アフガニスタン

中央・南アジアにある国家
アフガニスタン・イスラム首長国
د افغانستان إسلامي امارت
アフガニスタンの国旗 Arms of the Islamic Emirate of Afghanistan.svg
国旗 国章
国の標語:لا إله إلا الله، محمد رسول الله
アラビア語:アッラーフの他に神はなし。ムハンマドはアッラーフの使徒である。
国歌دا د باتورانو کور
Dā də bātorāno kor
アフガニスタンの位置
公用語 パシュトー語ダリー語
首都 カーブル
最大の都市 カーブル
政府
最高指導者(アミール・アル=ムウミニーン)英語版 ハイバトゥラー・アクンザダ
首相 ムハンマド・ハッサン・アフンド(暫定)
第一副首相アブドゥル・ガニ・バラダル(暫定)
第二副首相アブドゥル・サラム・ハナフィー(暫定)
第三副首相アブドゥル・カビール英語版(暫定)
面積
総計 652,225km240位[5]
水面積率 極僅か
人口
総計(2020年 3892万8000[6]人(37位
人口密度 59.6[6]人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2019年 1兆4695億9600万アフガニ[7]
GDP(MER
合計(2019年188億7600万 [7]ドル(109位
1人あたり 586.204 [7]ドル
GDP(PPP
合計(2019年818億7300万 [7]ドル(100位
1人あたり 2,542.644 [7]ドル
変遷
ドゥッラーニー帝国建国1747年6月/7月[8]
アフガニスタン首長国建国1823年3月14日
英国による保護国1879年5月26日
英保護国より独立1919年8月19日
アフガニスタン王国成立1926年6月9日
アフガニスタン共和国成立1973年7月17日
アフガニスタン民主共和国成立1978年4月28日
アフガニスタン・イスラム国成立1992年4月28日
アフガニスタン・イスラム首長国成立1996年9月7日
アフガニスタン・イスラム共和国成立2004年
アフガニスタン・イスラム首長国成立2021年8月15日
通貨 アフガニAFN
時間帯 UTC+4:30 (DST:なし)
ISO 3166-1 AF / AFG
ccTLD .af
国際電話番号 93

アフガニスタン・イスラム首長国(アフガニスタン・イスラムしゅちょうこく、パシュトー語: د افغانستان إسلامي امارت、英語: Islamic Emirate of Afghanistan)、通称アフガニスタンダリー語: افغانستانパシュトー語: افغانستان英語: Afghanistan)は、中央アジア南アジアの交差点に位置する山岳地帯の内陸国である。東と南にパキスタン、西にイラン、北にトルクメニスタンウズベキスタンタジキスタン、北東ではワハーン回廊中国国境を接している[9]多民族国家で、周辺国と民族やイスラム教宗派でつながりが深いパシュトゥーン人ウズベク人タジク人ハザーラ人などが暮らす[9]日本の外務省による解説では西アジアに分類され[10]中東の東端と位置付けられることもある[11]首都は人口最大の都市のカーブル。面積は65万2,000平方キロメートルで、北部と南西部に平野部がある山岳国となっている。

2021年8月15日にターリバーンが行政を事実上掌握、8月19日にアフガニスタン・イスラム首長国の建国が宣言された。

国名編集

2021年までの正式国名はアフガニスタン・イスラム共和国(アフガニスタン・イスラムきょうわこく、ダリー語: جمهوری اسلامی افغانستانパシュトー語: د افغانستان اسلامي جمهوريت英語: Islamic Republic of Afghanistan)であったが、この国号を使用した政府は同年8月15日ターリバーンの攻勢によって事実上崩壊した。同年8月19日ターリバーンスポークスマンザビフラ・ムジャヒドTwitterアフガニスタン・イスラム首長国(アフガニスタン・イスラムしゅちょうこく、パシュトー語: د افغانستان إسلامي امارت、英語: Islamic Emirate of Afghanistan)が成立することを宣言した[12][13]

自称国名はافغانستان (Afghānistān ; アフガーニスターン)。ペルシア語ダリー語で「アフガーン人の国(土地)」を意味する。アフガーン人とはパシュトゥーン人の別名であるが、実際にはパシュトゥーン人の割合は50%に満たず、数多くの民族が居住している。正式名称は1973年の王制打倒以来政体が変化するごとに新政権によって改められてきたが、ターリバーン政権崩壊後のロヤ・ジルガ(国民大会議)で定められた2004年憲法による正式名称はダリー語で、جمهوری اسلامی افغانستانラテン文字転写 : Jomhūrī-ye Eslāmī-ye Afghānestān , 読み : ジョムフーリーイェ・エスラーミーイェ・アフガーネスターン)という。

通称アフガニスタン漢字表記阿富汗斯坦または亜富汗斯坦

国旗編集

アフガニスタン・イスラム首長国の国旗
 
用途及び属性 国旗
縦横比 1:2
使用色

2021年8月15日現在のアフガニスタンの国旗は、1997年10月27日にターリバーン政府によって制定されたものである。2001年の米軍侵攻後に成立したカルザイ政権の時代に排除され、以後20年間にわたりアフガニスタン王国時代の3色旗が国旗として使用されたが、ターリバーンの政権復帰に伴いモノトーンの旗が国旗として使われるようになった。 白地に黒文字で、大きくシャハーダが書かれている[14]

歴史編集

先史時代編集

紀元前10万年旧石器の文化があった。

紀元前7000年新石器の文化があった。 少なくとも5万年前には現在のアフガニスタンには人間が住んでいた。9,000年前に定住生活が始まり、紀元前3千年紀のインダス文明(ショルトゥガイ遺跡)、オクサス文明(ダシュリジ遺跡)、ヘルマンド文明(ムンディガク遺跡)へと徐々に進化していった[15]紀元前3000年から紀元前2000年にかけて四大文明が起こり、都市文化が生まれつつあった。その背景には農耕文化の発展があった。アフガニスタンは、先史時代からイラン高原メソポタミアの諸文化と早くからつながりがあり、また、インダス文明とも交流があった[16]

紀元前2000年から紀元前1800年青銅器時代で、ムンディガク遺跡[注釈 1]、デー・モラシ・グンダイ遺跡が見つかっている。また、バクトリア地方から出土した数体の石製女性像が見つかっている。

紀元前12世紀、『リグ・ヴェーダ』によれば、十王戦争が勃発し、バルフからパンジャブへ侵攻した。 インド・アーリア人バクトリア・マルギアナ地方を経てガンダーラに移住し、ゾロアスター教の古代宗教書『アヴェスター』に描かれている文化と密接な関係がある[18]鉄器時代のヤズ1世文化(紀元前1500〜1100年頃)が興った[19]。「アリアナ」と呼ばれていたこの地域は、紀元前6世紀にアケメネス朝ペルシャ人の手に落ち、その東側のインダス川までの地域を征服した。アレキサンダー大王は前4世紀にこの地域に侵入し、カブール渓谷での戦いの前にバクトリアでロクサネと結婚したが、アスパシオイ族やアサカン族の抵抗に遭ったという。グレコ・バクトリア王国ヘレニズム世界の東端となった。マウリヤ朝インド人による征服の後、この地域では何世紀にもわたって仏教ヒンドゥー教が栄えた。カピシとプルシャプラの双子の都を支配したクシャーナ朝カニシカ1世は、大乗仏教中国や中央アジアに広まる上で重要な役割を果たした。また、この地域からは、キダール、エフタル、アルコン、ネザーク、ズンビール、トルキ・シャヒスなど、様々な仏教王朝が生まれた。

ペルシア・ギリシア・インド文化の時代編集

サーサーン朝の支配下にあったヘラートとザランジには、7世紀半ばにムスリムがイスラム教をもたらし、9世紀から12世紀にかけて、サッファール朝、サマニー朝、ガズナ朝ゴール朝の時代に本格的なイスラム化が進んだ[20]。その後、クワーラズミアン朝、ハルジー朝ティムール朝ローディー朝スール朝ムガル帝国サファヴィー朝などに支配された地域もある。

ペルシアとアレクサンドロス大王の支配編集

 
紀元前5世紀ごろ、アラコシア英語版には古代民族Pactyans英語版が住んでいた

紀元前6世紀アケメネス朝ペルシャ帝国に編入され、アレイヴァヘラート)、アラコシア英語版(カンダハール、ラシュカルガークエッタ)、バクトリア(バルフ)、サッタギディア英語版ガズニー)、ガンダーラカーブルジャラーラーバードペシャーワル)の地方名で呼ばれた。カンダハルの旧市シャル・イ・コナ英語版の発掘によって、紀元前6世紀にはこの町が既にアフガニスタン南方の首邑になっていたことが明らかになった。

紀元前5世紀頃、アラコシア英語版には古代民族Pactyans英語版が住んでいたことがサンスクリット古代ギリシャ語文献から知られている。

紀元前4世紀アレクサンドロス3世(大王)はこの地を征服し、アレクサンドリアオクシアナ(Alexandria on the Oxus)と呼ばれる都市を建設した[注釈 2][21]

南方のマウリア朝と北方のグレコ・バクトリア王国編集

紀元前3世紀中頃、アフガニスタン北部からタジキスタン南部にかけてはギリシャ人の建てたグレコ・バクトリア王国が支配した。

紀元前130年頃、インド・グリーク朝のメナンドロス1世が死んで国が分裂すると、サカ族ガンダーラ地方でインド・スキタイ王国を興した。

紀元前2世紀後半、匈奴に追われた遊牧民の月氏が侵入し、グレコ・バクトリア王国は滅びた。

1世紀以降、先の大月氏の立てたクシャーナ朝がこの地に栄える。この頃にはギリシア文化は影響力を失い、代わって南方のマウリヤ朝から流入したインド文化や仏教の影響が強く見られるようになる。4世紀ごろまでバクト商人シルクロード交易を掌握する。

3世紀末、クシャーナ朝に代わりサーサーン朝の支配がこの地に及ぶ。

5世紀前半、エフタルが興り、現在のアフガニスタンとパキスタンの地を支配する。

6世紀後半、アルタイ方面から南下してきた突厥による支配を受ける。

イスラーム化の進展編集

 
ゴール朝の時代に建てられたヘラートの大モスク英語版

8世紀初頭、イスラム帝国アッバース朝のイスラム教徒軍がハザールソグディアナに侵攻し(アラブ・ハザール戦争トランスオクシアナ征服英語版)、その支配下へ入る。751年タラス河畔の戦いによりイスラム商人がシルクロード交易を掌握する。ゾロアスター教や仏教、ヒンズー教の影響は、イスラム教が伝わった後も10世紀頃まで残存した。

