ノート:プロテスタント

最新のコメント:3 年前 | トピック:編集提案 | 投稿者:Tokinokawa

(2005年7月までの議論:節は2010年付加) 編集

整理のため、節を付与しました。--Kinno Angel 2010年4月5日 (月) 11:15 (UTC)返信

聖公会はプロテスタントとは自称しませんので、別項目に置くべきだと思います。(←219.166.2.225氏の書き込み)

是非、メソジストやバプテストなど、特にアメリカのプロテスタント教会の歴史を付け加えてください。(←Haruka氏の書き込み)

ツウィングリは、偉大な宗教改革者ではありますが、改革派ではありません。改革派と長老派はカルバンやその後継者から分かれています。オランダに伝わったカルバン派が改革派になり、イギリスに伝わったカルバン派が長老派(その後アメリカへ)になりました。正確を期すために大幅な書換えが必要です。(←Siyajkak氏の書き込み)

Siyajkakさんの見解を支持しません。間違いと切り捨てるには大筋をよく掴んでいるので、受験参考書あたりにそのようなことが書かれていたなら苦笑して見逃すところですが、それではスイスやフランスのカルバン派とやらは何になったのでしょうか。それから、どうせ議論するなら一度に、ということで、宗教改革改革長老教会へのご意見もそれぞれのノートによろしく。LR 2004年6月28日 (月) 14:27 (UTC)返信

あれれ、もう直されてしまった後なのですね。リバートする前に話し合いたいのですが、Siyajkakさんはどこでそのような知識を身につけられましたか? あなたの意見は改革派長老派教会も含めて「アメリカあたりでは一般にそのように思われがちである」という形にすれば全く正しいので、多分傍流の思想史あたりから入られたのではないかと思うのですが? LR 2004年6月28日 (月) 15:25 (UTC)返信

LRさん

>スイスやフランスのカルバン派とやらは何になったのでしょうか。

これについては、たしかに大雑把な書きかたで説明不足であったことはお詫びします。

>間違いと切り捨てるには大筋をよく掴んでいるので、受験参考書あたりにそのようなことが書かれていたなら苦笑して見逃すところですが

>どこでそのような知識を身につけられましたか?

>多分傍流の思想史あたりから入られたのではないかと思うのですが? 

これについては、かなり失礼な書き方ではないでしょうか。傍流の思想史なんかではないことだけは明言しておきます。わたしが言いたいのは、ツウィングリが現在でいうところの「改革派」(Reformed 〔Church〕)ではないということです。たしかにツウィングリが改革派を名乗ったことがあるようですが、現在の「改革派」(Reformed 〔Church〕)ではありません。定義があいまいになってしまいます。ですから、無用な混乱を避けるために自信を持って削除しました。彼の死後、1531年にカルヴァンジュネーブ教会と合同して「改革派教会」と呼ばれたと記述するHPもあるようですがせいぜいそのくらいしかさかのぼれないでしょう。ツウィングリ派とかいう書く人もいるようですが、ツウィングリがスイスで宗教改革をはじめたという記述の仕方が一般的かつ中立的でしょう。 改革派や長老派教会については、規制的原理(regulative Principle)に対して改革派や長老派がどのような態度をとっているか、「たしかこれでよかったはずだけど...」と半ばうろ覚えの知識でカキコしてしまったのできちんと復習して書き直さないといけないかもしれません。 Siyajkak 2004年6月29日 (月) 16:45 (UTC)返信


>聖公会はプロテスタントとは自称しませんので、別項目に置くべきだと思います。(←219.166.2.225氏の書き込み)

聖公会はプロテスタントを自称しないので別項目に置くべきとの事ですが、元々プロテスタントとは抗議者という意味を込めてカトリック側が呼称した蔑称です。したがって、元々どの教団においてもプロテスタントと自称している事自体がおかしいと言えます。したがって、この場合は自称するか否かは別として教義上相容れぬ思想や政治的背景によりカトリックから分離・独立した教派もしくは更にそこからの分派等、ほぼ全てに客観的事実としてプロテスタントを当てはめるのが適当と考えますがいかがでしょう?分裂の結果聖書以外の正典を用いたりキリストの贖罪や復活を否定する等キリスト教からも逸脱する場合は別として・・・。(2005-06-28)

