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来歴編集

1980年にはグループの名声を得て「Candy Girl」「Cool It Now」「Mr. Telephone Man」などのヒットと飛ばす。

1985年にボビー・ブラウンがグループから離脱しソロ活動として活動を始める。1988年の4枚目のアルバム「Heart Break」制作時にジョニー・ギルがグループへ加入する。

1990年にグループを活動停止し、それぞれがソロや別ユニット(Bell Biv DeVoe)で活動する。

1996年にボビー・ブラウンがグループに復帰し、6人のグループとしてアルバム「Home Again」リリース、ライブツアーの活動を行う。しかし、ツアーの最中にロニー・デヴォーとボビー・ブラウンがステージ上で衝突しツアーはキャンセルとなる。また2度目のボビー・ブラウンのグループ離脱となってしまう。

2004年にショーン"パフィ"コムズのバッド・ボーイレコーズと契約し6枚目のアルバム「One Love」をリリースする。(このアルバムが現時点でのグループの最後にリリースされたアルバムとなる。)

2011年3月3日にアメリカのケーブルテレビ「BET」にて結成30年記念として6人で番組上でライブを行う。

2017年1月23日にハリウッド・ウォーク・オブ・フェームで星が送られる。

また同年に「BET」にてグループのドキュメンタリードラマが放送される。

1978年 グループ結成編集

1978年にリッキー・ベル、マイケル・ビビンス、ボビー・ブラウンによってボーカル・グループを結成される。(3人のほかにトラビス・ペタスとコーリー・ラックリーが在籍した。)

ボストン・ロックベリーでライブを行い、その後にマネージャー兼振付師となるブルック・ペインと出会う。ブルック・ペインによりグループ名をニュー・エディションと名づけられる。

(ポスト・ジャクソン5のような意味合いが込められていた。)

コーリー・ラックリーがグループから脱退した後にラルフ・トレスバンドがグループに参加。(既にボビーやビビンスとは知り合いで、リッキーとはラルフ&リッキーで歌っている仲であった。)

その後トラビス・ペタスがグループから脱退する代わりにブルック・ペインの甥であったロニー・デヴォが加入。

1982年~1985年 グループ始動編集

1981年にボストンのストランド・テアトルにてパフォーマンスを行った際にシンガー・プロデューサーであったモーリス・スターで出会う。

1983年にモーリス・スターニューヨークのプロデューサー・アーサー・ベイカーのプロデュースのもとで1枚目アルバム「Candy Girl」を制作・リリースする。

アルバムから「Is This The End」「Popcorn Love」「Jealous Girl」がアメリカR&Bシングルチャート、UKチャートにて1位の記録を打ち出す。

1stアルバムツアーから戻った後にモーリスとの契約金をめぐるトラブルが発生し1984年にモーリスと決別することになった。(その後モーリスはニュー・エディションをモデルに白人の少年達を集めニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックを結成させ売り出していく。)

グループはメジャーレベルのMCA Recordsとレコード契約を交わし2枚目のアルバム「New Edition」を制作・リリースする。

ビルボード・トップ100にて「Cool It Now」が最高位4位「Mr. Telephone Man」が最高12位とヒットを獲得する。

1985年には3枚目となるアルバム「All for Love」がリリースされる。

アルバムから「Count Me Out」「A Little Bit Of Love (Is All It Takes)」「With You All the Way」などのヒットを獲得する。

この頃にヒップホップ映画「Krush Groove」で「My Secret」のライブ・パフォーマンスが収録される。

同年の年末にクリスマスEP「Christmas All Over The World」をリリース。

1985年~1986年 ボビー・ブラウンの解雇編集

1985年にプライベート等の素行の問題によりMCAマネージメントのもとで解雇される。解雇後、1986年よりボビーはソロ活動を開始することになる。

1986年にThe Penguinsの1954年のヒットソング「Earth Angel」をカバー・レコーディングしカラテ・キッド パート2(邦題「ベスト・キッド」)に曲を提供する。

その流れで4枚目のアルバムとしてドゥーワップ・カバーアルバム「Under the Blue Moon」をレコーディング・リリースする。

1987年~1989年 ジョニー・ギルの加入とアルバム「Heart Break」編集

ボビー・ブラウンのグループ離脱とソロ活動開始に続き、グループのリードシンガーであるラルフ・トレスバンドがソロ活動を視野に入れ始める。

リードシンガーが離脱することを懸念し1987年に残りの3人はソロシンガーとして活躍していたジョニー・ギルをリードシンガーとしてグループへ引き入れる。

ラルフは結果グループへ残留し、ジョニーを含む新しい5人体制の活動を開始する。

新体制にて5枚目のアルバム「Heart Break」制作に取り掛かる。

制作においてプロデュースチームであるジャム&ルイスを迎え入れる。

1988年6月20日にリリース。(同じこの日にボビー・ブラウンの大ヒット作となる「Don't Be Cruel」がリリースされる)

アルバムからは「If It Isn't Love」「You're Not My Kind of Girl」「Can You Stand The Rain」「Crucial」「N.E. Heartbreak」

とシングルヒットを飛ばす。このアルバムは結果としてグループ最大のヒットとなりアメリカでダブルプラチナムを獲得する。

ジョニーがリードシンガーを取るアルバムの最後の曲「Boys To Men」はこのタイトルに影響を受けBoyz Ⅱ Menのグループ名となる。(デビューアルバムはマイケル・ビビンスのプロデュースの元リリースされる。)

