申相玉

韓国の映画監督、プロデューサー
シン・サンオクから転送)

申 相玉(シン・サンオク、サイモン・シーン、サイモン・S・シーン、1926年10月18日 - 2006年4月11日[1])は、大韓民国映画監督本貫平山申氏[3]

シン・サンオク
申相玉
生年月日 (1926-10-18) 1926年10月18日
没年月日 (2006-04-11) 2006年4月11日(79歳没)
出生地 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮咸鏡北道 清津
死没地 大韓民国の旗 韓国ソウル特別市
職業 映画監督
ジャンル 映画
活動期間 1952年[1] - 2006年
配偶者 崔銀姫(チェ・ウニ)
 
受賞
ベルリン国際映画祭
銀熊賞(審査員特別賞)
1962年『暴君燕山』
その他の賞
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申相玉
各種表記
ハングル 신상옥
漢字 申相玉[2]
発音: シン・サンオク
日本語読み: しん そうぎょく
英語表記: Shin Sang-ok[2]
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経歴 編集

日本統治下にあった咸鏡北道清津出身。京城中学校を卒業後に渡日、東京美術学校(現:東京芸術大学)に学んでいる。そのため、日本語も堪能で大の親日家だった。

1952年に 16mm 映画『悪夜』で本格的な映画監督デビューを飾る。 映画女優で韓国の大スターだった崔銀姫최은희、チェ・ウニ)と1953年に結婚。夫婦の間には実子はなく、養子が二人いたが、シンは不倫相手の女優との間に二人の子どもをもうけている。この不倫をきっかけに、夫婦は1976年に離婚した[4]

1978年香港北朝鮮によって崔銀姫が拉致された後、彼自身も拉致された。ただし事件当時北朝鮮側は自発的な亡命と発表した。1983年には崔銀姫と再婚している。彼が北朝鮮で“申フィルム”映画撮影所総長を引き受けながら『帰らざる密使』、『プルガサリ 伝説の大怪獣』などの製作に携わったため、自発的亡命説は一般に信じられた。

しかし1986年3月13日オーストリアウィーン滞在中に崔銀姫とともにアメリカ大使館に亡命し[5]、北朝鮮へはもともと自発的亡命ではなく拉致だったと語った。また、2度逃亡を図ろうとして逮捕され、強制収容所に入れられたことも明かしている。1987年には北朝鮮の体験を記した著書『闇からの谺』を上梓した。同書によれば、二人を拉致するよう指示したのは当時朝鮮労働党宣伝部長を務めていた金正日である。

1988年1月には日本のTBS情報デスクToday」のインタビューで妻と共に北朝鮮での生活を証言した[6][7]

その後はアメリカ合衆国に居を移した。金賢姫(キム・ヒョンヒ)を主人公に大韓航空機爆破事件を描いた映画『政治犯・金賢姫/真由美』(1990年)などを監督している。1994年にはカンヌ国際映画祭審査委員を務め、2000年にアメリカから韓国に帰国し、2006年にソウル大学校病院で死去した。79歳。

作品 編集

監督 編集

その他 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 인물정보(人物情報) NAVER(韓国語) 2011年8月22日閲覧。
  2. ^ a b 신상옥 (シン・サンオク) KMDb 2011年8月22日閲覧。
  3. ^ 배우 신영균 ‘故신상옥을 그리며’” (朝鮮語). 조선일보 (2006年4月13日). 2022年8月21日閲覧。
  4. ^ [1] 『将軍様、あなたのために映画を撮ります』公式サイト
  5. ^ 今日の歴史(3月13日) 聯合ニュース (2009年3月13日)
  6. ^ 최은희·신상옥 일본TV 증언 - KBS NEWS(韓国放送公社(韓国語)(KBS9時ニュース、1988年1月19日)
  7. ^ 최은희.신상옥, 일본 TBS 방송과의 회견(韓国語)(MBCニュースデスク、1988年1月19日)

参考文献 編集

外部リンク 編集