ジャンボキングとは日本競走馬である。1976年に行われた第10回スプリンターズステークスを最低人気で制した。名前の由来は尾崎将司の愛称・ジャンボである。TTGと同期。

ジャンボキング
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1973年3月24日
死没 不明
カシム
ダイゴホーザン
母の父 ミツサクラ
生国 日本の旗 日本北海道三石町
生産者 大日本競走馬生産(株)
馬主 醍醐幸右衛門
調教師 久保田金造中山
競走成績
生涯成績 中央競馬32戦4勝 地方競馬2戦0勝
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略歴 編集

1975年10月4日にデビューし、翌月のダートの未勝利戦で初勝利。2勝目は年が明けてからのダートの条件戦で、単勝3番人気というジャンボキングにとっては最も人気を背負っての勝利であった。3勝目は最低人気のオープン戦で、不良馬場で行われた芝のレース。この勝利から挑戦した日本ダービーは、20番人気で12着。この時点でのジャンボキングは、良くても「馬場状態が走りに影響しない、B級中距離馬」位の評価であった。

日本ダービーのあと小倉競馬場に遠征したが3戦して勝てず、毎日王冠では12頭立ての9着であった。このような状態であったため、1976年10月10日開催の第10回スプリンターズステークスに参戦したときも、芝1200メートルの持ちタイムが1分14秒5[1]と出走馬中最低のジャンボキングを支持する者はほとんどなく、またも最低人気であった。だが、優勝候補と目されたボールドシンボリが出走を取り消して9頭立てで行われたレースは、ほかの有力候補が競り合った結果前半の600メートルが33秒7、同じく後半が36秒8[1]のハイペースとなり、最後方からレースを進めていた[1]ジャンボキングが追い込みを決めて勝ったのである。騎手の的場均ともども初めての重賞勝ちとなった。単勝配当は4010円、枠番連勝は12860円の万馬券であった[1]

その後は、この年に参戦したステイヤーズステークス以外は短中距離路線で活躍。勝ち鞍は挙げられなかったものの、翌1977年の中日新聞杯キングラナークの2着に粘り2度目の万馬券を演出。中央競馬でのラストランはスプリンターズステークス連覇をメイワキミコに阻止された(5頭立て3着)直後のオープン戦で、結果はトウショウボーイのレコード駆けの前にブービー負け(6頭立て5着)であった。

血統表 編集

ジャンボキング血統ブランドフォード系 / Vatout 4×5=9.38%、Blandford 4×5=9.38%) (血統表の出典)

*カシム
Cassim
1959 黒鹿毛
父の父
Tamerlane
1952 黒鹿毛
Persian Gulf Bahram
Double Life
Eastern Empress Nearco
Cheveley Lady
父の母
Prudent Polly
1944 鹿毛
Atout Maitre Vatout
Royal Mistress
Sister Anne Son-in-Law
Dutch Mary

ダイゴホーザン
1960 栗毛
*ミツサクラ
1950 青毛
Touchwood Tout Change
Scotswood
Cherrys Ticket Croupier
Ticket
母の母
ミツタカラ
1954 鹿毛
*プリメロ Blandford
Athasi
タカラブネ 月友
快宝 F-No.16


脚注 編集

  1. ^ a b c d 日本中央競馬会優駿』1976年12月号、p.68

外部リンク 編集