9世紀中頃、再び土着イラン人によるターヒル朝サッファール朝サーマーン朝が興り統治する。

995年マームーン朝英語版のイスラム教徒軍が侵攻、アムダリヤ川右岸の古都キャトカタルーニャ語版ドイツ語版ペルシア語版に栄えていた土着のゾロアスター教国家であるアフリーグ朝英語版は滅亡した。

1017年ガズナ朝がマームーン朝を滅ぼした。10世紀以降、この頃からパシュトゥーン人の存在が確認され始める。

1117年、シャンサブ家がゴール朝を興し、シハーブッディーン・ムハンマドに仕えるクトゥブッディーン・アイバクは北インド征服事業を成功させ奴隷王朝を開いた。1215年ホラズム・シャー朝アラーウッディーン・ムハンマドによってゴール朝は滅亡した。

モンゴル帝国編集

モンゴルのホラズム・シャー朝征服のあと、アフガニスタンはモンゴル帝国およびチャガタイ・ハン国タジク人のクルト朝の支配を受ける。

ティムール朝編集

1370年頃、テュルク系のティムール朝による支配を受ける。1470年、ティムール朝が分裂しヘラート政権に移行。1507年ウズベク族シャイバーン朝ムハンマド・シャイバーニー・ハーンの攻撃によってティムール朝は滅亡する。

サファヴィー朝、ムガル朝、オスマン帝国の抗争編集

1510年サファヴィー朝イランによって征服される。1526年第一次パーニーパットの戦いカーブルを拠点とするティムール朝の王子バーブルがインドにムガル朝を建設。

1540年、北インドのスール朝がカンダハール、カーブルを占拠。1545年、ムガル帝国がカンダハール、カーブルを占拠。1556年第二次パーニーパットの戦いスール朝ヘームーを破る。

1623年、サファヴィー朝がカンダハールを奪還。1638年、ムガル帝国がカンダハールを占拠。1649年、サファヴィー朝がカンダハールを奪還。

アフガンの王家による統治の始まり編集

ホータキー朝編集

1709年、パシュトゥーン人ギルザーイー部族ミール・ワイス・ホータキー英語版が反乱を起こし、カンダハールにホータキー朝を樹立した。

1719年、ホータキー族のミール・マフムード英語版がサファヴィー朝のケルマーンに侵攻した。

1722年、ミール・マフムードがサファヴィー朝の首都イスファハーンを占拠(グルナーバードの戦い英語版)。マフムードがサファヴィー朝を支配下に治める。

1725年、シャー位が、マフムードから、アシュラフに代わる。

1729年アシュラフがアフシャール朝のナーディル・シャーに敗れ、ペルシアがアフガン支配下から脱した(ダムガンの戦い英語版)。

1736年アフシャール朝が成立。サファヴィー朝が消滅した。

現代のアフガニスタンの政治史は、1709年にアフガニスタン南部の独立を宣言したミルワイス・ホタックを始祖とするホータキー朝に始まる。1747年、アフマド・シャー・ドゥッラーニーカンダハールに首都を置くドゥッラーニー帝国を建国した。1776年、ドゥラーニー帝国の首都はカーブルに移され、ペシャーワルが冬の首都となった[22]が、1823年、ペシャワールはシーク教徒に奪われた。

ドゥッラーニー朝編集

サドーザイ朝編集
 
アフマド・シャー時代のドゥッラーニー朝の版図

1747年10月、パシュトゥーン人ドゥッラーニー部族連合のザドーザイ族長アフマド・シャー・ドゥッラーニーによるドゥッラーニー朝が成立した。

1757年マラーターのインド北西部侵攻英語版パンジャーブが占領された。

バーラクザイ朝編集

1826年、ドゥッラーニー系部族の間で王家が交代し、バーラクザイ朝が成立。1834年に国名をアフガニスタン首長国とする。

1838年 - 1842年第一次アフガン戦争でイギリスに勝利した。

イギリス保護国期編集

 
左からJenkyns、Cavagnariヤアクーブ・ハーン英語版、Daoud Shah、Habibullah Moustafi(ガンダマク条約英語版1879年

19世紀後半、アフガニスタンは英露の「グレート・ゲーム」の緩衝国となった[23][24]。1839年から1842年にかけての第一次アングロ・アフガン戦争では、英領インドから来たイギリス軍がアフガニスタンを制圧したが、その後、イギリス軍が大敗して撤退した。1878年から1881年に起こった第二次アングロ・アフガン戦争でもイギリス領インド帝国駐留のイギリス軍が、アフガニスタンに侵攻した後に駐留し、自立支配を認めるが外交権はイギリスに委ねる条件で撤退した。

シール・アリー・ハーン在位時に起きた第二次アフガン戦争1878年 - 1880年)のカンダハールの戦い英語版でアフガニスタン首長国はイギリスに敗れ、ガンダマク条約英語版でその保護国となった。英露はアフガニスタンを新たな緩衝国家として中央アジアで対峙した。

1885年、イギリスとロシア帝国との間でパンジェ紛争英語版が起きる。イギリスは朝鮮半島沖の巨文島巨文島事件を起こし、ロシアを牽制した。

1893年、パキスタンとの国境線デュアランド・ラインにアフガニスタン首長国とイギリスが合意。1895年チトラル遠征英語版

アフガンの王家による再独立編集

1919年の第三次アングロ・アフガン戦争の後、アフガニスタンは外国の影響から独立し、アマーヌッラー・ハーンの下で君主制となる。しかし、1973年にザーヒル・シャーが倒され、アフガニスタン共和国 (1973年-1978年)が樹立された。 1919年第三次アフガン戦争に勝利したアマーヌッラー・ハーンはイギリスからの独立を達成し、独立した君主として即位した。1926年、国名をアフガニスタン王国とする。同年、オーレル・スタインインダス川上流およびスワート川英語版流域(デュアランド・ライン)を調査旅行した。アマーヌッラーは、トルコ共和国の新指導者ケマル・アタテュルク世俗主義民族主義共和主義を柱とする改革に影響され、同様の改革を推進したが、宗教改革に反対する保守派の蜂起が相次いだ。

王妃ソラヤ・タルズィー英語版は近代化のひとつとして家庭内での女性の地位向上を図ったが、アフガニスタンの歴史上初めて登場した女性の統治者に対して、保守派の激しい反対があった。

タジク人の指導者ハビーブッラー・カラカーニー英語版は、イギリスから資金と武器の支援を受けてカーブルを占領し、アマーヌッラー政権を打倒した(アマーヌッラー・ハーンの改革と内戦ペルシア語版ノルウェー語版英語版)。

1929年、バーラクザイ王家の分家筋にあたるムハンマド・ナーディル・シャーが混乱を収めて、国王(アミール)に就任。

1931年に制定した新憲法の第一条でスンナ派ハナフィー学派国教に定めた。この条文が国内少数派のシーア派に対する反ハザラ人政策の法的根拠となったことで恨みを買い、1933年11月8日に暗殺された。同日、息子のザーヒル・シャーが即位した。

第二次世界大戦編集

1939年9月に開戦した第二次世界大戦では、1941年10月にイギリスとソビエト連邦両国はナチス・ドイツイタリアなど枢軸国外交官民間人国外退去を要求した。これに対しアフガニスタン政府は、枢軸国のみならず交戦中の全ての国の外交官以外の民間人に国外退去を命じた。

このように、ザーヒル・シャー国王の統治下で、英領インドとソ連、中華民国に挟まれた中央アジアにおける緩衝国家として、日本やドイツ、イタリアや満洲国などからなる枢軸国、イギリスやアメリカ、ソ連と中華民国などからなる連合国の、どちらにもつかない中立国として1945年9月の終戦まで機能していた。

冷戦編集

パシュトゥーニスタン独立運動編集

1947年にイギリスのインド統治が終了すると、バルチスタン地方は「もともとインドの一部ではない」ためインドやパキスタンには参加しなかった。イギリスやパキスタンもカラート藩王国英語版の独立を認めたうえで、パキスタンとは特別の関係を結ぶことを模索し、1952年にバルチスタン藩王国連合英語版として独立させた。

しかし、その後のパキスタンからの軍事的圧迫(バルチスタン紛争英語版)に抗すことができず藩王は併合条約に調印し、パキスタンに軍事併合された。その後もしばらく内政自治は続いていたが権限は大幅に縮小され、1955年には藩王国自体が名目上も消滅させられ、バローチスターン州とされた。

パキスタンがバルチスタンのみならずアフガニスタンも併合しようとしたため、国王ザーヒル・シャーは逆にパキスタン領(連邦直轄部族地域ワズィーリスターン)内のパシュトゥーン人を支援して「パシュトゥーニスタン英語版独立運動」を起こし牽制した。

ザーヒル・シャーは、1960年代には立憲君主制を導入して民主化路線を推進し、日本やイギリス、ソ連などからの資本の導入や輸入品の導入を推進した。

王政廃止と社会主義政権の樹立編集

 
首都カーブルに展開するソ連の空挺兵

1978年、2度目のクーデターにより、アフガニスタンは初めて社会主義国家となった。1980年代には社会主義政権とそれを支援するソビエト連邦軍と、ムジャーヒディーンの反乱軍とのアフガニスタン紛争 (1978年-1989年)が勃発した。

1973年、ザーヒル・シャーがイタリアでの病気療養のため、国を離れていた隙を狙い、旧バーラクザイ王族のムハンマド・ダーウードがクーデターを起こし王政を廃止、共和制を宣言して大統領に就任、アフガニスタン共和国を建国した。ダーウードはアフガン社会の近代化と軍事近代化を目指し、ソ連に接近してイスラム主義者たちを弾圧する。このときパキスタンに脱出したヘクマティヤールヒズベ・イスラーミー英語版(ヘクマティヤール派)を結成し、イスラム主義のラッバーニーらはジャマーアテ・イスラーミーペルシア語版ロシア語版英語版(イスラム協会、ラッバーニー派)を結成した。

1978年4月、アフガニスタン人民民主党主導による軍事クーデター「四月革命」が発生し、ダーウードおよび一族が処刑される。人民民主党による社会主義政権が樹立し、国名をアフガニスタン民主共和国に変更、ヌール・ムハンマド・タラキーが初代革命評議会議長兼大統領兼首相に就任し世俗化を推し進めた。これに対し、全土でイスラム主義ムジャーヒディーンが蜂起、アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)が始まる。アメリカ合衆国は反共を名目としたサイクロン作戦によりムジャーヒディーンを資金援助して後押しした。政情が不安定化する中、1979年2月に隣国でイラン革命が勃発。 同年9月17日には、ヌール・ムハンマド・タラキーが副首相のハフィーズッラー・アミーン一派に殺害され、アミーンが革命評議会議長兼大統領兼首相に就任。政変はタラキー側がアミーン謀殺に動いたが失敗し、逆に巻き返された結果とも報道された[25]