再臨運動を語る上でSDAだけではなく異端である「ものみの塔」の出現を記載する事も歴史を語る上で重要と考え、記載致しました。尚、ものみの塔にと並ぶキリスト教系3大カルトとして知られる統一協会モルモン教等は聖書外の正典を使用したり、別のメシアの存在を示唆する為「異端ではなく異教」と捉えて記載は控えました。ものみの塔も「異端ではなく異教」という意見も多数ではあるかとは思いますが、「(改竄があるとは言え)聖書以外の正典は使用しない」「キリストは神の子」「キリストの復活」「原罪と贖罪」を主要教理におき、使徒信条に近い信条があると判断しています。その為、ものみの塔の立場は非ニケア・コンスタンティノープル、非カルケドンの古代異端と終末思想の強い現代的原理主義の両方の性格を併せ持つと考え「異端プロテスタント」として記述致しました。(2005-07-01)

「エホバの証人」 編集

[211.177.88.160]氏が死後の霊魂解釈においてSDAとエホバの証人と分けたようですので再度修正致します。[211.177.88.160]氏はSDAはキリスト再臨時に昇天し、それまでは昇天しないという教理に留め、エホバの証人との差別化を図っているように見受けられますが、この教理はSDA、エホバの証人共に共通の教理であると見なして間違いないと思われます(昇天の教理は完全に異なるが)。詳細はSDA教団のQ&Aをご覧下さい。また、SDAのQ&Aとものみの塔公式サイトの見解と比較をされる事を推奨致します。[2005-07-29]


[211.177.88.160]さんはSDA所属のクリスチャンでしょうか。とにかくエホバの証人と区別したいようにお見受けします。死後の見解は同一という客観的内容をいちいち修正する必要性はあるのでしょうか。信徒さんであればエホバの証人であろうとSDAであろうとお互いに否定したくなる気持ちは分かりますが、客観性にかけます。ただのアンチエホバの証人に見えますよ。他の方のご意見はどうでしょうか?[2005-08-01]

[211.177.88.160]さんへ。反論や意義があるなら無言で編集せず、ノートで議論しませんか?これでは埒があきません。


全くの第三者ですが発言します、エホバの証人は、プロテスタントではありません。聖書を基にしてと言いますが、その聖書自体を自由に読む事ができません。すべて統治体と呼ばれる本部からのカリキュラムにそったもの(学び)によります。また聖書を改編しており、新約聖書上でイエスキリストについて主としている箇所に付いても「エホバ」としてしまっており、明らかに間違った訳になっています。以前は文語訳聖書でも神の御名を「エホバ」としていたため、エホバの証人でも通常の聖書が使われていましたが、現在は改編した新世界訳という聖書を使用しており(新改訳ではない)、しかも統治体のカリキュラムに従っていますからだれもおかしいとは思わないわけです。しかし以前に北海道の広島というところのエホバの証人の長老の方が聖書を通読してその間違いに気づき、証人の人が集団で脱会する事件が起きています。また伝道する(家庭訪問)ことが、信徒に要求されており、時間数によって教師になったりあるいは伝道者になるなどの「ノルマ」があり、そのために主婦の信徒の人が子供連れで家庭訪問する事がよくあり、家庭不和、家庭崩壊など、社会問題化しました(だんだんやり方が変わっているだけです)。このような事は非常に有名な話ですがご存じない人が増えてきているようです。ですからアンチエホバの証人はごく普通の人です、また信徒の人たちも被害者であり、社会問題を引き起こしている集団であるこのような宗教団体は社会通念的にも、黙ってこのカテゴリーから外すのは当たり前の事です。(最近あまり騒ぎが無いからといって許されるものでもありません)220.99.215.102 2005年11月12日 (土) 10:51 (UTC)返信

プロテスタントの定義が定まっていないのに、プロテスタントであるか無いかを判断するのは難しいかと。 [220.99.215.102]さんが提示している問題点は以下にまとめられますが、これをもってプロテスタントではないと示してしまうのはどーかなー。って思います。

・聖書自体を自由に読むことができない  聖書自体は各人が持っている(未信徒だって手に入るぐらいだし)ので、解釈・・・ということだと思いますが、 聖書は明々自分勝手に読んではならないという部分があるので、この点を指摘してプロテスタントではないとは言えないと思います。

・カリキュラムにそった学び  バプテスト教会などでも「聖書教育」などの教案誌を通して教理の勉強をしますから、この点も非難できることじゃないんじゃないかなぁ。

・聖書解釈の誤り  改変なのか誤りなのか分かりませんが、プロテスタントなら聖書はこう解釈すべき!!という共通観念が出来ていないためこれもプロテスタントでない証拠にはならないかと。

・独自聖書の利用  口語訳から離れて新改訳をつくったり、教会によっては岩波訳やバルバロ会訳をつかうわけだし、これもプロテスタント教会ではないとはいえないんじゃないかな?

