ノート:日本における同性愛/過去ログ1

武田信玄と高坂昌信の男色について 編集

武田晴信(信玄)と春日虎綱(高坂昌信)との男色関係を示すとされている晴信誓詞についてですが、本文でも記してあるとおり、現在では宛名の「春日」は後筆であることが指摘され、小姓「源助」を春日虎綱に比定する説は成り立たなくなっています。この文書は民放の歴史バラエティ番組や通俗的な歴史書でかなり不正確に喧伝されているらしく誤解が広まっているなと思いますし、そういう情報に接して記事を編集なさろうとされる方も多いと思われますので、ノートに注記しておきます。--でここ会話2013年10月21日 (月) 12:00 (UTC)

「源助を春日虎綱に比定する説は成り立たなくなっています」とのことですが、それはその可能性が指摘されているだけであって、まだ後筆とは断定はできないと思います。源助と春日虎綱(幼名:源助)が同一人物とも別人とも言えないわけです。今まで同一人物とされてきた訳ですから、ここはそのままの記載にし、虎綱に比定できない可能性が出てきたと注記するという事で落ち着けるのはどうでしょうか。--120.74.103.157 2013年10月22日 (火) 07:12 (UTC)修正--120.74.103.157 2013年10月22日 (火) 07:16 (UTC)
春日虎綱の幼名ですが、春日虎綱の項目では「源助」となってしまっているのですが、源助ではなく「源五郎」なのですよね(『新編武田信玄のすべて』参照、平山優氏執筆)。この意味でも源助=春日虎綱説は成り立ちにくいものになっていると思われます。確かに春日虎綱に比定される可能性はゼロではないでしょうけど、この件に関して言及している鴨川達夫氏、柴辻俊六氏、平山優氏いずれも否定的であり、現在のところ学術的にはこの説は成り立たないものと考えるのが一般的であろうと思います。いずれも戦国時代史・古文書学の専門家によるご意見であり、通俗的な一般書では春日虎綱に比定してしまっているかもしれませんが、どちらを優先するのかは明白であろうと思います。ですので、源助を春日虎綱へのパイプリンクにしておくのは適切ではないと考えます。--でここ会話2013年10月22日 (火) 07:29 (UTC)
柴辻俊六氏のみなら兎も角、3人が指摘していることであらば、別人の可能性が高そうです(といっても同一人物の可能性もゼロではありませんが)。よってパイプ付きリンクにするのは慎重になったほうがいいかも知れません。--120.74.103.157 2013年10月22日 (火) 07:41 (UTC)
ご理解して頂き、ありがとうございます。ひとつ訂正であるのですが、私は「源助=春日虎綱ではない」とうっかり書いてしまいましたが、これを「源助=春日虎綱とはいえない」に訂正いたします。三氏による新説もけして源助=春日虎綱説の可能性自体を否定しているわけではないでしょう。ただ、現在では源助を春日虎綱ではないと見る向きが一般的になっているものと思われます。--でここ会話2013年10月22日 (火) 09:08 (UTC)