ソ連軍によるアフガニスタン侵攻編集

1979年12月24日、ソ連はアフガニスタンへ軍事侵攻を開始した。ソビエト連邦共産党書記長ブレジネフが、領内の中央アジア諸国にイスラム原理主義が飛び火することを恐れての侵略であるとされているが、米国カーター政権ズビグネフ・ブレジンスキー国家安全保障問題担当大統領補佐官がソ連の介入を誘い込んだと言われている。12月27日、ソ連はムジャーヒディーンを抑えられないアミーンをKGBを使って暗殺、バブラク・カールマル副議長を革命評議会議長兼大統領兼首相に擁立する。ソ連軍および政府軍とこれに抵抗するムジャーヒディーンとの戦闘が激化する。

1982年国連総会において、外国軍の撤退を要求する国連決議(37/37)が採択される。

1987年ムハンマド・ナジーブッラーが大統領に就任。国名をアフガニスタン共和国に戻す。

1988年、「アフガニスタンに関係する事態の調停のための相互関係に関する協定」が締結。ソ連軍の撤退と国際連合アフガニスタン・パキスタン仲介ミッション設置が決定される。

1989年、ソ連軍撤退完了。各国から参加したムジャーヒディーンの多くも引き上げた。しかし、戦後も国内のムジャーヒディーン各派は人民民主党政府打倒を目指して武装闘争を続けた。

ソ連軍の撤退後、ターリバーン政権の統治編集

 
カーブルでインタビューを受けるビン・ラーディン1997年
 
1996年時点のアフガニスタン、赤と緑の北部同盟、黄色がターリバーンの支配地域

1996年までに、国の大部分がイスラム原理主義勢力のターリバーンに取り込まれ、全体主義的な政権によって支配された。 1989年、ソ連軍撤退後の国内支配をめぐってアフガニスタン紛争 (1989年-2001年)が始まる。2月にアフガニスタン国内のムジャーヒディーン各派はシブガトゥッラー・ムジャッディディーを暫定国家元首に指名、ジャラーラーバードの戦いでナジーブッラーが率いる人民民主党政府と戦うも敗北する。

1992年、ナジーブッラー政権崩壊。ムジャーヒディーンのジャマーアテ・イスラーミーペルシア語版ロシア語版英語版(イスラム協会、ラッバーニー派)主導によるアフガニスタン・イスラム国が成立。

1993年、イスラム協会のブルハーヌッディーン・ラッバーニー指導評議会議長が大統領に就任。

1994年、内戦が全土に広がる。ターリバーン、パキスタンの北西辺境州(旧北西辺境州英語版がパキスタン領となったもの)から勢力を拡大。

1996年、ターリバーンがカーブルを占領し、アフガニスタン・イスラム首長国の成立を宣言する。アフガニスタン・イスラム国政府とムジャーヒディーンの一部が反ターリバーンで一致、北部同盟[注釈 3]マスード派とドスタム派)となる。同年、米国の指示によりスーダン政府はウサーマ・ビン=ラーディンの国外追放を実行、ビン=ラーディンの率いるアル・カーイダがアフガニスタン国内に入り、ターリバーンと接近する。

1997年、第一次マザーリシャリーフの戦い英語版でターリバーンが敗北。

1998年、第二次マザーリシャリーフの戦いでターリバーンが勝利。ドスタム派を駆逐してアフガン全土の9割を掌握するが、イラン領事館員殺害事件が発生。イランとターリバーンの双方が国境付近に兵を集結させ、一触即発の危機を招いたが、ラフダル・ブラヒミ国連特使の仲介により危機が回避された[27]。また、ケニアタンザニアで起きたアメリカ大使館爆破事件に伴うアル・カーイダ引き渡し要求をターリバーンが拒否したため、アメリカとの関係が緊張化する。

1999年、ターリバーン支配地域に対する経済制裁を定めた国際連合安全保障理事会決議1267英語版が採択される。

2000年、ターリバーン支配地域に対する追加経済制裁を定めた国際連合安全保障理事会決議1333英語版が採択される。

2001年3月2日、ターリバーンがバーミヤンの石仏を爆破する。9月10日、北部同盟のアフマド・シャー・マスード司令官が、自称アルジェリア人ジャーナリスト2名による自爆テロで死亡した。9月16日、マスードの遺体が故郷パンジシールで埋葬された。ターリバーン情報省が全土要塞化を宣言し、徹底抗戦姿勢を示す。9月25日サウジアラビアがターリバーンとの断交を決定。9月26日、閉鎖されたままのアメリカ大使館が、カーブル市民によって襲撃される。

テロとの戦い編集

多国籍軍による攻撃と暫定政権の樹立編集

 
アフガニスタンに向けて発射されるミサイル

2001年のアメリカ軍侵攻後にターリバーンは権力から排除されたが各地で勢力を温存。政府とターリバーンとの間で続いている戦争は、アフガニスタンの人権や女性の権利に関する問題をさらに悪化させた。一般市民の殺害、誘拐、拷問など、双方による多くの虐待が行われている。

2001年10月2日アメリカ同時多発テロ事件を受けて北大西洋条約機構(NATO)がアルカーイダを匿うターリバーン政権に対して自衛権の発動を宣言。10月7日アメリカ軍不朽の自由作戦の名の下で空爆を開始、イギリスも参加。北部同盟も地上における攻撃を開始。これよりアフガニスタン紛争 (2001年-2021年)が開始される。11月13日、北部同盟は、無血入城でカーブルを奪還した。年末にターリバーン政権崩壊。11月22日、パキスタン政府、ターリバーンとの断交を決定し、駐イスラマバードアフガニスタン大使館を閉鎖した。11月27日、空爆が続くなか、国連は新政権樹立に向けた会議をドイツのボン郊外で開催した。会議には北部同盟、国王支持派のローマ・グループ、キプロス・グループ、そしてペシャーワルからのグループが参加した[注釈 4]11月29日、行政府に相当する暫定行政機構の設立案について合意した。12月5日、暫定行政機構人事で各派間の確執があったが、国連の調整で、議長にパシュトゥーン人のハーミド・カルザイを据え、暫定政権協定の調印が実現した(ボン合意)。アフガニスタン主要4勢力、暫定政権発足とその後の和平プロセスで合意。国際連合安全保障理事会決議1386にもとづき国際治安支援部隊(ISAF)創設、カーブルの治安維持にあたる。また国際連合安全保障理事会決議1401により、国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)がスタート。アフガニスタン暫定行政機構が成立し、ハーミド・カルザイが議長となる。

新共和国成立編集

 
移動する有志連合の部隊(ルーマニア軍、2003年)

2001年12月22日、カーブルで暫定政権発足の記念式典が挙行された。約3,000人が出席し、ラバニ大統領からカルザイ暫定行政機構議長に政権が委譲される形で執り行われ、カルザイが暫定政権の首相となった。カルザイは国民に平和と法をもたらすことを誓い、言論と信教の自由、女性の権利の尊重、教育の復興、テロとの戦いなど13項目の施政方針を発表した。暫定政権の閣僚は29名[注釈 5]で構成され、うち北部同盟が19ポスト[注釈 6]、元国王支持派が8ポスト[注釈 7]、ペシャワル派が2ポスト[注釈 8]占めた。

2002年1月21日、日本の東京でアフガニスタン復興支援会議が開催された。約60各国と22の国際機関の代表が出席した。これに先立ちNGO59団体による会議も開かれた。日本は2年で5億ドル、アメリカは1年で2億9,600万ドル、サウジアラビアは3年で2億2,000万ドル、欧州連合は1年で5億ドル、ドイツは5年で3億5,000万ドル、イギリスは5年で3億7,200万ドルの拠出を決定し、世界銀行とアジア開発銀行はそれぞれ2年半で5億ドルの拠出を決定した。また周辺各国は、イランが1年で1億2,000ドル、パキスタンは5年で1億ドル、インドも1年で1億ドルの支援を発表した。各国の支援総額は30億ドルを超えた。さらに支援は、行政能力の向上や教育、保健衛生、インフラ、経済システム、農業および地方開発、地雷撤去などの作業を実施し、定期的に復興運営会議をカーブルで開催することなどを決定した。2月14日アブドゥール・ラフマン航空観光大臣がカーブル国際空港で自国民に撲殺される。6月10日 - 6月19日、緊急ロヤ・ジルガ(国民大会議)が開催され[注釈 9]、1,500人以上の代表が参加した。6月13日、国家元首(大統領)を決める選挙が緊急ロヤ・ジルガで行われ、ハーミド・カルザイが圧倒的多数の票を獲得し当選した[30]6月15日、今後2年間の国名を「アフガニスタン・イスラム暫定政府」に決定する。 6月19日、新暫定政府主要14閣僚と最高裁判所長官の名簿を公表。副大統領にファヒーム国防相・アブドゥッラー外相・アシュラフ・アリー財務相(カルザイ顧問兼任)らが兼任。ザーヒル・シャーの閉会宣言でロヤ・ジルガ閉会する。7月1日、米軍が南部ウルズガン州で誤爆。市民48人死亡、117人が負傷する。

 
カルザイ大統領の就任式(2004年)右奥に着席しているのはザーヒル・シャー元国王

2004年1月、新憲法が発布された[31]10月9日、第一回の大統領選挙が行われ、12月7日にハミード・カルザイが大統領に就任した[32]。同年3月、パキスタンでワジリスタン紛争が勃発した。

2005年9月、下院議員選挙や州議会選挙が行われ、国家統治機構の整備が完了した[31]。12月、国会が開会した[31]

2006年、南部・南東部・東部を中心にターリバーンの攻撃が増加した[33]。7月、国際治安支援部隊(ISAF)が国内全土に展開した[34]

2007年、前年に引き続きターリバーンの攻撃が増加した[35]