・伝道することが信徒に要求されている。  これはクリスチャンの義務に近いものだから、むしろ伝道をしないほうが問題だと。

・ノルマなどがある  これも瑣末な問題で、教団内部の問題。

・反社会的団体である。  教理の問題ではなく、団体自体の問題でありこれをもってプロテスタントでないと述べることは不可能である。

 そもそも、エホバの証人が異端である理由は「三位一体説」を認めないからであり、反社会的行動などによって異端視されているのではない。 --133.2.251.39 2009年8月19日 (水) 09:51 (UTC)  返信

「教義」 編集

聖公会なんですが、古カトリック教会と完全共同倍餐で(というわけで古カトリックは聖公会をむしろ「カトリック」と認めている。古カトリックによれば「ローマに服さないカトリック」なんだそうです)、聖公会以外からも派によってはプロテスタントとはしないとする意見があるそうです(カトリックは聖公会の使徒継承性を認めていませんが、プロテスタントだと明言しているかどうかは知りません)。

正教会(東方だと思いますが)がアルミニウス主義というのは、何が典拠なんでしょうか。不勉強ですので存じません。根拠を示していただければと思います。--Aphaia 2005年9月7日 (水) 07:56 (UTC)返信

「基本教理」 編集

創造論(前1000年説と後1000年説を信じるとする教理) 創造論のところに、前1000年説と後1000年説を信じるとする教理と書かれているが、これは終末論の前1000年王国のこと? プロテスタント教会で統一した見解がないポイントを基本教理に入れるのはちょっとマズイかも。 --133.2.251.39 2009年8月19日 (水) 09:54 (UTC)返信

冒頭文についての問題提起 編集

冒頭文についてですが、エヴァンジェリカル・オーソドックス教会にまで言及されていたり、カトリック教会について詳述されていたり、聖公会について断り書きがされていたりといった、冗長な部分が目立ちます。分量自体は必要性がある記述であれば大きくても良いと思いますが(正教会の冒頭文もそれなりに大きいですが、これは語義についての日本における様々な誤解を解く為に必須のものです)、プロテスタントの全体像を分りやすく捉えるには逆に理解の妨げになるのではとの懸念を持ちました。とは申しますものの、私はプロテスタントに明るくありませんので、まずノートページでの問題提起をさせて頂きます。--Kinno Angel 2010年4月5日 (月) 11:15 (UTC)返信

一旦、全面的に改稿しました。冒頭部についても大幅に圧縮しましたが、プロテスタントに明るい各執筆者の皆様の修正、加筆をお願いしたく存じます。--Kinno Angel 2010年4月5日 (月) 15:06 (UTC)返信

系統図 編集

使徒継承の立場よりで、プロテスタントの系統の説明に全くなっていない不適切な表を削除しました。--Evangelical 2010年5月6日 (木) 13:08 (UTC)返信