同性愛者を表す言葉について 編集

私(当時のIPはIP:122.29.161.179会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois)が先日、日本における同性愛冒頭の「『同性愛者』を表す言葉」において、「ホモセクシュアル」「ゲイ」「レズビアン」に出典をつけて、新たに「ホモ」「レズ」「オカマ」を出典つきで加筆したところ([1])、IP:120.74.75.146会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんによって「ホモ、レズ、オカマは蔑称とされており、不適切だと思います。またホモセクシュアル、ゲイ、レズビアンには敢えて出典が必要とは思いません」という理由で差し戻されました([2])。まず、「ホモセクシュアル」「ゲイ」「レズビアン」については、出典を除去して記述だけを残すっていう編集は明らかに検証可能性を低下させる行為なので、そのような編集は止めていただきたいです。次に、「ホモ」「レズ」「オカマ」については、出典の示されている記述を「蔑称だから」という理由で除去するのはどうなんでしょうか。これらが「蔑称」「差別語」であるというなら、そのことを出典つきで加筆したほうが記事の充実につながると思います。なお、このあたりのことは『「オカマ」は差別か 『週刊金曜日』の「差別表現」事件: 反差別論の再構築へ』で論じられていますが、59ページから60ページにかけて、伏見憲明が「「同性愛者」あるいは「ゲイ」というのが、最近では新聞用語になっていて、それならオッケーということになっているんだけど、その二つだってそもそも「差別語」なんです。もっと言えば、近代になって、「同性愛」という概念が西洋から入ってきたわけですが、性科学、精神医学がそういうふうに性的指向で人を分類した時点で、すでに差別と排除が始まっている」「つまり、同性愛、ホモセクシュアルな欲望を抱いている人たち、あるいは女性的な男性を指し示す言葉というのは、常に差別語だったわけですよ。だから、「オカマ」であろうが「ホモ」であろうが「レズ」であろうが、差別があるところでは、その人たちを語ろうとする言葉はすべて差別語になっていくわけですよ。中立的な表現なんてなかったんです」「僕よりももっと上の世代だと「ゲイボーイ」という言葉にトラウマがある人もけっこう多いわけで、その人からすれば「ゲイ」に痛みを感じることだってあるだろうし、「同性愛」という言葉でいじめられた経験のある人なら、「同性愛者」という表現を不愉快に感じるわけです。言葉のリアリティは個別的なもので、誰の感覚が一番正しいということではない。だから、どれが差別語でどれならクリーンなんてことは本当のところないんです」と語っています。ご参考までに。追記:『二人で生きる技術: 幸せになるためのパートナーシップ』を出典に用いて、「大塚隆史によれば、「一般の社会では嘲笑や侮蔑として使われることがほとんど」だった「ホモ」という呼称を嫌う者がいる一方、「ゲイボーイ」を連想させる「ゲイ」という呼称を嫌う者もおり、また、「精神医学の世界で生まれた言葉」である「同性愛者」という呼称を嫌う者もいる」と注記いたしました([3])。

ところで、IP:120.74.75.146会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんは、同じようにノート:出会い系サイトで「これらの記述に、敢えて出典は要らないと思います」と主張していた利用者:Ceaqq3会話 / 投稿記録 / 記録さんと同一人物でいらっしゃいますか。でしたら、今後はログインして編集するようお願いいたします。--122.26.229.162 2014年4月5日 (土) 10:26 (UTC) 追記。--122.26.229.162 2014年4月5日 (土) 10:40 (UTC)

