ディヴィジオン1/エールステ・クラッセ1967-1968

ディヴィジオン・アン / エールステ・クラッセ 1967-1968ベルギー最上位サッカーリーグの第65回目のシーズンである。RSCアンデルレクトワが14回目の優勝を決めた[1][2][3]

ディヴィジオン・アン
エールステ・クラッセ
シーズン 1967-1968
優勝 RSCアンデルレクトワ (14回目)
昇格 SKベフェレン=ワース
ROCシャルルロワ
降格 RアントワープFC
ROCシャルルロワ
試合数 240
ゴール数 660 (1試合平均2.75)
得点王 ベルギーの旗 ロジェ・クラーセン (20)
ベルギーの旗 ポール・ファン・ヒムスト (20)

出場クラブ 編集

 
ブリュッセル拡大図
赤文字:消滅したクラブまたはスタジアム


名前 クラブ番号 ホームタウン ホームスタジアム 監督
RSCアンデルレクトワ 35 アンデルレクト スタッド・エミール・ヴェルゼ   アンドラーシュ・ベーレシュフランス語版
RアントウェルプFC 1 アントウェルペン ボサイルスタディオン   ハリー・ゲイム
RベールショットAC 13 アンヴェール スタッド・オランピック・ダンヴェール   ルイ・ヴァン・ベネデン
KベリンヘンFC 522 ベリンヘン メインスタディオン   ヴラトコ・コニェヴォド
SKベフェレン=ワース 2300 ベフェレン フレーシールスタディオン   ギー・ティス
RFCブリュージョワ 3 ブリュージュ スタッド・アルベール・ディセランク   ノルベルト・ヘーフリンク
RダリンCB 2 モルンベーク スタッド・オスカル・ボサールト   ビリー・エリオット
ROCシャルルロワ 246 シャルルロワ スタッド・ドゥ・ラ・ヌヴィル   リック・ヘールツェンス
RシャルルロワSC 22 シャルルロワ スタッド・デュ・マンブール   不明
RFCリエージョワ 4 ロクー スタッド・ヴェロドローム・ドゥ・ロクー   ルイ・デュパル
RスタンダールCL 16 スクレサン スタッド・ドゥ・スクレサン   ミロラド・パヴィッチ
KリールセSK 30 リール ヘルマン・ヴァンデルポールテンスタディオン   フスターフ・ヴァン・デン・ベルグ
KFCマリノワ 25 マリーヌ アフテル・デ・カゼルネ   アンドラーシュ・ドルゴシュ
Rラシン・ワイト 47 ウォリュウェ=サン=ランベール スタッド・ファロン   イェフ・フリールス
Kシント=トライデンセVV 373 シント=トライデン スタイエン   エトワルト・フォルカールト
KSVワレヘム 4451 ワレヘム レーヘンボーフスタディオン   フレデリック・シャヴ・ダギラル

順位表 編集

チーム 出場権または降格
1 RSCアンデルレクトワ 30 20 6 4 67 24 +43 46 UEFAチャンピオンズカップ 1968-69出場
2 RFCブリュージョワ 30 19 7 4 53 21 +32 45 UEFAカップウィナーズカップ 1968-69出場
3 RスタンダールCL 30 16 8 6 53 31 +22 40 インターシティーズフェアーズカップ1968-69出場
4 KSVワレヘム 30 14 8 8 42 35 +7 36
5 Kシント=トライデンセVV 30 14 6 10 52 38 +14 34
6 RベールショットAC 30 11 7 12 42 38 +4 29 インターシティーズフェアーズカップ1968-69出場
7 KリールセSK 30 12 3 15 50 66 −16 27
8 RシャルルロワSC 30 11 5 14 33 39 −6 27
9 RダリンCB 30 11 5 14 39 54 −15 27 インターシティーズフェアーズカップ1968-69出場
10 RFCリエージョワ 30 10 7 13 32 41 −9 27
11 Rラシン・ワイト 30 9 9 12 41 44 −3 27
12 KベリンヘンFC 30 11 4 15 42 50 −8 26
13 SKベフェレン=ワース 30 9 7 14 30 42 −12 25
14 KFCマリノワ 30 9 5 16 32 41 −9 23
15 RアントウェルプFC 30 6 9 15 23 42 −19 21 ディヴィジオン・ドゥ1968-69に降格
16 ROCシャルルロワ 30 8 4 18 29 54 −25 20
出典: BelgiumSoccerHistory.com
順位の決定基準: 1) 勝ち点; 2) 勝利数; 3) 得失点差; 4) 順位決定戦;