強く主張はしませんが(もししていれば削除された部分を復帰しています)、一応反対意見を表明しておきます。「使徒継承寄り」とは全く思えません。もしプロテスタントが中央から外れている事を以て「使徒継承寄り」と仰るのであればという仮定の上での指摘ですが、同じく使徒継承を自認している東方諸教会もプロテスタントと同様に中央から外れた場所に配置されています。これは分岐を書いていった上での自然かつ妥当な配置でしょう。むしろ見方によっては、上位にプロテスタントが書かれていると見る事も出来ます。--Kinno Angel 2010年5月6日 (木) 23:35 (UTC)返信
私も強くは主張するつもりはありませんが、この図に特に問題は感じません。ただ、同じ図がキリスト教の項目にもあるので、わざわざ本記事に載せるまでもないとは思いますので、その意味でならば削除そのものには特に反対はしません。それよりも、もしもよい図表があるならば、プロテスタント諸教会に関するこのような関連図を載せるのがより適切だと思います。--Bokemiann 2010年5月8日 (土) 05:33 (UTC)返信
英語版でラディカル・リフォーメーションアナバプテストが来る所に、日本語版では新宗教が書かれています。これではまるでプロテスタントと新宗教に関わりがあるかのようです。ChristianityBranches-2.svgの訳と思われますが、w:Restorationism (Christian primitivism)の訳として新宗教は不適切です。宇田進著『現代福音主義』、水草修治『ニューエイジの罠』(CLC出版)などでは逆にエキュメニズム宗教多元主義シンクレティズムが、新宗教の誕生につながると指摘されています。新宗教のラインを書くなら、エキュメニズムからのラインもあるはずです。また、東方から発生した新宗教やセクトもあります。--Evangelical 2010年5月29日 (土) 09:55 (UTC)返信
「エキュメニズム」は教派名ではありません。プロテスタント内にもエキュメニズムがありますし、「エキュメニズムからのライン」を「教派の図式」に組み込む事は不可能です。
ただそもそも、「キリスト教系新興宗教」が図式に組み込まれている現状に疑問を感じます(恐らく同種の図式の最初の段階で組み込まれていたものがそのまま踏襲されていると思います)。プロテスタントから新宗教が発生しているかのような図式も妙だとはずっと思っておりました。もし宜しければ、当方でこの図、GFDLに則った上で「新興宗教」から「アナバプテスト等」に書き換えてコモンズにアップしますが、如何でしょう。「アナバプテスト等」ではない別の良案があれば、御提示をお願いしたく存じます。来週月曜日にはその作業にかかりたく存じます。--Kinno Angel 2010年5月29日 (土) 13:49 (UTC)返信
議論を踏まえて改善した系統図をアップしました。異論があれば御指摘頂ければと思います。--Kinno Angel 2010年7月1日 (木) 13:28 (UTC)返信
系統図の改善版の作成ありがとうございます。今ところ異論はありません。Restorationism の定訳はおそらくまだないと思います。「新宗教」でないことは確かです。--Evangelical 2010年7月1日 (木) 15:23 (UTC)返信
お返事ありがとう御座います。後日お気づきの所があれば御指摘下さい。ご指摘の内容と合意如何によっては、また系統図を改善させて頂こうと考えております。取り敢えず、解決済みテンプレを貼らせて頂きました。--Kinno Angel 2010年7月3日 (土) 14:22 (UTC)返信


節「エヴァンジェリカルとエキュメニカルの相違」について 編集

質問があります。「エヴァンジェリカルとエキュメニカルの相違」なのですが、自由主義神学・リベラルの系統は「エキュメニカル派」を自称しているのでしょうか?これは単純に、西方に暗い私からの素朴な疑問ですので、基本的なレベルの無知でしたら御容赦下さい。というのは五つの出典がどうやら全て福音派系のもののようなので(違っていたらすみません)。もし自称として存在していないのであれば、「エキュメニカル派(リベラル)」ではなく「リベラル(エキュメニカル派)」の方が宜しいのではないかと思います(他に特段の事情があれば話しは変わりますが…)。--Kinno Angel 2011年1月14日 (金) 23:16 (UTC)返信

自称としてはメインラインとかエキュメニカルでしょうけれど、『牧師の仕事』の著者鈴木崇巨牧師が福音派が主流になると言っているように、主流はあいまいな用語です。逆に亜流教団や異端教団を自称するところはないでしょう。エキュメニカルとエヴァンジェリカルの分離は世界的なものですが、日本では当時の「主流」教団の戦時中の歩みがあったために、他の国よりもエヴァンジェリカルの分離が一層明確になっています。英語圏には聖公会内部の福音派のように、日本よりずっと後まで残留する有力な神学者がおりました。日本にそういう神学者はいないのです。リベラルの聖書観に対応して聖書信仰という用語を使い、エキュメニカル派に対して福音派の語を使うことがあるので、その対応関係で言えば私が書いたようになるのですが、考えます。--イザヤ 2011年1月23日 (日) 09:51 (UTC)返信
あ、すみません。「主流派」を推すつもりは当方全くありません。ただ「自称」として「エキュメニカル派」と彼らが言っているのかどうか、という…そういう意味では「リベラル」の方がまだしも「自称」として用いられるケースがあるかな、というのが当方の感触なのですが、私の勘違いもしくは認識不足・知識不足なのでしょうか。--Kinno Angel 2011年1月23日 (日) 10:02 (UTC)返信
  •   報告 幾つか編集報告をします。
    • まず、上記で問題提起しました節名「エヴァンジェリカルとエキュメニカルの相違」を、「エヴァンジェリカルとリベラルの相違」に変え、本文中も「リベラル」を前面に出しました。「リベラル」は自称されることもあるようですが、「エキュメニカル派」は自称されることは(私の乏しい知識内では)確認出来なかったためです。もし「エキュメニカル派」が「自称」されることが確認出来る文献があるのであれば、出典をつけて戻して頂ければと思います。
    • (3 エヴァンジェリカルとリベラルの相違)(4 プロテスタントと他教派の相違)(5 国教会と自由教会)節は、系統概略節の下に動かしました。キリスト教に関わっている人間には常識的な事柄でも、一般日本人には、まず系統概略を説明する必要があります(これは当記事に限らず、正教会カトリック教会のページでも必要な措置であろうと思いますので、どう解決しようか思案中です)。大枠から入らないと、理解が進みません。

