スタニスラフ・シャターリン

スタニスラフ・セルゲーヴィチ・シャターリンロシア語: Станисла́в Серге́евич Шата́лин、ラテン文字表記の例:Stanislav Sergeevich Shatalin1934年8月24日 - 1997年3月3日)は、ソビエト連邦およびロシア経済学者政治家。ソ連末期に経済改革プログラム「500日計画」(シャターリン・ヤブリンスキーとも言われる)を作成した。

1987年からソ連科学アカデミー会員。科学アカデミー経済部門、レニングラードサンクトペテルブルク)近郊のプーシキン市(旧ツァールスコエ・セロー)出身。1958年モスクワ大学経済学部を卒業する。その後、経済学博士号取得。ソ連国家計画委員会(ゴスプラン)の経済調査研究所に勤務する。1963年ソ連共産党に入党する。1965年ソ連科学アカデミー付属中央経済数学研究所(CEMI)を経て、1976年から1986年まで全連邦システム研究調査研究所で勤務する。1986年から1989年までソ連経済・予想科学・技術的進歩研究所勤務。1989年国家経済改革委員会委員となり、1990年ソ連共産党中央委員、ソ連大統領評議会議員、経済顧問として市場経済への移行プログラム作成グループを率いて、500日計画を作成した。

1991年統一民主党設立組織委員会議長に選出される。国際経済社会改革基金「レフォルマ」(Реформа、「改革」)総裁。1994年商業・金融団体「シャターリン連合」を設立した。1995年選挙ブロック「我が祖国」の設立に参加し、共同議長に就任する。

1968年ソ連国家賞を受賞し、名誉バッチ、人民友好賞を授与された。モスクワのサッカークラブ「Spartak」名誉総裁。1997年3月3日死去。