ドム教会
ドム教会(ドムきょうかい、オランダ語: Domkerk)または聖マルティン大聖堂(せいマルティンだいせいどう、英語: St. Martin's Cathedral, Utrecht)は中世のユトレヒトに存在したユトレヒト大司教区の司教座聖堂(カセドラル)。当時トゥールの聖マルティヌスを讃えたオランダ最大の教会であり、ゼーラント州ミデルブルフの大聖堂とともにオランダにあった2つのカセドラルのうちの1つであった。1580年よりプロテスタントの教会となった。ドム教会の歴史は古く、初期教会が建設されたのは630年頃のことであるが、当初は木造であり、その後倒壊と再建を繰り返し、現在の姿となった。ドム教会の建物はフランスで発達した建築様式であるゴシック様式と酷似している。他のオランダの全てのゴシック建築の教会は多様な地域性を持っている。フランスのゴシック建築の教会とは異なり、ドム教会は塔を一つしか持たない。高さ112メートルのドム塔(ドムトールン)は、教会の塔としてはオランダで最も高く[1]、ユトレヒトのホールマークとなっており、日本においては長崎県のテーマパークハウステンボスのシンボル・ドムトールンのモデルとしても知られている。
1674年、ユトレヒトを蹂躙し多くの犠牲者を出し、2つのカセドラルを破壊した竜巻による暴風雨により、教会の中央部分がドム塔を繋ぐ身廊とともに倒壊。その後再建されることはなかったため、現在ドム教会から離れたところにあった東端のドム塔が大聖堂とは別個の建物として離れた場所に存在している。
歴史編集
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今日の遺構編集
現在残されているドム教会の遺産は聖歌隊席及びドム塔の翼郭である。1674年の豪雨で倒壊した教会中央の身廊はDompleinと呼ばれる大木が立つ広場となっている。舗道に埋め込まれた多彩な石が当時の教会の外郭を示している。
建築開始から750周年となった2004年、足場によって一時的な再建を果たした。この足場は既に解体されている。
2013年、ドム教会の発掘調査を行うプロジェクトが発足した。
回廊及び参事会会場も現存しており、ユトレヒト大学のメインホールとなっている。参事会会場はネーデルラント連邦共和国を建設したユトレヒト同盟が署名を行った場所でもある。
墓地・記念碑編集
ユトレヒトは西の神聖ローマ帝国にとって重要な都市であり、ザーリアー朝とは特に深い関係にあった。中世初頭には、神聖ローマは常にドム教会の名誉司教座聖堂参事会員に名を連ねていた。コンラート2世およびハインリヒ5世はそれぞれ1039年と1125年にユトレヒトで没した。彼らの内臓と心臓はドム教会で埋葬されている。聖歌隊席の床にひっそりと嵌め込まれている「皇帝の石」(keizerssteentjes)がその歴史的事実を現在に伝えている。
比較的無傷で現存しているドム教会唯一の中世の霊廟は、14世紀の主教アヴェーヌのガイ(エノー伯ジャン2世の弟)の墓だけである。
他にも多くの美しい墓標や記念碑が存在する。中でも、16世紀中葉のジョージ・ヴァン・エグモント司教の記念碑は歴史的に重要である。
脚注編集
- ^ “魅惑の古都を行くⅣ ユトレヒト/ オランダ”. NHK. 2018年4月1日閲覧。
参考文献編集
- Borst, P. (1997) (オランダ語). Graven en begraven in de Dom van Utrecht. ブニク: Reinders. ISBN 9789072507266. OCLC 68250081 - ユトレヒトのドムの埋葬地調査
- Bruin, Renger E. de, ed (2000) (オランダ語). Geschiedenis van de stad Utrecht : "een paradijs vol weelde". ユトレヒト市アーカイブ. ユトレヒト: Matrijs. ISBN 9789053451755. OCLC 905789247 - ユトレヒト市の歴史
- Hulzen, Albertus van (1944) (オランダ語). Utrecht, De Geschiedenis en de Oude Bouwwerken. Heemschut-serie. deel 39. アムステルダム: Albert de Lange. OCLC 645419597 - ユトレヒトの歴史と歴史的建造物
外部リンク編集
- domkerk.nl教会公式サイト