以上、編集報告まで。--Kinno Angel 2011年2月18日 (金) 06:52 (UTC)返信

セブンスデー・アドベンチスト教会をプロテスタント教会一覧に含めることについて 編集

セブンスデー・アドベンチスト教会については、異端であるかそうでないかについて、専門家の間でも両論あるそうですが、プロテスタント教会一覧に含めることについてNPOVの観点から修正すべきではないのでしょうか。詳しい方よろしくお願いいたします。--Solidrock0327 2014年3月8日 (土) 13:13 (UTC)返信

脚注もしくは括弧内説明として「専門家である誰々(あるいは『○○教会』)から、かくかくしかじかの異端とする見解がある」といった書き方をする事は可能とは思います。もちろん、(具体的割合は存じませんが)一部から「あれは異端だ」という見解がある事は一応私も存じています。
しかしながら、取り敢えず、当人たちが「プロテスタント」を自称し、ローマカトリックや聖公会でも、ましてや東方教会でも有り得ない以上、「プロテスタント」にセブンスデーアドベンチストを分類する事には障害があるとは考えられません。
なぜかと言えば、そもそも「プロテスタント」とは「誰かが認定するもの」では無いからです。
ローマカトリックなら教皇の教導権を認めるかどうか、正教会なら正教の聖伝に則った生活を神の導きの下に共有しているかどうか、といった判断基準があって、前者なら教皇、後者なら総主教聖シノド公会議なりが認めるプロセスがありますが、総称としてのプロテスタントに含まれるかどうかに、判断基準・判断主体があるのでしょうか?いずれも無いでしょう(またそのようなものが無い、と考える事こそプロテスタントの共通理解でもある筈です)。
繰り返しますが、脚注もしくは括弧内説明での「異論あり」という注釈を入れる事には反対しません。しかしながら「プロテスタント一覧」に入れない、という解決の方法には、少なくとも現時点では反対します。--Kinno Angel会話2014年3月8日 (土) 13:47 (UTC)返信
Kinno Angelさん、ご返答ありがとうございます。私も脚注もしくは括弧内説明が良いと思いました。もう少し、この話題に言及した書籍等について独自に調べてみたいと思います。-- Solidrock0327会話2014年3月12日 (水) 17:36 (UTC)返信

メシアニック・ジュダイズムをプロテスタント教会一覧に含めることについて 編集

むしろ私としてはメシアニック・ジュダイズムがプロテスタントに分類されている事にかなり違和感を感じますね。

これはメシアニック・ジューが異端かどうか、といった問題設定ではありません。理由は以下の通りです。

  報告 メシアニック・ジュダイズムをプロテスタント一覧から外しました。 --Kinno Angel会話2014年4月5日 (土) 13:35 (UTC)返信

編集提案 編集

項目の入れ替え 編集

下記のような順番に変えたいと思います。
1 歴史
2 組織
2.1 諸教派一覧
3 信者数 
4 教義
4.1 基本信条
4.2 福音派とエキュメニカル派の相違
  (追加文、自由主義神学に立つ教派・グループなど、リベラル派においては、何かを異端とみなすこと自身が不寛容であり、キリスト教に異端はいないとする思想もある。)
4.3 他教派との相違
4.4 プロテスタント諸派の異端規定
   (追加文、「異端」を定義する基準は、多くの教派で共有できる、ニカイア信条、ニカイア・コンスタンティノポリス信条、カルケドン信条、使徒信条など基本信条からの逸脱である。)
5  活動
5.1 エキュメニカル運動
5.2 合同教会
5.3 国教会と自由教会
6  系統
7  社会学における見解
--Tokinokawa会話2020年7月25日 (土) 23:54 (UTC)返信