日本における同性愛はIPアドレスでしか編集しません。あなたが上記に貼られた『「オカマ」は差別か』を始め、伏見さんの言説は全て私は読んでいます。ユングら近代精神医学が創始されてから新たな差別が始まったということも承知しています。オカマは差別とする美輪さんがよく使う「ホモセクシュアル」も差別だという人がいます。ゲイもそうです。ジャフストライカーという人は昔薔薇族で、ゲイを含め同性愛指向を持つ人を記号化すること自体が偏見だと主張していました。だから全ての人が差別的でないと納得するようにするには、すこたんの方や三橋順子さんも言われているように「男性が好きな男性」などと説明的な言い方をするしかありません。それはそうなのですが、今アンケートを取れば、ゲイ男性の過半数はゲイは差別ではないと考えるのではないでしょうか。少なくともゲイを差別だと主張して反対している方は私は知りません。ホモはオカマほどではないにせよ、嫌悪感を表明している方をよく見かけます(私はホモには抵抗ありません)。また伏見憲明さんは相対主義者です。90年代の援交論争の時もそうでしたが、差別に対してはかなりシニカルで冷淡な対応をする方です。ホモ、オカマ、レズが差別なら、ホモセクシュアルやゲイも差別だという理屈で差別を合理化しようとします。その種の相対主義には同意しかねます。
合意形成のために提案すると、記事冒頭ではなく、注記として欄外に「ホモ、レズとも言うが、それぞれ蔑称だとして嫌がる人がいる」という説明付きで触れるというのはどうでしょうか。オカマについても欄外に書き、蔑称である旨も添えるなら記載することに異論はありません。もう一点、ゲイ、レズビアン、ホモセクシュアルの出典は、広辞苑や大辞林でもいいと思います。またそれほどの大辞典ではなくても、小さな国語辞典にもその3つは載っていることですし、英語版のwikiにもそれぞれ出典はないので、敢えて出典はいらないというのが私の立場です。--120.74.75.146 2014年4月5日 (土) 12:24 (UTC)修正--120.74.75.146 2014年4月5日 (土) 12:28 (UTC)再修正--120.74.75.146 2014年4月5日 (土) 12:42 (UTC)
まず一点、確認させてください。同じく東京都So-netのIPである利用者:Ceaqq3会話 / 投稿記録 / 記録さんは過去に日本における同性愛も編集していたようですが、これはIP:120.74.75.146会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんと同一人物ではないということでしょうか。それとも、120.74.75.146さんはCeaqq3のアカウントを廃棄なさって、今後はIPのみで編集なさるということでしょうか。--122.26.229.162 2014年4月5日 (土) 12:36 (UTC)
同一人物でありまりません。なお上記を再修正しました。--120.74.75.146 2014年4月5日 (土) 12:42 (UTC)
120.74.65.146さんが再び理由を示さず「ホモ」「レズ」「オカマ」を除去なさいました([4])。出典の示されている「ホモ」「レズ」「オカマ」を蔑称だという理由で除去することに私は賛成できません。まずはそれぞれが蔑称だという情報源を示してください。--122.26.229.162 2014年4月5日 (土) 12:52 (UTC)
要約欄には理由は記載しませんでしたが、あなたの前のIPのノートにその理由を付記しました。理由を示さずと言うのは訂正して下さい。レズ、オカマは嫌だという人が相対的に多いのだから、敢えて冒頭に載せる必要はないと思います。「ホモ」「レズ」「オカマ」が差別だということは、『オカマは差別か』に書かれていたと思います。--120.74.75.146 2014年4月5日 (土) 13:00 (UTC)
では、「ホモ」「レズ」「オカマ」の三つが差別語であり、「ホモセクシュアル」「ゲイ」「レズビアン」の三つは差別語ではない、と『「オカマ」は差別か』に書いてあったのでしょうか。であれば、そのページ数を示してください。参考までに、『「オカマ」は差別か』8ページ、9ページからの孫引きですが、ゲイ雑誌『Badi』2002年1月号(105号)52ページの「メディアが「オカマ」を使うのは許せる?」というアンケートでは、55.5%が「使われ方によってOK」、30.4%が「当事者が好んで使う場合のみOK」、11.1%が「「オカマ」は使っちゃダメ!」が、3.0%が「「オカマ」をドンドン使う」という結果だったようです。--122.26.229.162 2014年4月5日 (土) 13:08 (UTC)
「ホモ」「レズ」「オカマ」が差別的な意味があると『オカマは差別か』に書いてあったと思うと言ったまでです。そのアンケも知っています。55.5%が「使われ方によってOK」といっているのであり、無条件にいいとはいっていません。この項目の冒頭で触れる必要はないと思います。欄外で書くというのではダメですか?そこのご回答をお願いします。--120.74.75.146 2014年4月5日 (土) 13:27 (UTC)
ウィキペディアは出典ありきの世界なので、「あの本に書いてあったと思う」というあやふやな記憶で発言なさるよりも、具体的にページ数などを示していただいたほうが、記事の充実につながります。「この項目の冒頭で触れる必要はない」とのご意見ですが、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)に書いてあるように、主題の別名は導入部に記すこととなっております。とりあえず私のほうで『同性愛と異性愛』をもとに「また、「ホモ」「レズ」「オカマ」は差別語だから使うべきではないとする意見がある」と注記しましたが([5])、これでいかがでしょうか。
なお、先ほどから提案されている「欄外で書く」という案ですが、「欄外」というのが何を指すのかがよく分からないので、詳しく説明していただけると助かります。--122.26.229.162 2014年4月5日 (土) 13:53 (UTC)