2008年、治安が著しく悪化し、南部や東部だけでなく首都カブールの近隣でもターリバーンの攻撃が行われた[36]。8月にはアフガニスタン日本人拉致事件が起きた。

2009年8月、第二回の大統領選挙が実施された。カルザイが過半数の票を得るが、国連の調査で不正が発見される。2位のアブドラ前外相が決選投票をボイコットしたため、11月に行われた決選投票でカルザイの再選が決定した[37]。一方、ターリバーンは「比較的安定していた地域の不安定化を招き、市民の犠牲を顧みない、より洗練され、かつ複合的な攻撃を増加させて」おり、即席爆発装置(IED)による攻撃が急増した[38]。同年、アメリカ合衆国のバラク・オバマ大統領は3回の増派を行った(1万7000人[39]、4000人[40]、1万3000人[41])。アメリカ合衆国の駐留軍の総数は6万8000人に達し[41]、その中から国際治安支援部隊(ISAF)に1万人以上が追加派遣された[38]

第二回大統領選挙後編集

2010年1月、カルザイ政権の外務・内務・国防・財務の4主要閣僚が確定した[42]。同年、国際治安支援部隊(ISAF)は4万5000人以上が増員され、49か国・約13万人に達した[43]。国際治安支援部隊(ISAF)は積極的に作戦行動を行ったので、戦争は更に激しくなり国際治安支援部隊(ISAF)や民間人の死傷者が急増した[44][45]。6月、アメリカ合衆国の駐留軍司令官のスタンリー・マクリスタルが政権批判により解任された[46]。7月、国際治安支援部隊(ISAF)からアフガニスタン政府への治安権限の移譲が始まった[47]9月18日第二回の下院議会選挙が実施された[48]。同年、カルザイ大統領がターリバーンとの和平を目指す高等和平評議会を発足させた[44]。2010年の経済成長率は22.5%に達した[43]

2011年5月2日、アメリカ軍がパキスタンでビン=ラーディンを殺害した(ウサーマ・ビン・ラーディンの殺害[49]。同年、アメリカ合衆国の駐留軍は約10万人に達したが[50]、年内に1万人、2012年夏までに3万3000人の兵員を削減すると発表した[47]

2012年7月、日本国政府は「アフガニスタンに関する東京会合」を開催し、アフガニスタン政府が統治を改善し開発戦略を自発的に実施する代わりに、国際社会がアフガニスタンに対して2015年まで160億ドルを超える支援を行うことを約束した。12月、依然として約10万人の国際治安支援部隊(ISAF)がアフガニスタンに展開していた[51]。一方、同年のアフガニスタンの腐敗認識指数は167か国中の最下位だった[52]

2013年6月、国際治安支援部隊(ISAF)からアフガニスタン政府への治安権限の移譲の対象が全国に拡大した[53]

2014年4月、第三回の大統領選挙が実施され、9月29日アシュラフ・ガニーがアフガニスタン第二代大統領に就任した。これはアフガニスタン史上初の民主的な政権交代だった[54]。大統領選挙の決選投票で敗れたアブドラ・アブドラ元外相も首相格の行政長官に就任し、ガニー大統領と政治権力を分け合う国家統一政府(NUG)が発足した。12月、国際治安支援部隊(ISAF)が終了した[54]。多国籍軍はアフガニスタン安全保障協定(BSA)やNATO・アフガニスタン地位協定(SOFA)によりアフガニスタンに残留するが確固たる支援任務に移行し、治安はアフガニスタン治安部隊(ANSF)が独力で維持することになった[54]

第三回大統領選挙後編集

2015年1月、イスラム国が「ホラサン州」(ISIL-K)の設置を宣言し、アフガニスタンで活動を始めた[55]。7月、ターリバーンとアフガニスタン政府の和解協議が開催されたが、ターリバーンの指導者ムハンマド・オマルの死亡が公表され中断した[56]。国家統一政府は大統領選挙から1年が経過しても全閣僚を任命できず、国防相の就任を議会に否決され、国内の治安に責任を持てないでいた[56]2015年9月28日、ターリバーンはアフガニスタン第5の都市クンドゥーズを一時的に占領した(クンドゥーズの戦い)。衝撃を受けたアメリカ合衆国大統領バラク・オバマはアメリカ軍(9800人)の完全撤退を断念した[50]。また選挙制度改革の遅れにより予定されていた下院議員選挙は実施できず、GDP成長率も1.3%に鈍化した[56]

2016年1月11日、アフガニスタンとパキスタン、中国、アメリカがターリバーンとの和平を目指す4か国調整グループ(QCG)を設立したが[57]、ターリバーンは和平交渉を拒否した[58]。国家統一政府ではガニー大統領とアブドラ行政長官との関係が悪化し、閣僚7人が弾劾された。9月、ヘクマティアル派との和解合意が成立した[59]

2017年5月、カーブルのドイツ大使館の近くで大規模テロが発生し、300人以上が死傷した[60]。8月、アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプは『対アフガニスタン・南アジア戦略』を発表し[60]、状況の悪化を防ぐために増派(約4000人)を決定した[61]。10月、アフガニスタン政府の支配地域は407郡中231郡(57%)にすぎないことが判明した。政府とターリバーンは122郡(30%)の支配を争っており、ターリバーンが54郡(13%)を支配していることが分かった。ターリバーンの支配地域は2015年11月から2017年8月の間に倍増しており、紛争地域も1.4倍増加した。ウルズガーン州(7郡中5郡)やクンドゥーズ州(7郡中5郡)、ヘルマンド州(14郡中9郡)の大半はターリバーンに支配されていた[62]。11月、北大西洋条約機構(NATO)は確固たる支援任務(約1万3000人)に対して3000人の増派を決定した[63]

2018年6月、ターリバーンとの間で史上初めての3日間の一時停戦が実現した[64]。8月、ターリバーンの猛攻によりガズニー州の州都が陥落寸前になった。10月、第三回の下院議員選挙が実施された。

2019年1月の時点で、ターリバーンがアフガニスタンの郡の12%を掌握・勢力圏内に入れている[65]。ターリバーンの勢力が拡大しつつあるという見解も示された[66]。8月、アメリカ合衆国とターリバーンとの間で8回目の和平協議が行われた(アフガニスタン和平プロセス)。9月、第四回の大統領選挙が実施された。12月4日にはナンガルハル州ジャララバードで同地を拠点に灌漑事業を展開していたペシャワール会代表の中村哲が殺害された[67][68]

2020年2月28日、アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプは、駐留米軍を撤退させることでターリバーンと合意した。[69]

 
ポンペオ米国務長官とアブドゥル・ガニ・バラダルの会談 2020年9月12日

2020年5月17日、昨年の大統領選挙で次点だったアブドラ・アブドラアシュラフ・ガニー大統領で政治権力を分け合うことで合意文書に署名[70]

2021年4月、アメリカ合衆国大統領ジョー・バイデンは、2021年9月11日までに駐留米軍を完全撤退させると発表した[71]

 
ターリバーンと会談した中国外相の王毅

2021年7月にはターリバーンの代表団が訪中し、中華人民共和国外交部長(外相)の王毅と会談し、アブドゥル・ガニ・バラダルは「中国はアフガン人民が信頼できる友人だ」と述べた[72]

2021年ターリバーン攻勢前の政府はアメリカ合衆国の軍事・経済援助に大きく依存していることから、その従属国とも言われていた[73]

ターリバーンの再掌握編集

 
黒色がターリバーンの勢力図

アメリカ合衆国がアフガニスタンからの撤退を進める中、ターリバーンは主要都市を次々に制圧していた。

2021年8月15日には首都カーブルに迫り、全土を支配下に置いたと宣言した[74][注釈 10]。約20年間続いた民主政権側もアブドゥル・サタール・ミルザクワル内務相代行が平和裏に権力の移行を進めると表明した[75][76]。同日、アシュラフ・ガニー大統領がタジキスタンに向けて出国したと報じられた[77][78][79]が、タジキスタンは「ガニ氏を乗せた飛行機はタジキスタン領空に入っておらず、領土内に着陸もしていない」とし、ガニーの入国を否定した[80]

 
カブールでのターリバーン戦闘員 2021年8月17日

8月17日にターリバーンはアフガニスタン政府に「平和的降伏」を求め、政権移譲に向けた交渉を始めており、ビデオ声明を通じて勝利宣言した[81]。また同日、対タリバン戦を呼び掛けていたヘラートの軍閥の指導者イスマーイール・ハーンが一時的に拘束された[82]。 一方で、第一副大統領英語版アムルッラー・サーレハ英語版が憲法上の規定により、暫定大統領に就任すると発表した[83]。サーレハはターリバーンの勢力が及ばないパンジシール州に滞在しているとされ、同州のパンジシール渓谷を拠点としていたマスード将軍の息子アフマド・マスードと共に抵抗運動を呼び掛けていると報道があった[83]が、9月7日、ターリバーンは反勢力の最後の拠点を制圧したと宣言した。なお反ターリバーン組織は「まだ戦いは続いている」との声明を発表している。(民族レジスタンス戦線を参照)

アフガニスタン中央銀行の保有資産の多くは欧米の銀行で資産凍結されており、8月時点の現金残高は「ほぼゼロ」の状態で、国家予算の8割が米国など海外からの支援であった。こうしたターリバーンへの対処は金融制裁と同様の効果があるとされ、極端なイスラム治政を敷くタリバンに対し、国際社会との親和を促すとされる。トランプ政権で高官だった研究員は、米国は友好国と協調しながら資産凍結しなければならないとし、加えて、打撃を受けるの同国の一般市民に対しては継続した人道支援が必要とした[84]。 8月31日、アメリカ軍はアフガニスタンから完全に撤退した[85]

ターリバーン復権下の統治編集

2021年9月7日、ターリバーンは暫定政権の主要閣僚を発表。政権トップにはハッサン・アフンド、副首相にはアブドゥル・ガニ・バラダル、内相にはスィーラジュッディーン・ハッカーニ、国防相にはヤクーブが就任[86]。あわせて勧善懲悪省の復活というターリバーン色の強い政治姿勢も明らかにした[87]。閣僚の多くはパシュトゥーン人であり、女性の起用は無かった[88]。翌9月8日には大臣らが各省庁で就任演説を行う予定であったが、情報・文化省の例では職員約850人のうち20人ほどしか出勤せず、ターリバーンが政府として機能するには、なお時間を要することが示唆された[89]。 また、2021年9月21日に始まった国際連合の総会には、ガニ政権が任命したグラム・イサクザイ国連大使が代表として職務を続けた[90]

政治編集

1919年にアマヌラ・カーン国王が第3次アングロ・アフガン戦争後に王位に就き、イギリスの影響力は終わった。ザヒル・シャー国王が海外渡航中にムハンマド・ダウド・カーンが奪取したがカーンは後に暗殺され共産主義のアフガニスタン人民民主党(PDPA)が政権を取った。ムハンマド・ナジーブッラー政権時に安定を見せた。

