シルティカイム または シルティッヒハイムフランス語: Schiltigheimアレマン語: Schelige)は、フランスグラン・テスト地域圏バ=ラン県の都市。

シルティカイム
Schiltigheim

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) グラン・テスト地域圏
(département) バ=ラン県
(arrondissement) ストラスブール=カンパーニュ郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 67447
郵便番号 67300
市長任期 ラファエル・ニサン
2008年-2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté urbaine de Strasbourg
人口動態
人口 30,841人
1999年
人口密度 4042人/km2
住民の呼称 Schilikois(es)
地理
座標 北緯48度36分28秒 東経7度45分00秒 / 北緯48.6077777778度 東経7.75度 / 48.6077777778; 7.75座標: 北緯48度36分28秒 東経7度45分00秒 / 北緯48.6077777778度 東経7.75度 / 48.6077777778; 7.75
標高 平均:m
最低:133 m
最高:152 m
面積 7.63km2
シルティカイム Schiltigheimの位置(フランス内)
シルティカイム Schiltigheim
シルティカイム
Schiltigheim
公式サイト www.ville-schiltigheim.fr
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歴史 編集

コミューンの歴史は9世紀からSciltung城とBothebür教会の周りで成長した定住地にさかのぼる。シルティカイムは、ストラスブールの北、ライン川に向かう最後の丘に根付いていた。ストラスブールから追放されたアデルスホッフェン住民がやってきた14世紀終わりに、コミューンの成長が密接に結びついた。彼らは村の中ほどに集落を築くことになった。

シルティカイムの人口は17世紀までわずかで、1683年にはわずか800人にすぎなかった。1850年代に産業化が進むと急速に人口が増加し、1905年には14,000人に達した。

常に係争地であったアルザスにあるため、シルティカイムは中世から破壊と災難にみまわれてきた。1870年のストラスブール包囲戦ではプロイセン軍に占領され、激しい砲撃を受けた。普仏戦争の敗北後、シルティカイムを含むアルザスは1918年までドイツ帝国領であった。1939年から1945年まで、シルティカイムは再び災禍にあった。住民は1939年9月から1940年夏にかけてオート=ヴィエンヌ県に避難し、その後アルザスへ帰還した。ナチス・ドイツに併合されたシルティカイムが解放されたのは1944年11月、フィリップ・ルクレール将軍指揮下の自由フランス軍によってであった。

経済 編集

シルティカイムは別名シテ・デ・ブラスール(Cité des Brasseurs、ビール醸造所のまち)と呼ばれるほど、多くの醸造所がある。代表的なものにフィッシャー(fr)、シュツンベルジェ(fr)、アデルスフォッフェン(fr)、ハイネケンがある。しかし近年、シルティカイムのビール醸造所は挫折を経験してきた。2000年にアデルスホッフェンが、2006年にシュッツンベルジェがシルティカイムの醸造所を閉じた。フィッシャーはハイネケンに買収されリストラを受けた。

公共交通機関 編集

出身者 編集