プロテスタントが影響した出来事について 編集

脚注の上に下記の項目を作成したいと思います。

プロテスタントが影響した出来事

・1525年ドイツ農民戦争では、ルターの勧告に従った諸侯たちが農民を鎮圧し、10万人の農民が殺された。この詳細についてはドイツ農民戦争を参照。

・ 1562年ユグノー戦争は、フランスのカトリックとプロテスタントが40年近くにわたり戦った内戦である。この詳細についてはユグノー戦争を参照。

・ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸への入植。この詳細についてはイギリスによるアメリカ大陸の植民地化、および、フランスによるアメリカ大陸の植民地化を参照。

・八十年戦争におけるプロテスタントの反乱。この詳細については八十年戦争を参照。

・ドイツ三十年戦争。ボヘミア(ベーメン)におけるプロテスタントの反乱をきっかけに勃発した。この詳細については三十年戦争を参照。

・インディアン戦争。アメリカ合衆国における白人入植者によるインディアンの征服戦争の総称。この詳細についてはインディアン戦争を参照。

・フィリップ王戦争。1675年6月から翌年8月まで、ニューイングランドで白人入植者とインディアン諸部族との間で起きた戦争。<これ以降ピューリタンと先住民は全面的に対立するようになる。岩波キリスト教辞典P1035>この詳細についてはフィリップ王戦争を参照。--Tokinokawa会話) 2020年8月1日 (土) 02:29 (UTC)--Tokinokawa会話) 2020年8月1日 (土) 06:54 (UTC)--Tokinokawa会話2020年8月2日 (日) 07:49 (UTC)返信

概要の編集 編集

日本ではカトリック教会(旧教[1])に対し、「新教」(しんきょう)ともいう。』の次に次の文と概要を載せたいと思います。

この諸教派はナザレのイエスをキリスト(救い主)として信じる宗教<「キリスト教」『宗教学辞典』東京大学出版会、1973年、146頁。><「キリスト教」『大辞泉』増補・新装版、小学館、1998年、第一版、714頁。「キリスト教」デジタル大辞泉、小学館、コトバンク。>。である。イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものと信じる>。「父なる神」<「御父」(おんちち〈新共同訳聖書ヨハネによる福音書』3:35〉)。>と「その子キリスト」<「御子」(みこ〈新共同訳聖書『ヨハネによる福音書』3:35〉)、「子なる神」。>と「聖霊」を唯一の神(三位一体・至聖三者)として信仰する。

 概要

プロテスタントという総称は、その担い手達がカトリック教会に抗議(ラテン語: prōtestārī, プローテスターリー)したことに由来する<protestant (Dictionary.com)>。中世における諸教派の形成時、国教化されたカトリック教会は宗教の自由を認めなかったため、教皇中心主義に反して内部分裂したプロテスタント諸教派に対しても、異端としての対応を取ることとなった。そのため、多くの教派は、カトリック教会の対応に対して抗争や戦争の手段を用いて、新たな体制的教会を構築した。 また、新たな正統の基準を確立したプロテスタント諸教会は、その公的な信仰の基準に反するものを異端視した。<岩波キリスト教辞典P90><こうした分派発足のいきさつがあるため、ナザレのイエスの説いた普遍的な教条の表明と、抗争や戦争の指針とを共存しうる教派も生まれた。>

教義の中心である使徒信条は、母体となったカトリック教会とほぼ同じに設定されている。それに加えて独自の原則として三大原理<神の前で義とされるのは行為や祭礼ではなく「信仰のみ」、聖書は神の言葉であり、信仰生活は聖書の啓示をよりどころとする「聖書のみ」、洗礼を受けた信者はすべて祭司であるとする「万人祭司」がある。(岩波キリスト教辞典P90)>も設定されている。 異教・異端であるかどうかの判別の基準としては、聖書全体を神よりの霊感を受けて書かれた神の言葉として受け止めることを前提として、三位一体の教義が確立していること、イエスの復活信仰が確立していること、ナザレのイエスの死を通しての贖罪信仰が確立していること、主イエスが旧約のキリストであるとの信仰が確立していること等が規定されている。 --Tokinokawa会話) 2020年8月4日 (火) 00:44 (UTC)--Tokinokawa会話2020年8月9日 (日) 02:21 (UTC)返信