2005年に国民議会が選出され、その後も2010年に選出された。選挙で選ばれた中には、元ムジャーヒディーン、イスラム原理主義者や改革派、共産主義者など、そして数人のターリバーンが含まれたが、選出された議員の内、憲法で保障された数を3%上回った約28%が女性で、これはアフガニスタンが立法府における女性参政権の面で主要な国であることを意味していた。2004年にはハミド・カルザイが、2014年にはアシュラフ・ガニがアフガニスタン大統領に選出された。、アブドラ・アブドラがアフガニスタンの最高経営責任者(CEO)に就任。 2021年のターリバーンの攻勢時ガニ大統領は逃亡。ハッサン・アフンドはアフガニスタンの復活したイスラム首長国の臨時首相となり、9月7日には閣僚31人の名簿を発表した[91]

国際関係編集

2022年2月時点で、アフガニスタン・イスラム首長国を国家として承認している国は存在せず、国際的に国家の承認を受けたアフガニスタン・イスラム共和国は事実上崩壊している。アフガニスタンは、国連イスラム協力機構南アジア地域協力連合77ヶ国グループ経済協力機構非同盟運動に加盟している。

軍事編集

 
アフガニスタン国軍

起源は18世紀初頭のホーターキ朝やドウッラーニー帝国の軍隊であるとされる。1880年代のアブドゥッラフマーン・ハーン統治時代に近代的な軍隊が創設された。第一次・第二次世界大戦では中立を保ったが1978年に始まったアフガニスタン紛争で弱体化し、ソ連軍の撤退後はムジャーヒディーンによって分割され、その後のターリバーン政権下では徴兵制度が採用された。2001年にアメリカなど多国籍軍のアフガニスタン侵攻が始まると、ターリバーン政権の国軍は消滅したかに思われた。アメリカは20年間で830億ドル以上[92]を投じて、民主政府の国軍再建を支援したが、ターリバーンの攻勢に伴い崩壊した。

地理編集

 
アフガニスタンの地図
 
アフガニスタンにおけるケッペンの気候分布図
 
アフガニスタン国土の高度分布図
灰色に写っている部分は高度3,000メートルを越えており、白が強くなるほど高度が上がる。この部分がほぼヒンドゥークシュ山脈に相当する

もともとの国土はパキスタン北部まで広がっていたが、平野部はイギリスにより引きちぎられ、現在は山岳地帯が大部分を占めている。北部や南西部にはわずかに平野部がある[注釈 11]。最も標高の高い地点は、海抜7,485メートルのノシャック山である。国土の大半は乾燥しており、真水の入手できる場所は限られているが、水系は、アム・ダリア水系、ハリ・ルー水系、ヘルマンド・アルガンダ水系の四つに大別できる。ヒンドゥー・クシュの中心山系から国土を潤す三つの川が流れていて、一つは東流してインダス川に合流するカーブル川、もう一つは南流してハムーン沼沢地に消えるヘルマンド・アルカンダブ川、さらにもう一つは西流してカラクム砂漠に消えるハリ・ルード川(Hari Rud River)である。

気候編集

気候は大陸性で、乾燥気候かつ夏乾冬雨となっている。内陸国である事と標高が高いために緯度の割に一部低地地域を除く全土に渡って寒さが非常に厳しく南西部と北部のトルクメニスタン国境部が砂漠気候、中部はステップ気候亜寒帯気候、一部が地中海性気候となっており、北東部には高山ツンドラ気候も広がり、ワハーン回廊では1月の平均気温は氷点下15度以下に達する。

年間降水量は少なく冬季に集中するために雪が多くなる地域も多い。東部のヌーリスターン州のみモンスーンの影響を受けて夏季にも降水量が多くなる。山岳部では降雪も多くなり積雪は数メートルに達することも珍しくなく、しばしば雪崩が発生する。夏は暑く過去最高気温は2009年8月にファラーで観測された49.9。一方、冬は寒くシャラックで1964年1月に氷点下52.2度の記録がある等、氷点下40度以下の冷え込みとなることもある。また地震が頻繁に発生している。

年平均降水量は、国の南西部で75ミリ、マザーリシャリーフで213ミリ、東部のカズニーで213ミリ、サラング峠の上方で1,150ミリである[94]。主要都市は首都カーブルのほか、西部のヘラート、東部のジャラーラーバード、北部のマザーリシャリーフクンドゥーズ、南部のカンダハールなどである。

アフガニスタン各地の平年値 (統計期間:1981–2010年) (出典:[95])
平年値
(月単位)
西部 南部 北部 中央高地 中部
ヘラート ファラー カンダハル ラシュカルガー マザリシャリフ シェベルガーン チャグチャラン バーミアン パンジャブ カーブル チャリカル
気候区分 BSk BWh BWh BWh BSk BSk Dsb BSk Dsb BSk BSk
平均
気温
(℃)
最暖月 28.1
(8月)
35.1
(7月)
33
(7月)
35.1
(7月)
31.4
(7月)
32.7
(7月)
19.3
(7月)
16.4
(7月)
15.2
(7月)
25.6
(7月)
25.7
(7月)
最寒月 3.7
(1月)
7.8
(1月)
6.4
(1月)
8
(1月)
4.4
(1月)
4.3
(1月)
−9.4
(1月)
−10.2
(1月)
−14.8
(1月)
−2.9
(1月)
−3
(1月)
降水量
(mm)
最多月 68
(3月)
3
(1-3月)
60
(2月)
35
(2月)
49
(3月)
7
(3月)
40
(3月
62
(5月)
8
(2-3月)
82
(4月)
73
(3月)
最少月 0
(6-9月)
0
(5-9月)
0
(8-9月)
0
(7-9月)
0
(6-9月)
0
(6-9月
0
(9月)
4
(8月)
0
(8-9月)
4
(8月)
1
(8月)
平年値
(月単位)
東部 南東部 北東部 バダフシャーン州
ジャララバード アサダバード デュアブ ガズニー ガルデーズ クンドゥーズ ワルシャジ ファイザバド クワハーン イシュカシム ワッハーン
気候区分 BWh Csa Dsb Dsa Dsa BSk Dsa Dsa Dsa Dsb BSk
平均
気温
(℃)
最暖月 31.6
(6月)
23.1
(7月)
20.3
(7月)
22.8
(7月)
22.3
(7月)
33.3
(7月)
15.6
(7月)
21.3
(7月)
22.5
(7月)
9.8
(8月)
9.4
(8月)
最寒月 9.6
(1月)
0.8
(1月)
−6.9
(1月)
−6.4
(1月)
−4
(1月)
3.8
(1月)
−10.6
(1月)
−6.7
(1月)
−3
(1月)
−16.1
(1月)
−22.5
(1月)
降水量
(mm)
最多月 47
(2月)
156
(7月)
145
(3月)
54
(2月)
73
(3月)
80
(3月)
124
(5月)
111
(4月)
172
(5月)
75
(3月)
79
(3月)
最少月 0
(6月)
27
(10月)
34
(9月)
3
(9月)
12
(9月)
0
(8月)
15
(9月)
4
(8月)
19
(9月)
20
(8月)
22
(8月)

環境編集

アフガニスタンの環境問題は過去数十年の政治的混乱より以前からある。 森林は何世紀にもわたって放牧と農業によって枯渇されてきたが、現在は人口の44%以上が牧畜、農業に依拠し[96]、環境保護は人々の経済的福祉においても重要である。 2007年に、世界保健機関は同国を環境ハザードによる死亡者数で、アフリカ諸国を除いた中で最も低いとの報告書を発表している[97]

生態系編集

 
ユキヒョウはアフガニスタン・イスラム国の国獣であった

多種多様な生物の生息が確認されているが、国際自然保護連合(IUCN)の報告によれば、同国内に存在する大型哺乳類の多くは絶滅危機に瀕しているとされている。 アフガニスタン全土に数種類の哺乳類が生息する。高山ツンドラ地域にはユキヒョウ、シベリアトラヒグマが生息する。北東部のワハン回廊地域にはマルコポーロヒツジアルガリの亜種)が見られる。キツネオオカミカワウソシカヒツジオオヤマネコ、その他の大型猫が東部の山林地域に生息している。半砂漠の北部の平野では、様々な鳥や、ハリネズミホリネズミジャッカルシマハイエナなどの大型肉食動物も含まれている[98]

ガゼルイノシシジャッカルは南部と西部の草原に生息し、マングースチーターは半砂漠の南部に生息する[98]マーモットエイベックスも高山地帯におり、キジはアフガニスタンの一部に生息している[99]。 足が速く長毛のアフガン・ハウンドも知られている[100]

固有動物種には、アフガンモモンガAfghan flying squirrel)、アフガンスノーフィンチen:Paradactylodon(または「パグマン山のサラマンダー」Paradactylodon)、アフガンヒョウヤモリAfghan leopard gecko)、スティグメラ・カシイ(蛾の一種Stigmella kasyi)、ヴルカニエラ・カブレンシス(蛾の一種Vulcaniella kabulensis)、ウィーレリアパルビフロレルス(蛾の一種Wheeleria parviflorellus)などがある。固有植物種にはアイリス・アフガニカIris afghanica)が含まれる。アフガニスタンは比較的乾燥した気候ではあるが多種多様な鳥が生息し、推定460種のうち235種が繁殖している[100]

森林地域にはマツトウヒモミカラマツなど、草原地帯には広葉樹、低草、多年生植物低木が植生する。いくつかの地域は保護地域に指定され、バンデアミール国立公園英語版ワハン国立公園英語版ヌリスタン国立公園英語版の3つの国立公園がある。アフガニスタンの2018年度の森林景観保全指数英語版は8.85/10で、172カ国中15位である[101]

