ダークロナルド
ダークロナルド (Dark Ronald) は、イギリスの競走馬および種牡馬。競走馬としては中級だったが、種牡馬としてイギリスとドイツで繋養され、とくにドイツで成功した。
ダークロナルド | |
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品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 黒鹿毛 |
生誕 | 1905年 |
死没 | 1928年 |
父 | ベイロナルド |
母 | ダーキー |
生国 | アイルランド |
生産者 | エドワード・ケネディ |
馬主 | サー・エイブ・ベイリー |
調教師 | エドワード・ケネディ |
競走成績 | |
生涯成績 | 7戦4勝 |
獲得賞金 | 8,238ポンド |
2歳時に2戦1勝の成績を残したが脚部不安のため2年近くの休養を余儀なくされた。南アフリカで休養に入り、その後4歳で復帰。初戦のニューベリースプリングカップは着外に終わったが、ダルハムプレート、ロイヤルハントカップ、プリンセスオブウェールズステークスと3連勝を挙げた。しかしドンカスターカップ3着後ふたたび脚部不安を発症し引退した。
1910年にイギリスで種牡馬入りすると名ステイヤーであるサンインローを出した。その後ドイツに輸出され、プルヌス(ドイツセントレジャー、ドイツリーディングサイアー5回)やヘロルド(ドイツダービー、ドイツリーディングサイアー2回)を出し1918年から1922年の5回ドイツリーディングサイアーを獲得した。
1928年ドイツの国立グラディッツ牧場にて死亡。子孫はサンインロー、ヘロルドが中心となって繁栄していく。詳細は「ダークロナルド系」を参照。
血統表
編集Dark Ronaldの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ハンプトン系 |
[§ 2] | ||
父 Bay Ronald 鹿毛 1893 |
父の父 Hampton鹿毛 1872 |
Lord Clifden | Newminster | |
The Slave | ||||
Lady Langden | Kettledrum | |||
Haricot | ||||
父の母 Black Duchess黒鹿毛 1886 |
Galliard | Galopin | ||
Mavis | ||||
Black Corrie | Sterling | |||
Mare by Wild Dayrell | ||||
母 Darkie 青毛 1889 |
Thurio 黒鹿毛 1875 |
Cremorne | Parmesan | |
Rigolboche | ||||
Verona | Orlando | |||
Iodine | ||||
母の母 Insignia鹿毛 1882 |
Blair Athol | Stockwell | ||
Blink Bonny | ||||
Decoration | Knight of the Garter | |||
Toison D'Or | ||||
母系(F-No.) | 9号族(FN:9-b) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Touchstone:S5×M5、Melbourne:S5×M5、Rataplan:S5×M5、Queen Mary:S5×M5 | [§ 4] | ||
出典 |
出典
編集- ^ a b c “Dark Ronaldの血統表 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2023年9月10日閲覧。
- ^ a b “5代血統表|血統情報|Dark Ronald(GB)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2023年9月10日閲覧。