チェチェン・イチケリア共和国
- チェチェン・イチケリア共和国
- Noxçiyn Paçẋalq Noxçiyçö
Нохчийн Пачхьалкх Нохчийчоь
Чеченская Республика Ичкерия -
← 1991年 - 2000年(2000年以降は政府としての実体なし) →
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(国旗) (国章) - 国歌: 死か自由か
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公用語 チェチェン語 首都 グロズヌイ
チェチェン・イチケリア共和国(ラテン文字表記:Noxçiyn Paçẋalq Noxçiyçö キリル文字表記:Нохчийн Пачхьалкх Нохчийчоь 英:Chechen Republic of Ichkeria)は、チェチェン分離独立派による国際的に未承認の国家または武装勢力。
概要編集
ロシア連邦の連邦構成主体のチェチェン共和国を領土と宣言し、自称による領土は北西をスタヴロポリ地方、北東から東をダゲスタン共和国、南をグルジア、西をイングーシ共和国と北オセチア共和国に接し、カフカース山脈の北に位置するとしている。
初代大統領ジョハル・ドゥダエフのソ連邦からの独立と建国宣言により建国されたが、これを阻止しようとするロシア連邦との間で勃発したのが第一次チェチェン紛争である。第一次チェチェン紛争中の1995年と第二次チェチェン紛争中の2000年に、ロシア連邦軍により首都としていたグロズヌイが陥落させられると、それ以降は政府としての実体を維持できなくなり、武装勢力化した。チェチェン・イチケリア共和国大統領を名乗っていた歴代指導者5名全員がロシア当局により殺害されている。
2007年に第5代大統領のドク・ウマロフが北カフカースにイスラム国家の建設を目指してカフカース首長国の建国を宣言し、カフカース首長国と強硬派の勢力に分裂した。しかし、チェチェン独立派の中には穏健な独立を目指すアフメド・ザカエフのような者もおり、ザカエフは2003年からイギリスに政治亡命してチェチェン独立のための政治活動を行っている。ザカエフはドク・ウマロフのカフカース首長国建国宣言後、従来のチェチェン独立派であるカフカース首長国政権からの亡命政権としてのチェチェン・イチケリア共和国首相への就任を宣言した。ロシアはザカエフを国際指名手配しておりイギリスに対して引渡しを求めている。
外交関係編集
1991年の独立宣言後、チェチェンの独立を承認した国家・政府は長らくなかったが、2000年にグロズヌイの陥落が決定的になると、アフガニスタンのタリバン政権(アフガニスタン・イスラム首長国)が初めて独立を承認した。首都カブールに国外で初めての大使館が設置された。この大使館は亡命政府として機能したが、2001年にタリバン政権が崩壊すると大使館も閉鎖された。