リビア (Libia) は、オスマン帝国海軍イタリアに発注した防護巡洋艦「ドラマ(Drama)」であったが、建造途中で伊土戦争が勃発したため、1912年にイタリア海軍が徴発し完成させた艦である。

第一次世界大戦前に撮影されたリビア
第一次世界大戦前に撮影されたリビア
基本情報
建造所 エルジック・アンサルド造船所
前級 ロンバルディア級
次級 カンパーニア級
艦歴
起工 1907年
進水 1912年11月11日
就役 1913年3月25日
退役 1937年
除籍 同上
その後 1937年に解体
要目
排水量 常備:3,800トン、満載:4,465トン
全長 111.9m
最大幅 14.5m
吃水 5.5m
機関 ニクローズ式重油・石炭混焼水管缶16基+直立型三段膨張式四気筒レシプロ機関2基2軸推進
出力 12,500shp(最大)
最大速力 22.0ノット
航続距離 10ノット/3,150海里(重油:675トン、石炭:275トン)
乗員 310名
兵装 15.2cm(50口径)単装速射砲2基
12cm(45口径)単装速射砲8基
45.7cm水中魚雷発射管単装2基
装甲 甲板:40~110mm(主甲板)
主砲:76mmm(前盾)
司令塔:106mm
テンプレートを表示

概要

編集

本艦はオスマン帝国イギリスに発注した防護巡洋艦「ハミディイェ」の準同型艦として設計されており、非常に酷似していた。

 
右舷方向から撮られた本艦。

艦歴

編集

第一次世界大戦

編集

イタリアの対オーストリア=ハンガリー帝国宣戦布告直後の1915年5月24日、オーストリア=ハンガリー帝国海軍はアンコーナなどを攻撃。南の方ではイタリア駆逐艦「トゥルビーネ」がオーストリア=ハンガリー帝国の巡洋艦「ヘルゴラント」などと交戦し沈没した。救援に向かった「リビア」は「ヘルゴラント」を攻撃して命中弾を与えたが、「ヘルゴラント」では「リビア」を戦艦と誤認して交戦を避け、低速の「リビア」は撤退するオーストリア=ハンガリー帝国側に振り切られた[1]

1916年2月26と27日、巡洋艦「Puglia」、「Agordat」などとともにドゥラッツォからの撤退を掩護[2]

5月4日、駆逐艦4隻とともに護衛していた仮装巡洋艦「Principe Umberto」がオーストリア=ハンガリー帝国潜水艦「U5」に雷撃され、多数の死者を出した[3]

脚注

編集
  1. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, p. 172, Clash of Fleets, Action off Vieste
  2. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, p. 222
  3. ^ The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, pp. 235-236

参考文献

編集
  • Zvonimir Freivogel, The Great War in the Adriatic Sea 1914-1918, Despot Infinitus, 2019, ISBN 978-953-8218-40-8
  • Vincent O’Hara, Leonard Heinz, Clash of Fleets: Naval Battles of the Great War 1914-18, Naval Institute Press, 2017(電子版)

参考図書

編集
  • 「世界の艦船増刊 イタリア巡洋艦史」(海人社)

関連項目

編集


外部リンク

編集