戻します。もう一つ、『オカマは差別か』の版元はオカマ肯定派の伏見さんとの関わりが深いポット出版です。三橋順子さんとすこたんのシンポでも議論されていますが、この本(週金を引き金とするオカマ論争)は伏見さんの考えが色濃く反映されていて(確か編集もされていますよね)、全体的にオカマは当事者が使うならいい、差別的ではない脈絡ならばいいというスタンスで書かれています。伏見さんらオカマ肯定派の主張は黒字で太くになっていたりもします。Badiアンケでは「使われ方によってはOK」が過半数でも、TGの三橋とすこたんさんらが「メディアと性的マイノリティ12●ゲイ視点だけでオカマを肯定する問題点」や「メディアと性的マイノリティ14●「ホモ」「レズ」などの言葉について」などでも言われているように、「実際に街中で『オカマ』と差別に遭うのはトランスジェンダー」という実態があります。女装しないゲイはオカマと表立って差別されることはないし、女装しないゲイにオカマを肯定されたら、私たちTGは立つ瀬がない(反論しようがない)というようなことも言われています。そのTGはゲイ全体の中で非常に少数でアンケでは中々数字には表れないという問題もあります。傷つく人が少数かも知れないとはいえいるのに、敢えて冒頭で触れる必要はありません。なおホモ、レズ、オカマが差別とはこのシンポで出てきますし、これも出典とします。

ご提案いただいたその書き方には反対です。それと議論中に差し戻さないで下さい。私がいう欄外に注記でという意味は、こちらです→(利用者‐会話:120.74.75.146#同性愛の呼称について)。--120.74.75.146 2014年4月5日 (土) 14:40 (UTC)

ああ、なるほど。120.74.75.146さんが「欄外」とおっしゃっていた意味は分かりました。ただし、なぜ「ホモセクシュアル」「ゲイ」「レズビアン」は記事本文に書くべきで、「ホモ」「レズ」「オカマ」を記事本文ではなく注記での記述にとどめるべきなのか、いまだに分からないので、その理由を示していただけますか。それとも、差別語だから、という一点にかかっていると解釈してもよろしいのでしょうか。--122.26.229.162 2014年4月5日 (土) 14:46 (UTC)
差別語だから、という一点にかかっていると解釈してもよろしいのでしょうかとのことですが、その通りです。差別と感じる人の過多は別として嫌な思いをし、実際に差別被害に遭っている人がいるのに、冒頭部分で触れるのは反対です。レズビアンも嫌だという人がいて、ビアンという人がいることも承知しています。しかし当事者性が大事であり、私はビアンではありません。レズビアン表記への抗議がない内は、そう問題にしなくてもいいという立場です。--120.74.75.146 2014年4月5日 (土) 14:58 (UTC)
でしたら、Wikipedia:免責事項をお読みください。「本サイトで提供されている情報が、あなたの感情を害するものでないことは一切保証されていません。本サイトは、性、暴力、犯罪、差別思想や差別用語、政治思想、宗教、その他、あらゆる事柄を扱っており、それらの記述の中には、あなたが不快感を感じるような記述も含まれている可能性があります」と書かれています。したがって、「ホモセクシュアル」「ゲイ」「レズビアン」「ホモ」「レズ」「オカマ」のうち、どれが差別語であったとしても、それだけでは、この記事の本文に書くべきでないとする根拠にはならないです。--122.26.229.162 2014年4月5日 (土) 15:05 (UTC)

戻します。そうだからといって日本における同性愛の冒頭で触れなくてもと思います。あなたと議論しても平行線ですので、第3者の意見も募りましょう。--120.74.75.146 2014年4月5日 (土) 15:11 (UTC)

