トーマス・ロンゲン1956年10月31日 - )は、オランダの元サッカー選手、サッカー監督である[1]。以前はD.C. ユナイテッドヘッドコーチメジャーリーグサッカークラブ・デポルティボ・チーヴァス・USAのスポーツディレクター、サッカーアメリカ領サモア代表の監督も務めた。プロ選手として北米サッカーリーグ、メジャーリーグサッカー、アメリカンサッカーリーグ(ASL。1988年 - 1989年に存在したリーグ。)で活躍。

トーマス・ロンゲン
名前
本名 トーマス・ロンゲン
ラテン文字 Thomas Rongen
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 (1956-10-31) 1956年10月31日(67歳)
出身地 アムステルダム
身長 183cm
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1975–1979 アヤックス・アムステルダム 0 (0)
1979–1980 ロサンゼルス・アズテックス 40 (6)
1979–1980 ロサンゼルス・アズテックス (インドア) 12 (3)
1980 ワシントン・ディプロマッツ 10 (0)
1981–1983 フォートローダーデール・ストライカーズ 83 (4)
1984 ミネソタ・ストライカーズ 5 (0)
1984–1985 ミネソタ・ストライカーズ (インドア) 18 (0)
1985 サウスフロリダ・サン
1985–1986 シカゴ・スティング (インドア) 14 (1)
1987 ヒューストン・ダイナモス
1988–1993 フォートローダーデール・ストライカーズ
監督歴
1984–1988 ポープ・ジョン・ポール2世高校英語版
1987–1990 ノヴァ・サウスイースタン大学英語版 (コーチ)
1988 フォートローダーデール・ストライカーズ (コーチ)
1988 サウス・プランテーション高校
1989–1994 フォートローダーデール・ストライカーズ
1991–1995 ノヴァ・サウスイースタン大学
1996 タンパベイ・ローディーズ
1997–1998 ニューイングランド・レボリューション
1999–2001 D.C. ユナイテッド
2001–2005 USA U-20
2005 クラブ・デポルティボ・チーヴァス・USA
2006–2011 USA U-20
2011- アメリカ領サモア
2012–2014 トロントFC (アカデミーディレクター)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

選手時代 編集

1975年から1979年までアヤックス・アムステルダムのリザーブチームの一員として、守備的ミッドフィールダーディフェンダーとして登録し、トップチームのメンバーとして出場することはなかった。

1979年にアメリカに移住し、北米サッカーリーグロサンゼルス・アズテックスに加入。その後、いくつかのクラブに所属し、アメリカで選手生活を終える。

監督 編集

1984年ポープ・ジョン・ポール2世高校英語版の少年サッカーチームの監督アシスタントとしてスタートする。2001年からU-20サッカーアメリカ合衆国代表を務め、2007 FIFA U-20ワールドカップ2009 FIFA U-20ワールドカップにチームを導く。

2011年5月に解雇される。

アメリカ領サモア代表での実績 編集

2011年、当時の公式戦で勝利を記録したことのないサッカーアメリカ領サモア代表の指揮を取り、同年11月22日2014 FIFAワールドカップ・オセアニア予選においてトンガに、2-1で国際Aマッチ初勝利を収めた。ロンゲン監督のもと、FIFAランキングは過去最高の173位を記録した。

英国BBCでは、サモア代表とのドキュメンタリー映画『ネクスト・ゴール!世界最弱のサッカー代表チーム0対31からの挑戦』(原題:Next Goal Wins[2]が制作された。

脚注 編集

  1. ^ Vujcic, Djuradj (2012年5月30日). “Inside the MLS: Thomas Rongen”. 2012年5月31日閲覧。
  2. ^ Kev Geoghegan (2014年5月6日). “Next Goal Wins for 'world's worst football team'”. BBC News. 2014年5月6日閲覧。

外部リンク 編集

先代
Position Created
クラブ・デポルティボ・チーヴァス・USA 監督
2005
次代
ハビエル・レデスマ (Interim)