得点ランキング 編集

順位 国籍 選手 クラブ 点数 出場数
1.   ロジェ・クラーセンフランス語版 RスタンダールCL 20 27
=.   ポール・ヴァン・ヒムスト RSCアンデルレクトワ 20 28
3.   レオン・リーツェン RベールショットAC 18 29
4.   ヨハン・デフリント RSCアンデルレクトワ 17 27
5.   ルートウィフ・ゾールフリート KリールセSK 15 28
6.   ヴィクトル・ルンハ KベリンヘンFC 13 24
=.   ロジェ・フロン RダリンCB 13 27
=.   エディ・クーンス Kシント=トライデンセVV 13 30
=.   フランス・ヤンセンス KリールセSK 13 30
10.   ヨニー・ティオ RFCブリュージョワ 12 27
=.   ジャン・ブレ RシャルルロワSC 12 28
=.   フランス・ヴェルメイエン KリールセSK 12 29
=.   ヘルマン・ヤーコプス Rラシン・ワイト 12 30
14.   オーディロン・ポレーニス Kシント=トライデンセVV 11 28
=.   ラウール・ランベルト RFCブリュージョワ 11 28
16.   ジャン・ヤンセンス SKベーヴェレン=ワース 10 20
=.   ジョルジュ・バラール KFCマリノワ 10 23
=.   アンドレ・ヴァン・ホーレンベーケ KSVワレヘム 10 26
=.   プルデント・ベーテンス KSVワレヘム 10 30
=.   ジャン=ピエール・カスプルザク KベリンヘンFC 10 30
=.   ピエール・カルテース RFCブリュージョワ 10 30

ソース:BelgiumSoccerHistory.com

その他のトピック 編集

1967年11月から1968年3月にかけて、ルーヴァン・カトリック大学の過激なフラマン・ナショナリスト集団が「ワロン人追放」を訴えた暴動、ルーヴァン事件フランス語版/ルーヴェン・フラームスオランダ語版が発生した。警察力によって鎮圧されたものの、最終的に大学を言語別に二つに分裂させたこの事件は、1980年代のベルギーの連邦制移行に影響を与えた事件と言われ、同時代のサッカー界にも余波があった。

すでにオランダ語が公用語化されて半世紀以上経過し、数多くのフランデレンのクラブが「フラマン語化された」名称を名乗っていたが、リーグ最古参世代のクラブはかたくなにフランス語の名称を維持し続けていた (FCマリノワ、FCとセルクル・ブリュージョワ、ARAラ・ガントワーズ、RベールショットACなど)。そんな保守的な世代のクラブも、1960年代末から1970年代前半にかけて、次々にクラブ名をフラマン語化/オランダ語化していった[4][5][6][7][8]

脚注 編集

注釈 編集

出典 編集

  1. ^ Belgium 1967/1968” (英語). WildStat.com. 2023年4月29日閲覧。
  2. ^ Palmarès” (フランス語). score-foot.com. 2023年5月24日閲覧。
  3. ^ histoire Jupiler Pro League” (フランス語). walfoot.be. 2023年5月24日閲覧。
  4. ^ Mechelen” (英語). wildstat.com. 2023年5月24日閲覧。
  5. ^ Brugge” (英語). wildstat.com. 2023年5月24日閲覧。
  6. ^ Cercle Brugge” (英語). wildstat.com. 2023年5月24日閲覧。
  7. ^ Gent” (英語). wildstat.com. 2023年5月24日閲覧。
  8. ^ Beerschot Antwerp” (英語). wildstat.com. 2023年5月24日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集