地方行政区分編集

アフガニスタンは34の州(velāyat)で構成されている。

  1. バダフシャーン州(Badakhshān)
  2. バードギース州(Badghīs)
  3. バグラーン州(Baghlān)
  4. バルフ州(Balkh)
  5. バーミヤーン州(Bāmiyān)
  6. ダーイクンディー州(Dāykondī)
  7. ファラー州(Farāh)
  8. ファーリヤーブ州(Fāryāb)
  9. ガズニー州(Ghaznī)
  10. ゴール州(Ghowr)
  11. ヘルマンド州(Helmand)
  12. ヘラート州(Herāt)
  13. ジョウズジャーン州(Jowzjān)
  14. カーブル州(Kābul)
  15. カンダハール州(Kandahār)
  16. カーピーサー州(Kāpīsā)
  17. ホースト州(Khowst)
  18. クナル州(Konar)
  19. クンドゥーズ州(Kondoz)
  20. ラグマーン州(Laghmān)
  21. ローガル州(Lowgar)
  22. ナンガルハール州(Nangarhār)
  23. ニームルーズ州(Nīmrūz)
  24. ヌーリスターン州(Nūrestān)
  25. ウルーズガーン州(Orūzgān)
  26. パクティヤー州(Paktiyā)
  27. パクティーカー州(Paktīkā)
  28. パンジシール州(Panjshīr)
  29. パルヴァーン州(Parvān)
  30. サマンガーン州(Samangān)
  31. サーレポル州(Sār-e Pol)
  32. タハール州(Takhār)
  33. ヴァルダク州(Vardak)
  34. ザーブル州(Zābol)

主要都市編集

経済編集

 
名産であるザクロを加工する労働者
 
色と面積で示したアフガニスタンの輸出品目(2019年時点)

後発開発途上国の一つで、農業牧畜への依存度が高い。農業と牧畜は同国において伝統的産業であり、2004年の推計では就業人口の65.6%が農業に従事している。その上で天然資源に乏しい点から、世界で最も貧しい国の一つに数え上げられている。

王政崩壊以降の断続的な紛争による社会・政治的な混乱、インフラの破壊、慢性的な旱魃により経済は壊滅状態となっている。また同じ理由から、大半の国民に充分な食料、衣料、住居、医療が提供できない状態が続いている。2004年10月のユニセフの報告によると、幼児の死亡原因の多くは非衛生的な水の飲料使用による慢性的な下痢であるとされ、死亡率は25.7%と高く、国内の医療・衛生状態はきわめて悪い。

国民の3分の2は1日2ドル以下で生活しており、国際通貨基金(IMF)の統計によると、2013年時点のアフガニスタンの国内総生産(GDP)は207億ドルである。1人あたりのGDPでは679ドルとなるが、この数値は世界平均の10%未満であり、アジアの中でもっとも低い[102]失業率も高く、ネパールレソトなどと同じように40%を超える。

2002年1月に東京で開催された「復興支援国会議」で支援計画が提出され、世界銀行の監督下に45億ドルの資金が集められた。復興の主要対象は、教育、医療、下水施設、行政機関、農業、道路、エネルギー、通信と多岐に渡っている。

2015年12月17日、ケニアの首都ナイロビで開催された第10回世界貿易機関(WTO)閣僚会議で、アフガニスタン第一副首相モハマド・カーン(当時)が議定書に署名し、アフガニスタンの加盟が正式に承認された。

2019年時点ではアフガニスタンのGDPは192.9億ドルで世界第96位である[103]

上述の通り、2021年から実権を握るターリバーン政権に対して資金凍結されたことで深刻な食糧不足が発生している。国際連合世界食糧計画によれば、経済的影響、世界的なパンデミック、気候変動など様々な要因が合わさって、人口の半分以上が貧困以下の状態で生活を送っている。紛争と不安が生活共同体全体の機会から切り離されているため、食料不安が増加している。2,280万人が深刻な食糧不安に陥っており、その中には紛争によって避難を余儀なくされた数十万人も含まれる[104]。 現今においてはテロリズム[105]貧困、子供の栄養失調、汚職が蔓延しているだけではなく

国際支援編集

2021年8月15日以前、アフガニスタンのGDPのうち40%は国際援助によるものだった。ターリバーンの政権復帰により、欧米諸国はアフガニスタンへの対外援助を止め、国際通貨基金世界銀行も送金を止めたため、2022年現在、アフガニスタン経済は困窮状態にある[106]。ターリバーンは、これまで外国からの援助に依存していたアフガニスタン経済を自立させるチャンスだと捉えている。アブドゥル・サラム・ハナフィ副首相代理は経済における自給自足の達成を長期的な目標として語った。アフガニスタンは20年ぶりに外国からの支援金に頼らない国家予算を作成した[107]

原油編集

2012年10月22日、中国石油天然気集団アムダリヤ川流域の鉱区で、本格的な原油生産を初めて開始した[108]

天然ガス編集

同国での天然ガス生産はないが、トルクメニスタン南部の巨大ガス田から同国とパキスタンを経由してインド西部へ通じるTAPIガスパイプラインが2015年に建設着手された。同国に通過料が落ちるほか、一定量のガス輸入が見込まれる。

鉱業編集

 
サリ・サング鉱山英語版バダフシャーン州クラン・ワ・ムンジャン県英語版)から採れるラピスラズリは世界で最も良質なことで知られる。

古くからアフガニスタンには世界最大規模の各種金属、希少金属貴金属宝石を含有する豊富な鉱脈が数多く存在することが知られている。インフラの整備や権益の開発が進めば資源企業に莫大な富をもたらすと考えられている。

最も歴史のあるのは紀元前から採掘が続いた青色の宝石ラピスラズリである。首都カーブルの東南東190キロ、ヒンドゥークシュ山脈山中のサリ・サング鉱山英語版(Sar-i Sang)[109]が主力。産出量は数トン程度。そのほか、北東部のコクチャ川の渓谷に位置するサリ・サング近郊の鉱床、アフガニスタンとパキスタンの国境沿い、クエッタの西のチャガイ山からも産出する。

有機鉱物資源では北部の天然ガス(4,300兆ジュール、2003年)が主力で、石炭(3万5,000トン)も採掘されている。金属鉱物資源ではクロム(6,364トン)がある。このほか岩塩(1万3,000トン)も採取されている。

アイナック銅鉱山英語版(Aynak Copper)は1970年代初めに発見され、1978年に旧ソ連が中央鉱区と西部鉱区の地質探査を終えている。総資源量は鉱石量7億500万トン、平均銅品位1.56%、銅含有金属量1,100万トンの超大型の銅鉱床である。そのほかには、カーブルの南のローガル渓谷、ヘラートのやや南西のいくつかの地点、カンダハルの北のアルガンダー川沿い、パンジシール渓谷のアンダラーブ近郊に銅鉱床が存在している。

金はカンダハールの北東のムクル近郊、バタフシャーンのいくつかの川で発見されている。鉄鉱石の大規模な鉱床はカーブルの西のハージガク峠の近くで見られる[110]

農業編集

 
アフガニスタン北部のワハーン回廊における耕作地

上述の通り、農業は伝統的に主要産業として扱われている。乾燥地帯に属している為に、人工灌漑を必要とし、農地面積は灌漑用水量によって規制されている。灌漑方法としては大部分が河川の水を引くものとなっているが、西アジアに広く見られる「カナート」または「カーレーズ」とよばれる人工地下水路によって地下水を地表に導く方法も存在する。土地保有の特色としては自作農が多く、大土地所有は発達していない。

主な生産物は小麦穀類ザクロだが、北部と西部の州はピスタチオ栽培、東部の州は松の実、中部の州はアーモンドクルミが主体となっている。他にはジャガイモレモンオレンジオリーブピーナッツバナナが栽培されている。輸出品は果物とナッツ類が多い。

麻薬編集

 
アフガニスタン南部ヘルマンド州のケシ畑

アフガニスタンは「黄金の三日月地帯」に属し、はじめ古代よりメソポタミア文明以来[111]、旱魃地域では医薬品抗がん剤モルヒネ鎮痛剤)「植物性アルカロイド」、麻薬アヘンヘロインなどの原料となるケシの栽培が伝統的に盛んで、ヘロインの全世界流通量の90%以上をアフガン産が占めるなど世界一の麻薬密造国である。また、国内の麻薬依存者の数も深刻であり、2005年から2010年にかけての依存者数は最大150万人にも達したとされる。政府は麻薬対策省を設け撲滅にあたっているものの、予算や人員の不足、麻薬に代わる産業の育成などの問題もあり、いまだに解決を見ない。

国際連合薬物犯罪事務所の年次報告書によれば、2018年時点でアフガニスタン南部のタリバーン支配地を中心に推定26万30,00ヘクタールの面積でケシの栽培が行われている[112]

2013年頃からはケシの栽培に使用する地下水の汲み上げにソーラーパネルによる太陽光電力と電動式ポンプが使われ始め、2020年の時点でも普及が進んでいる。これらは中長期的に見た場合、軽油で可動させるポンプより安価で利益を増やしやすいため、ケシ農業の新規参入者と生産量の増加要因になると同時に、この分野の低炭素化が進んでいる[113]

エネルギー編集

 
ソ連の支援を受けて建設されたカーブル州のナグル・ダム

世界銀行によれば電力供給率は2008年の28%[114]から2018年では98%に上昇している[115]。2016年現在、1,400メガワットの電力を生産しているが、依然としてイランと中央アジア諸国から送電線を介して電力の大部分を輸入している。水力発電が大部分を占め、川の水量に依る[116]。しかし必ずしも信頼性のあるインフラではなくカブールを含む都市でも停電が起こる[117]。2018年より、太陽光、バイオマス、風力などの発電所が建設されている[118]。現在開発中の計画としてはキルギスタンとタジキスタンから送電するCASA-1000プロジェクトがあり、トルクメニスタン、アフガニスタン、パキスタン、インド(TAPI)のガスパイプラインがある[119]。電力はダ・アフガニスタン・ブレシュナ・シェルカット(DABS、アフガニスタン電力会社)によって管理されている[120]

主要なダムは、カジャキダム、ダーラダム、サルデバンドダムなど[121]

観光編集

1960年代はヒッピーの聖地として多くの外国人観光客で賑わい、ネパール、インド、パキスタンからアフガニスタンを通りイラン、そしてトルコから欧州へと抜けるヒッピー・トレイルとなっていた。1977年が観光のピークと言われ、その後の政情不安や長期的な紛争として観光客はまばらとなっている。それでも、2016年には年間2万人の外国人観光客が渡航したと言われている。国内には雄大な視線を誇り風光明媚な場所も多く、特にバンデ・アミール国立公園英語版と世界遺産のバーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群のあるバーミヤン周辺や標高3000m~7000mにある高原のワハーン回廊を訪れる外国人観光客がいる。

交通編集

 
首都カーブルと南部のカンダハールを結ぶ幹線道路
 
アフガニスタン国内の道路を通行するトラック(2012年撮影)

交通インフラストラクチャーも度重なる戦乱により破壊され、またはメインテナンスが行われていなかったために現在も復興が行われている。なお、多くの先進諸国でみられるような高速道路網はないものの、主要都市間は舗装された幹線道路によって結ばれており、長距離バスによる移動が行われている。

