 80 80 37.6 .524 .317 .810 9.8 1.7 2.0 1.5 17.5
2007–08 47 47 36.4 .526 .347 .713 9.9 2.1 2.0 1.5 15.8
MIA 16 15 37.6 .459 .258 .690 11.2 2.5 1.9 .9 14.3
2008–09 42 41 36.1 .482 .200 .788 8.7 1.8 1.4 1.1 12.0
TOR 27 27 35.3 .488 .154 .806 8.3 2.3 1.1 .8 14.3
2009–10 DAL 75 75 31.8 .508 .158 .755 6.4 1.4 .9 .8 12.0
2010–11 80 27 28.2 .520 .152 .768 6.9 1.4 .9 .6 12.5
2011–12 63 63 30.5 .446 .294 .796 7.4 2.1 1.1 .6 10.6
2012–13 67 67 30.0 .514 .315 .782 7.8 2.4 1.1 .7 12.1
2013–14 76 76 31.7 .482 .358 .785 6.5 1.6 1.2 .5 10.4
2014–15 CLE 57 24 19.3 .446 .261 .765 3.5 .9 .5 .5 4.8
通算 1163 1062 34.5 .484 .331 .810 8.7 1.9 1.5 1.1 15.2
オールスター 4 0 19.5 .575 .000 .500 6.5 3.0 1.5 .5 12.5

プレーオフ 編集

シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
2000 PHX 9 9 31.2 .419 .167 .818 8.8 .8 .7 1.6 9.1
2001 4 4 34.8 .371 1.000 .857 8.3 .8 1.5 1.5 14.8
2003 6 6 47.0 .374 .321 .846 11.7 2.0 1.8 1.8 18.5
2005 15 15 42.3 .484 .419 .769 11.8 1.5 1.4 1.7 17.6
2006 20 20 42.5 .489 .314 .881 11.7 1.6 1.9 1.2 20.4
2007 11 11 41.4 .500 .353 .667 10.4 1.2 1.5 1.7 16.9
2010 DAL 6 6 24.7 .407 .000 .800 4.2 1.0 .2 .5 8.7
2011 21 21 32.9 .467 .000 .851 6.3 2.1 1.0 .9 11.9
2012 4 4 35.0 .425 .286 .900 8.0 1.0 .3 1.3 11.8
2014 7 7 27.6 .407 .222 .636 5.3 1.9 .9 .1 8.4
2015 CLE 6 0 4.2 .167 --- --- 1.0 .2 .3 .0 .3
通算 109 103 35.2 .456 .318 .814 8.6 1.4 1.2 1.2 13.9


プレースタイル 編集

スピードと跳躍力に優れ、NBAではごく平均的体格ながらあたりにも強いタフネスを誇る。この身体能力を生かし、インサイドへ走りこむ、或いは飛びこんでいくプレーでダンクやリバウンドを量産している。特に通算で1試合平均8本を超えているリバウンドは身長201cm・体重103kgの選手としては驚異的である。サンズ時代には、自分より10cm以上高く、身体能力もあったアマレ・スタウダマイアーを抑えてチームトップの平均リバウンドを記録していたのも有名である。アウトサイドシュートも確率が高く、レジー・ミラーの大ファンであったことから3ポイントシュートも上手い(背番号もミラーとおなじ31)。ただしシュートフォームが非常に独特であり、トレーナーからシュートフォームの改善指導を受けたが、成功率が下がってしまい結局以前のシュートフォームを貫いている。

ディフェンダーとしても優秀で、スティールブロックショットの部門でも毎年上位にランクインしている。2003年のマイケル・ジョーダン最後のオールスター戦では、試合終盤にジョーダンのマークマンとして起用された。

人気やメディアの扱いはイマイチだが、コーチ推薦によるオールスター出場3回、3度のナショナルチーム選出と専門家による評価は非常に高く、上記でも分かるとおり、リーグ屈指の実力者であることは間違いない。

受賞歴 編集

  • NBAチャンピオン:2011
  • オールルーキーセカンドチーム:2000
  • オールNBAサードチーム:2005, 2006
  • オールスター出場:2003, 2005〜2007

脚注 編集

外部リンク 編集