アルバムの成功よりツアーを開始する。そのオープニング・アクトとして前メンバーであったボビー・ブラウンを起用する。

1990年~1995年 グループ活動停止、それぞれのソロ活動を開始編集

1990年にグループの活動を停止し、メンバーはそれぞれのソロ活動を開始する。

プロデューサーであったジャム&ルイスの提案によりリッキー・ベル、マイケル・ビビンス、ロニー・デヴォーのトリオで

ユニット名「Bell Biv DeVoe(ベル・ビヴ・デヴォー)」を結成。

(当初は「Bell Bivins DeVoee(ベル・ビヴ・デヴォー)」であったがマイケル・ビビンスの提案により変更された。)

アルバム「Poison」は当時のヒップホップサウンドを取り入れたニュー・ジャック・スウィングの代表的なサウンドとなった。

アルバムはクォータブルプラチナム(400万枚)と爆発的なヒットとなった。

ジョニー・ギルは2度目のセルフタイトル「Johnny Gill」をリリースする。(グループ加入以前の1983年に同タイトルのアルバムをリリースしている。)

アルバム収録で「My, My, My」「Rub You the Right Way」などのシングルヒットを飛ばし、アルバムはマルチプラチナムを獲得する。

ラルフ・トレスバンドもまたセルフタイトル「Ralph Tresvant」をリリースする。

シングル「Sensitivity」は20週間に渡りUS R&BシングルチャートNo.1を獲得、その他「Do What I Gotta Do」「Stone Cold Gentleman」で

シングルヒットを飛ばし、アルバムはマルチプラチナムを獲得する。

ベル・ビヴ・デヴォーのリミックス「Word to the Mutha!」にラルフ、ボビー、ジョニーがフィーチャンリングで参加し、

ラルフの「Stone Cold Gentleman」やベル・ビヴ・デヴォーの「BBD (I Thought It Was Me)」のビデオにボビーが参加し、再び交流をし始める。

1996年~1997年 リユニオンによる6人体制でのグループ始動と再決裂編集

それぞれのソロ活動と商業的な成功を経て1996年にボビーを含む6人体制としてのグループを始動する。

6枚目のアルバム「Home Again」をレコーディング・リリースする。

アルバムはアメリカにおいてビルボード200とR&Bアルバムチャートの両方にてNo.1を達成しダブル・プラチナムを獲得する。

アルバムからは「Hit Me Off」「I'm Still In Love With You」でヒットを飛ばす。

アルバムツアーを行うがラスベガスのショーにてボビーがソロタイムを予定より大幅に長く終わらなかっため

ロニーが途中で打ち切りベル・ビヴ・デヴォーのショーを開始したためステージ上で揉め事になり、バックステージで

混乱する中でメンバーのセキュリティ・ガードマンが銃を乱射してしまう。

その事が発端となりビビンスとボビーがそれぞれツアーを抜け、ツアーは途中で終了することとなった。

グループは結果としてまた再決裂することとなった。

その後、ジョニー・ギルはキース・スウェット、エディ・ラヴァートとR&BグループLSGを結成しアルバム「Levert.Sweat.Gill」をリリースする。

2002年~2004年: 再結成とバッド・ボーイレコードとの契約編集

2002年に再びボビー抜きの5人体制で再結成し各地のクラブやカジノ、小さなアリーナでツアーを始める。

その後、前作でも数曲プロデュースで関わっていたショーン”パフィ”コムズのバッド・ボーイレベールと契約する。

2004年にはバッド・ボーイ傘下で6枚目のアルバム「One Love」をリリースする。

アルバムはビルボード200にて初登場12位を達成するもすぐにセールスは下降した。

2005年 結成25周年記念ライブ編集

ケーブルテレビBETにて結成25周年を記念してグループのヒットソングメドレーを披露した。

グループ初期のヒット曲「Candy Girl」「Cool It Now」「Mr. Telephone Man」を披露し、ボビー・ブラウンも途中から参加し自身の

「My Prerogative」を歌った。この後BETにてボビーはグループと和解し、再び再結成し作品を作ることを宣言した。

2005年以降~現在編集

2008年にボビーを除くメンバーでニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックの6枚目のアルバム「The Block」の収録曲「Full Service」に参加する。

2009年にラルフ、ボビー、ジョニーの3人でツアーを行う。

2009年6月28日に3日前に急逝したマイケル・ジャクソンのトリビュートのためにグループでジャクソン5の「I Want You Back」「ABC」「The Love You Save」等を含むメドレーを披露。

2011年7月3日にニューオリンズ・ルイジアナにて行われたエッセンス・ミュージック・フェスティバルにて6人のメンバーで結成30周年ツアーを開始した。

2012年にボビーとベル・ビヴ・デヴォーがアフリカ・ナイジェリアにてパフォーマンスを行う。

2012年にグループにソウル・トレイン授賞式で特別功労賞生涯業績賞が送られる。6人のメンバーでセレモニーのステージに登場する。

2017年にグループの幼少期から現在に至るまでのドキュメンタリー映画「ニュー・エディション・ストーリー」がケーブルテレビBETで公開される。

2018年にボビー・ブラウンのドキュメンタリー映画「ボビー・ブラウン・ストーリー」がケーブルテレビBETで公開される。

同年から2019年にかけてボビー・ブラウンとベル・ビヴ・デヴォーはツアーを行う。