キリスト教としての信仰の確立の歴史 編集

「歴史」の項目の最後に、下記の項目を載せたいと思います。

キリスト教としての信仰の確立の歴史

プロテスタントには、母体となったカトリック教会から分派したという経緯があるため、使徒信条等の信仰に関する部分はほとんど変わらない教派となっている。

イエスの復活信仰の確立 編集

  • 紀元後30年ごろ<Jaroslav Jan Pelikan; E. P. Sanders. “Jesus”. Encyclopædia Britannica. https://global.britannica.com/biography/Jesus 2020年5月4日閲覧。 >ナザレのイエス刑死する。
  • 50年ころパウロテサロニケ人への第一の手紙を記し、生ける真のによって、死んだはずのナザレのイエスが死者たちの中から起こされたことを表明した<テサロニケ人への第一の手紙 1:9>。テサロニケの信者はイエスは死んでから蘇ったという復活信仰を始めた。
  • 54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し、神によって、死者たちの中から三日目にナザレのイエスが復活したことを表明した<コリント人への第一の手紙 15:4>。コリントの信者はイエスは死んでから蘇ったという復活信仰を始めた。
  • 70年ころ無名の著者はマルコによる福音書を記し<新約聖書翻訳委員会 2004, p. 915.>、ナザレのイエスの死後女性信者たちに何らかの事象が起きたことを表明する<マルコによる福音書 16:5>。空になった墓を見たという記述以降は、後代の加筆であるとされている<新約聖書翻訳委員会 2004.>。南シリアの信者はこれより、イエスの生涯を福音的視座をもって眺めることとなる。
  • 80年代、無名の著者はマタイ福音書を記し<新約聖書翻訳委員会 2004, p. 916.>、死人の中からナザレのイエスが起こされたことを表明した<マタイ福音書 28:9>。西シリアの信者は 死人の中からナザレのイエスが起こされたという信仰を始めた。
  • 80年代、無名の著者はルカ福音書を記す<"岩波委員会訳916" >。イエスの復活信仰が確立した。

福音書等の成立年代については、キリスト教#福音書等の成立年代と著者を参照。

ナザレのイエスの死を通しての贖罪信仰の確立 編集

  • 50年ころパウロはテサロニケ人への第一の手紙を記し、来たらんとしている神の怒りからイエスが救い出してくれることを表明した<テサロニケ人への第一の手紙 1:10>。テサロニケの信者は神の怒りからイエスが救い出してくれるという信仰を始めた。
  • 54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し、イエスは神の御子であり、イエスは私たちの罪のために死んだということを表明した<コリント人への第一の手紙 15:3>。コリントの信者はイエスは神の御子であり、イエスは私たちの罪のために死んだという贖罪信仰を始めた。また、パウロはコリント人への第一の手紙を記し、アダムにおいてすべての者が死ぬように、そのようにキリストにおいてもまた、すべての者が生きるようにさせられるということを表明した。コリントの信者はイエスによってアダムの罪による自分たちの死が神の御子により蘇りに転換したという信仰を始めた<コリント人への第一の手紙 15:20>。
  • 80年代、無名の著者はマタイ福音書を記し<"岩波委員会訳916" > 、イエスはヨセフの子ではなく、聖霊によって身ごもった神の御子であることを表明した<マタイ福音書 1:18>。そしてかれの民をもろもろの罪から救うことを表明した<マタイ福音書 1:21>。西シリアの信者は イエスはヨセフの子ではなく、聖霊によって身ごもった神の御子であるという信仰を始めた。そしてかれの民をもろもろの罪から救うという信仰を始めた。また、山上の垂訓の中に主の祈りを記した<新約聖書翻訳委員会 2004, p. 91.>。これにより西シリアの信者は 信仰の行としての毎日の祈りの中で怒りの神とは異なる父なる神の信仰を始めることとなる。信者は個人として主なるイエス・キリストとの関係を深めることとなり、イエスの死を通しての贖罪信仰を深めることとなる。
  • 80年代、無名の著者はルカ福音書を記す<"岩波委員会訳916">。イエスの死を通しての贖罪信仰が確立した。