かつては国際列車カイバル鉄道(カブール〜パキスタン国ペシャワール間)があったが、戦乱で荒廃し不通となっている。現在、アフガン公共事業庁の監督のもと、ウズベキスタン国境の貨物駅Hayratanからマザーリシャリーフまでの鉄道建設が進んでおり、2011年8月20 - 21日に開業した[122]。また、首都カブールには1992年当時トロリーバスが存在したが[123]、現在は存在しない。

なお、諸外国との交通は上記の長距離バスによって行われているほか、カーブル国際空港ハブとした国営航空会社アリアナ・アフガン航空や、そのほかに乗り入れる外国航空会社の定期便で結ばれている。

国民編集

民族編集

民族構成(アフガニスタン)
パシュトゥーン人
  
42%
タジク人
  
27%
ハザーラ人
  
9%
ウズベク人
  
9%
アイマーク人
  
4%
トルクメン人
  
3%
バローチ人
  
2%
その他
  
4%
 
2001年のアフガニスタンの民族

アフガニスタンは多民族国家であり、最大の民族はイラン系パシュトゥーン人で中部や南部に住み同国では支配的な地位にあり、元大統領のハーミド・カルザイアシュラフ・ガニーもパシュトゥーン人である。ついで多いのが同じくイラン系のタジク人で両者で人口の8割弱を占めておりヘラートマザーリシャリーフでは大半がタジク人である他、カブールやガズニーの人口の半数近くを占めており、ブルハーヌッディーン・ラッバーニー元大統領がタジク人である。3番目に多いのがイラン系とチュルク系とモンゴル系の血を引くハザーラ人で、イスラム教シーア派信者が多く、中部のハザーラジャート英語版に多く住む。同国では差別的な扱いを受けてきたため難民としてイランや欧州をはじめとした海外に流出している人も多い。そして、チュルク系のウズベク人トルクメン人やイラン系のアイマーク人が主な民族となっている。そのほかにヌーリスターン人バローチ人キルギス人パシャイー人英語版パミール人ワハン人などがいる。

パシュトゥーン人はパキスタン、ウズベク人はウズベキスタン、タジク人はタジキスタンへの親近感が強く、ハザラ人はシーア派を国教とするイランの庇護を求める傾向が強い[9]。民族を超えて共有するアフガニスタン国民としての意識は弱く、アフガニスタン・イスラム共和国は欧米などの民間軍事会社から集めた約2万人の治安要員と米軍に依存していており、ターリバーンの攻勢で政府軍は簡単に崩壊した[9]

主要民族(2013年推計)

  • パシュトゥーン人 42%、言語:パシュトー語(イラン語群)、宗教:ハナフィー派スンニー
  • タジク人 27%、言語:ダリー語(イラン語群)、宗教:ハナフィー派スンニー、イスマイール派シーア(北部の若干)
  • ハザーラ人 9%、言語:ハザラギ語英語版・ダリー語(イラン語群)、宗教:イマーム派シーア、イスマイール派シーア、スンニー(極少数)
  • ウズベク人 9%、言語:ウズベク語(テュルク諸語)、宗教:ハナフィー派スンニー
  • アイマーク人 4%、言語:ダリー語(イラン語群)、宗教:ハナフィー派スンニー
  • トルクメン人 3%、言語:トルクメン語(テュルク諸語)、宗教:ハナフィー派スンニー

言語編集

公用語はパシュトー語(48%)とダリー語(77%)が制定されている。パシュトー語はパシュトゥーン人の母語で歴史的に政治の場において国家語的地位にある中心言語であるが方言間の差異が大きい。政府の実用言語、国民の間の共通語としてはペルシャ語のアフガン方言でありファールシー語とも言われるダリー語の方が主に使われておりアフガニスタンにおける中心言語の地位を担っている。これはアフガン王朝時代から宮廷の言語として使われてきたためでダリーは宮廷の言語という意味である。ダリー語はタジク語ペルシャ語とは語彙にいくらかの違いがあるものの意思疎通に何ら問題が無く、かつては単にペルシャ語と呼ばれていた。パシュトゥーン人やタジク人、ハザラ人の多くが両言語話者、ウズベク人やトルクメン人等のチュルク系民族も母語に加えていずれかの言語を話すことができる。首都カブールはダリー語が共通語であり、パスチューン人もペルシャ語化している人も少なくない。その他、ウズベク語トルクメン語バローチー語、アイマク語、ヌーリスターン語、パシャイ語、キルギス語等が話されている。

地方言語

その他

婚姻編集

アフガニスタンの民法では、女性に対して16歳での結婚が認められており、児童婚が横行している。この児童婚は同国において現在も大きな問題となっている。

アフガニスタンの国教であるイスラム教では児童婚を禁止されているにも関わらず、アフガニスタン本土では早期結婚や児童婚が強制されており、「幼な妻」の慣習が未だ根強い状況になっている。同国では、これらの結婚はカブールなどの大都市よりも概して田舎の地域で行われており、その主な原因は貧困状態が続いていることが背景にある。また、国民の大半がイスラム教の道義や人権について知識がないことも原因の一部となっており、これが児童婚に益々拍車をかけている。

2016年のアフガニスタンにおける児童婚の比率は33%であった[124]

宗教編集

その他には、シーク教徒ヒンドゥー教徒キリスト教徒が存在する[125]

イスラム教から他宗教への改宗には死刑が適用されたが、2006年、ドイツキリスト教に改宗した人の死刑判決に対して国際的非難を浴びたことでこの法律は撤廃され、その後は布教活動も許されるようになった。2006年8月、ターリバーン韓国人のキリスト教宣教師を拉致監禁し、キリスト教の宣教活動をやめるよう要求した事件があった。

教育編集

2021年のターリバーン復権までは、、アフガニスタン教育省・高等教育省の下、K-12と高等教育が実施されていた[126]。 生徒は約1000万人、教師は22万いる[127]。より多くの学校と教師が必要とされていた[128]。義務教育は9年生までで、学校年度は3月から11月までである[129]

大学においては、カブール大学、アフガニスタン・アメリカン大学、カルダン大学[130]バルフ大学、ヘラート大学、ナンガルハル大学、シェイク・ザイード大学、カンダハル大学、カテブ大学[131]がある。

保健編集

アフガニスタンの保健は着実に改善してはいるが国際基準に準ずれば劣悪状態にある。同国の環境問題と1978年より続く戦争、特に2001年からの紛争以降のターリバーンの活動によって悪影響を受けている[要出典]。公衆衛生省が市民とその健康に関するすべてを所管する。

人間開発指数によると、アフガニスタンは世界で21番目に遅れた開発途上国である。ポリオ撲滅に至っていない3カ国の内に入っている[132]。2019年においては平均寿命は約64歳であり[133][134][135][136]、妊婦死亡率は638人/100,000人と推定されており、乳児死亡率は1,000人あたり106人に上るとされる[133]。 毎年約15,000人が様々な癌が原因で死亡している[137]

医療編集

アフガニスタンの医療は全土にある3,000以上の保健施設によって提供される[138]。すでに脆弱な医療制度ではあったが何十年も続く戦争と国際社会による怠慢が制度を崩壊させた。大半の医療専門家は1992年までに他の国に移住しすべての医療訓練プログラムは中止された。1999年から2002年にかけての干ばつがこれらの状況をますます悪化させたが、例を挙げると、最初の脳神経外科病院を含む17,000以上の保健所が全土に設置され、医療制度を幾分の改善がされた。[139]

治安編集

アフガニスタンでは厳しい治安情勢が続いている。ターリバーンが政権を奪取・掌握してからも、ISIL等の反政府武装勢力が依然として根強い勢力を保っており、国軍・外国軍や警察、政府関係機関を始め、国連機関や外交団、外国NGO等への攻撃・誘拐等を繰り返していて、現地は非常に危険な状況に陥っている。

また、武装した犯罪グループによる強盗身代金目的の誘拐事件も多発しており、外国人は一般犯罪はもとよりテロ・誘拐の標的にされている為、滞在中の外出は油断を許さない状態となっている。

2021年2月の国連の年次報告書によると、2020年に発生した反政府武装勢力による民間人の誘拐件数[注釈 12]は、前年比80名増となる1,086名に達し、誘拐関連の死傷者数は前年から倍増し113名となっている。傍ら、一部の地域では、高い失業率と貧困から、犯罪者集団による身代金目的の誘拐がビジネス化している現状が挙げられ、主要なターゲットとして、外国人や政府関係者、治安部隊関係者、裕福なビジネスマン、ジャーナリスト、援助関係者、建設作業員等が狙われている。僅かな金額の身代金目的で、一般の子どもが誘拐されるケースも報告されている。

日本人の被害事例としては、2005年8月に南部カンダハール県のパキスタン国境付近で日本人旅行者男女2人が殺害された事件をはじめ、2008年8月に東部ナンガハール県ジャララバードにおいて日本人NGO職員が誘拐・殺害された事件、2010年4月に北部クンドゥーズ県において日本人ジャーナリストが誘拐・監禁され約5ヶ月後に解放された事件が挙げられている。

現在、外務省からアフガニスタン全土に対して「レベル4(退避勧告)」が発出されており、渡航をしないよう注意が呼びかけられている[140]

人権編集

アフガニスタン王国時代の1964年に制定された憲法では男女平等が謳われ、その後1970年代の社会主義政権時代はよりいっそうの世俗化を推し進め、女性は洋服を着て教育を受けており、都市部ではヒジャブスカーフを被る人も少なかった。

1978年には医者の4割が女性、カーブル大学の講師の60%が女性であった。しかし、農村部の世俗化は進まなかったことと、その後の社会主義政権の崩壊と共にムジャヒディーンの勝利を経て1990年代にイスラム主義に回帰。純然たるイスラム国家であったターリバーン政権時代には女性の人権が著しく制限された。タリバン政権が崩壊したあと、カルザイ政権下でアフガニスタンにおける世俗化は一定程度進んだとされるが、2018年時点でもいまだに女性の識字率は3割未満である。しかし、現在でもアフガニスタンはイスラーム法およびその強い影響下にある世俗法に基づく統治が行われ、イスラム国家としての色彩が強い。

