ジョン・テイラー (眼科医)

ジョン・テイラー: John Taylor1703年1772年)はイギリス眼科医である。当時の著名人を多く患者として抱えており、バッハヘンデル(いずれも手術の失敗により失明)、ギボンなどを治療したことで知られている[1]。おそらくは右利きで、患者のこめかみや頬骨を支えにできる左目しか手術をしなかったとされる[2]

ジョン・テイラー

テイラーは1703年にノリッジの薬屋の息子として生まれた。眼科学を学び、ヨーロッパ中を渡り歩いてバーゼルリエージュなどで医学博士を得た。1736年にはジョージ2世の侍医に任命されており、30年以上に渡って、テイラーはロンドンを拠点に各地の王室を巡回することを自らの務めとしていた[1]

当時からその眼科医としての優れた技術で「勲爵士」(シュヴァリエ)として広く知られていたテイラーだったが、それはほとんど彼一流の自己宣伝術によるものであったと1885年発行の『英国人名事典』は書いている。彼は、自分が治療を行うたびに「まさにキケロ的というべき、いまだ形容されざる並外れて困難な」手技だともったいぶるのが常であった[1]

1750年、ライプツィヒに滞在中だったテイラーは、音楽家のバッハの眼を手術した。直後に地元の新聞は手術が成功であったと報じたが、実際には失敗しており、その数ヶ月後に2度目の手術が行われたが改善せず、バッハは完全な盲目状態になったとされる。手術から数週間後にバッハは亡くなった[2]

この頃にはテイラーは風刺やあざけりの対象になっており、バラッド・オペラには彼をテーマにする芝居さえあった[1][3]

1772年にテイラーはプラハの修道院で亡くなった。それ以前から盲目だったと言われている[1][2]

脚注編集

  1. ^ a b c d e   Carlyle, Edward Irving (1898). "Taylor, John (1703-1772)". In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). 55. London: Smith, Elder & Co. pp. 441–442.
  2. ^ a b c Frank Joseph Goes (2013). The Eye in History (1 ed.). Jaypee Brothers Medical Pub. pp. 277,299 
  3. ^ John H. Lienhard. “BACH AND HANDEL”. The Engines of Our Ingenuity. 2016年9月5日閲覧。