主イエス・キリスト信仰の確立 編集

  • 50年ころパウロはテサロニケ人への第一の手紙を記し、イエスは主としてすぐに来臨してくることを表明した<テサロニケ人への第一の手紙 3:13>。テサロニケの信者はナザレのイエスは主イエス・キリストであるという信仰を始めた。
  • 54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し、イエスは私たちの主なるキリストであるということを表明した<コリント人への第一の手紙 15:27>。コリントの信者はイエスは私たちの主なるイエス・キリストであるというキリスト信仰を始めた。
  • 80年代、無名の著者はマタイ福音書を記し<"岩波委員会訳916" >、ナザレのイエスの父ヨセフは、アブラハムダビデの子孫であり、ヨセフの子であるナザレのイエスは予言されていたキリストであることを表明した<マタイ福音書 1:1>。西シリアの信者は、イエスはヨセフの子であり、予言されていたキリストであるという信仰を始めた。
  • 80年代、無名の著者はルカ福音書を記す<"岩波委員会訳916" > 。
  • 90年代、無名の著者は使徒行伝を記す<"岩波委員会訳916" >。ステファノが死の直前に聖霊に満たされてイエスが神の右に立っているのを見たことを表明する<使徒行伝 7:54>。信者は神の右にイエスが立っているという信仰を始めた。ユダヤ教に伝承されてきたキリストが主イエスであるという信仰が確立した。

終末信仰の確立 編集

  • 50年ころパウロはテサロニケ人への第一の手紙を記し、自らの終末観を表明した<新約聖書翻訳委員会 2004, p. 920.>。この終末観は初期キリスト教の預言者の言葉である可能性大であるとされている<新約聖書翻訳委員会 2004, p. 495.>。テサロニケの信者は下記の予測についての終末信仰を始めた。
  • パウロが生きているうちに主の来臨がおきる。
  • パウロが生きているうちに合図の声とともに主が天から下ってくる。
  • パウロが生きているうちにキリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえる。
  • パウロが生きているうちによみがえった死人や眠っていた人たちが天に上げられる。
  • パウロは生きたままで空中で主に会うことになり、そののちはいつも主と共にいることになる<テサロニケ人への第一の手紙 4:15>。
  • 54年ころパウロはコリント人への第一の手紙を記し、自らの終末観を表明した<新約聖書翻訳委員会 2004, p. 921.>。コリントの信者は再臨の時までパウロが生き残ることと、不死なる体に変化する世の終わりが近づいてきているという終末信仰を始めた<コリント人への第一の手紙第15章>。
  • 95年から96年ごろ著者は不明であるが、ヨハネの黙示録が著され、天にてキリストの支配がはじまったという終末観が表明される<新約聖書翻訳委員会 2004, p. 939.>。パウロの死んだ年は65年ころとされるので、それから30年くらい経過した時点での新たな予測の表明が為された。小アジアの信者は天にてキリストの支配がはじまったという終末信仰を始めた<ヨハネ黙示録 12:10>。キリスト教的な終末信仰が確立した。--Tokinokawa会話) 2020年8月9日 (日) 08:04 (UTC)--Tokinokawa会話2020年8月9日 (日) 08:05 (UTC)返信

おとめマリアより生まれたイエス 編集

教義の最後に、下記の文を載せたいと思います。

おとめマリアより生まれたイエス

諸教派の間ではニカイア信条の使用に差異があるが、それを使用している教派においては、ナザレのイエスが処女マリアより生まれたという教義を信じている。<キリスト教#ニカイア・コンスタンティノポリス信条の位置付け参照>

刑死したナザレのイエスのよみがえり 編集

ナザレのイエスは天に昇られた 編集

そして父の右に座し、生きている者と死んだ者とをさばくために、栄光をもって再び来られます。

死んだ人のよみがえりと来るべき世における新しい命がもらえる。<キリスト教#ニカイア・コンスタンティノポリス信条の全文参照> --Tokinokawa会話) 2020年8月12日 (水) 08:24 (UTC)--Tokinokawa会話) 2020年8月13日 (木) 03:43 (UTC)--Tokinokawa会話2020年8月15日 (土) 08:19 (UTC)返信

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