そのため、信条の自由などが聖職者の定義するところのイスラーム法に反するものとされ、シャリーアに基づく背教罪や冒涜罪によって罪となることがある。

欧州での生活中にキリスト教に改宗した男性が、これを理由に死刑を宣告された。これに対しては西側世界からの批判が起こり、最終的に死刑判決は撤回されたが、男性は亡命を余儀なくされた[141]。また、女性の権利について「クルアーンを根拠に女性差別を擁護する人々は預言者ムハンマドの見解を歪曲している」という趣旨の文書を読み、問題提起をしようとした学生に対し、宗教法廷により「冒涜」として死刑が宣告された[142]。これに対しても西側世界は非難しているが、カルザイ政権も今回はムスリム保守層の国民から圧力を受け態度を硬化させており、上院では死刑判決を支持する決議が採択された。

クルアーンを冒涜したものについては信仰を問わず、発覚した場合は即日のシャリーアにより裁かれる可能性がある。

 
ターリバーンにより日常的に行われている公開処刑

アフガニスタンの地方では部族の伝統が根強く、たとえば、姦通を犯した女性がその家族の手で処刑される、いわゆる「名誉殺人」も行われているという[143]。2014年2月には被告の家族一員の女性だけでなく、女性の弁護士、女医、女の子供など、女性に区分される人々が裁判の証人として出廷することも禁止する法改正が行われようとしていると報じられた[144][145]

ターリバーン政権崩壊後に一度は廃止された勧善懲悪省宗教警察)が、同政権時代と比較して幾分穏健化しているものの巡礼・宗教問題省の名で復活。2021年のターリバーンの政権奪還に伴い勧善懲悪省が復活した。

第二次ターリバーン政権では女性がテレビに出演でき、街中でもブルカでなくともヒジャブを被れば許されるように変化した。また、「女性の歌唱」も許されるようになった[146]

メディアと娯楽編集

アフガニスタンには約350のラジオ局と200以上のテレビ局がある[147]。ラジオ・テレビジョン・アフガニスタンは1925年に始まった国営公共放送局である。テレビ番組は1970年代に放送され始め、TOLOシャムシャッドTVなどの多くの民間放送局も存在する。最初の新聞は1873年に発行され[148]、今日では何百もの印刷所がある。1920年代までに、ラジオ・カブールは地元のラジオ放送を放送していた。 ボイス・オブ・アメリカBBCラジオ・フリー・ヨーロッパ/ラジオ・リバティー(RFE/RL)はアフガニスタンの公用語の両方でラジオで放送された。2002年以降、報道規制は徐々に緩和され、民間メディアは厳しい統制が20年以上続いたが多様化している[149]

アフガニスタン人は長い間、インド映画の観賞や、映画の歌を聴いたりすることに親しんできた。アフガニスタンはヒンディー語映画産業にとって最大の市場の一つであるとされる[150]。アフガニスタン系インド人のステレオタイプ(カブリワラまたはパターニ)は、俳優によっていくつかのボリウッド映画でも表現されている。多くのボリウッド映画スターはアフガニスタンにルーツを持つといわれる。

文化編集

アフガニスタンの文化[151][152]は3000年以上にわたって生き続け、少なくとも紀元前500年のアケメネス朝まで遡ることができ[153]、文化の多様性を包括してきた。中央アジア南アジア西アジアの交差点に位置し、歴史的に多様性の中心地である。ある歴史家によれば「古代世界の環状交差点」と呼称している[154]

アフガニスタンは主に部族社会であり、さまざまな地域に独自のサブカルチャーが存在する。それにもかかわらず、ほとんどすべてのアフガニスタン人はイスラム教の伝統に習って、同じ休日を祝い、同じ服を着用し、同じ料理を食し、同じ音楽を聴き、ある程度多言語である。その文化は、言語、料理、クラシック音楽などに見られるトルコ・ペルシア文化英語版、インド・ペルシャ文化[155][156]の要素と強い結び付きがある。

アフガニスタンの文化は学術的観点において、学術研究の分野は次第に活発化しつつある[157]1978年より断続的に続く紛争によってアフガニスタンの文化は、脅かされ破壊されている[158][159]

食文化編集

小麦で練ったナーンビリヤニなどが有名。飲料としては隣国同様にチャイがよく飲まれる。

文学編集

アフガニスタンは文学の歴史が長い国の一つとして知られる。また、世界的なの宝庫としても認知されている。

音楽編集

世界遺産編集

アフガニスタンには多くの貴重な遺跡が残っており、以下の2つがユネスコ世界遺産に登録されている。

バーミヤーン渓谷には大仏と多くの壁画が残されていたが、紛争により破壊され続け、殊に2体の大仏は破壊されつつ持ちこたえ立ち続けていたが、2001年にターリバーンによって完全に破壊された。

祝祭日編集

※2020年時点の基本的な祝祭日を以下に述べる。

祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
2月15日 解放の日 1989年にソビエト連邦がアフガニスタンから撤退したことを記念したもの
3月21日 ノウルーズ نوروز イラン暦元日
4月28日 ムジャヒディン戦勝記念日英語版 1992年にムジャヒディン反乱軍が共産主義政権を打倒した日であり、政治的な祝日として制定されている
5月1日 メーデー
8月19日 独立記念日 آزادی
9月9日 国民的英雄:アフマド・シャー・マスードの日 アフマド・シャー・マスードが暗殺された日であるが、これまで同国の為に殉職した全ての人々を讃える目的を兼ねて制定された

この他には、イスラム暦に基づいた移動祝祭日が存在する。

スポーツ編集

アフガニスタン国内ではクリケットが最も人気のスポーツであり[160]2018年トゥエンティ20方式のクリケットリーグである「アフガニスタン・プレミアリーグ」が創設された。二番目に人気があるのがサッカーであり、クリケットリーグよりも早い2012年に「アフガン・プレミアリーグ」が創設された。同年の優勝決定戦では、スタジアムが満員となる4,000人を超える観客が集まった[161]。また、同国ではセパタクローの人気も高いとされている。

サッカー編集

サッカーアフガニスタン代表1922年に、アフガニスタンサッカー連盟(AFF)は1933年に設立され、1948年国際サッカー連盟(FIFA)に、1954年にはアジアサッカー連盟(AFC)に加盟した。なお、1984年から2003年まではアフガニスタン紛争のため国際大会には出場していなかった。また、サッカーアフガニスタン女子代表2010年に設立され、FIFA女子ワールドカップおよびAFC女子アジアカップには未出場である。

関連作品編集

映画
評論
小説
ボードゲーム
  • Joseph Miranda【Holy war, Afghanistan】,Strategy & Tactics No.147,Decision Games
    ※1978年に始まったソビエトの軍事介入に対する聖戦。
  • Joseph Miranda【Asia Crossroads】,Strategy & Tactics No.216,Decision Games
    ※19世紀のロシア、ペルシャ、中国、アフガニスタン周辺でのイギリスとロシアの覇権争い。
  • Joseph Miranda【Operation Aaconda】,Strategy & Tactics No.276,Decision Games
    ※2002年に実施された多国籍軍のアナコンダ作戦。
  • Brian Train, Volko Ruhnke【A distant plain】, ,GMT games
    ※同社の非正規戦マルチプレイヤーズゲームCOINシリーズ第3作、1990年代以降の現代紛争。
  • Joseph Miranda【The sun never sets II】,Strategy & Tactics No.274,Decision Games
    ※イギリスの植民地戦争のクワドリゲームで、その一つが1878年からの第二次アフガン戦争。
  • Joseph Miranda【Khyber rifles】, ,Decision Games
    ※1842年にアフガンが大英帝国に勝利した戦い(第一次アフガン戦争の末期)。
  • Joseph Miranda【First Afghan war】,Strategy & Tactics No.179,Decision Games
    ※タイトルの通り第一次アフガン戦争(1838-42)の全体を描いた戦役級ゲーム。
  • Joseph Miranda【Invasion Afghanistan】,Modern War No.26,Decision Games
    ※タイトルの通りソビエトのアフガン侵攻(18793894全体を描いたソロプレイゲーム。
ビデオゲーム
漫画

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ アフガニスタンの南部における金石併用時代と青銅器時代の遺跡の内で最も知られており、重要な遺跡である。遺跡はカンダハルの北西約35キロメートル、アルガンダーブ川の支流であるクシュキ・ナフド・ルード川沿いにある。1951年、フランス人考古学者によって発見された。この遺跡は北方の山岳地帯と南方のカンダハル平原を結ぶルートの重要な位置にある。カンダハル・オアシスは北方の山岳地帯と南方の砂漠地帯の境界に位置している。このオアシスでは、北東と東から、様々な川が流れ込んでいるため、豊富な水が供給される。そのためこのカンダハル・オアシスは最も重要地域の一つになっており、遺跡はこのオアシスの周辺集落の内でも最も古いものである[17]
  2. ^ アレクサンドリア・アレイア(ヘラート)、アレクサンドリア・アラコシア(カンダハル)、アレクサンドリア・カズニー(カズニー)、アレクサンドリア・カビサ(カビサ・ベクラム)、アレクサンドリア・オクシアナ(アイ・ハヌム)、アレクサンドリア・バクトラ(バルフ)など、アレクサンドロスが自分の名を付けた町は多い。
  3. ^ 「北部同盟」という名称は俗称であり、正式には、「アフガニスタン救国統一戦線」である[26]
  4. ^ キプロス・グループはイラン、ペシャーワル・グループはパキスタンの影響下にあり、この二つのグループの参加により、アフガニスタンにとって重要な隣国であるイランとパキスタンが事実上、ボン会合に参加することになったという[28]
  5. ^ タジク人12名・パシュトゥン人9名・ハザーラ人5名、ウズベク人4名
  6. ^ 外相・内相・国防相・法相・通信相・運輸相・都市開発相・高等教育相などの主要ポスト、外相のアブドゥッラーや内相のカヌニはラバニ派からの横滑り、国防相もマスードの後継者ファヒーム、都市開発相はジャララバードの市長カディルが就任
  7. ^ 観光相・情報文科相・復興相・財務相・教育相・女性問題担当相など。
  8. ^ 保健相・灌漑相
  9. ^ ロヤ・ジルガはもともとパシュトゥ語で、「ロヤ」は「大きい」、「ジルガ」は「会合」を意味する。部族にかかわる問題が生じると、その解決のために集まるのが「ジルガ」であり、ジルガの中で最大のものが「ロヤ・ジルガ」であるという[29]
  10. ^ パンジシール州を除く
  11. ^ 国土の四分の三がヒンドゥー・クシュ(インド人殺し)と呼ばれる高山とその支脈に覆われている。国を南西に1920キロメートルも縦貫している。この山脈は北東部が最も高く、南西に行くほど低くなっている[93]
  12. ^ その大半はターリバーンによるものである。

出典編集

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参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集

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その他