確かに、このまま二人で議論していても平行線でしょうから、コメント依頼を提出していただいてよかったです([6])。ありがとうございました。私も第三者のご意見をお待ちしております。--122.26.229.162 2014年4月5日 (土) 15:57 (UTC)

同性愛者を表す言葉に「ホモ」「レズ」「オカマ」と書くべきかについて 編集

上節と重複しますが、記事の導入部分に同性愛者の呼称として、蔑称ともされる「ホモ」「レズ」「オカマ」を書くべきかについて意見を募ります。現在の版では記載されています。私は冒頭部分からは除去し、「注記」の中(本文の欄外)に以下のように記載にすることを提案します。

『同性愛者を表す言葉には「ホモセクシュアル[1]、「ゲイ[1][2][3]、「レスビアン[2]などがある[注記 1]』。

注記・脚注

  1. ^ ホモ」、「レズ」、「オカマ」ともいう。ただこの3つの言葉、特にオカマは差別語だとして反対する者もいる(風間孝河口和也「同性愛と異性愛」(岩波書店 2010 P40)。大塚隆史によれば、「一般の社会では嘲笑や侮蔑として使われることがほとんど」だった「ホモ」という呼称を嫌う者がいる一方、「ゲイボーイ」を連想させる「ゲイ」という呼称を嫌う者もおり、また、「精神医学の世界で生まれた言葉」である「同性愛者」という呼称を嫌う者もいる[3]
  1. ^ a b 伏見憲明及川健二野口勝三松沢呉一黒川宣之山中登志子ほか『--~~~~「オカマ」は差別か 『週刊金曜日』の「差別表現」事件: 反差別論の再構築へ』ポット出版、2002年、52, 59, 60頁。 
  2. ^ a b 加藤秀一『性現象論』勁草書房、1996年、297頁。 
  3. ^ a b 大塚隆史『二人で生きる技術: 幸せになるためのパートナーシップ』ポット出版、2009年、31, 32頁。 

以上です。--120.74.75.146 2014年4月5日 (土) 15:37 (UTC)修正--120.74.75.146 2014年4月5日 (土) 15:39 (UTC)

  反対 ノート:日本における同性愛#同性愛者を表す言葉についてで述べたことと重複しますが、『二人で生きる技術: 幸せになるためのパートナーシップ』や『「オカマ」は差別か 『週刊金曜日』の「差別表現」事件: 反差別論の再構築へ』に書いてあるように、「ホモ」という呼称を嫌う者がいる一方、「ゲイ」という呼称を嫌う者もいれば、「同性愛者」という呼称を嫌う者もいるというのが現状です。そんな中、「ホモ」「レズ」「オカマ」だけを冒頭の記事本文から除去して注記にとどめるという編集は、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)Wikipedia:免責事項の観点から正当性を欠くものだと考えます。--122.26.229.162 2014年4月5日 (土) 15:57 (UTC)

  コメント コメント依頼から来ました。内容について判断できる知識はありませんが、形式的な問題として、そもそも導入部分に同性愛者の呼称を列挙する必要があるのでしょうか。確かにウィキペディアには最初の部分であまり一般的でないものまで別称を並べる傾向がありますが、それはリダイレクトで飛んできた人への配慮です。この記事は「日本における同性愛」であり、「日本における」が付いている以上、レズなどの言葉から直接こちらに飛んでくる心配もありません。導入部から同性愛者の呼称列挙をすべて削り、注ではなく本文中の呼称の節で存分に解説するのが良くはありませんか。--Kinori会話2014年4月6日 (日) 02:19 (UTC)

コメント有難うございます。なるほど、それとホモセクシュル、レズビアンといっているのだから、その短縮形のホモ、レズは重複語とみなすこともできます。--120.74.75.146 2014年4月6日 (日) 08:30 (UTC)

  コメント お招きありがとうございます。 私もKinoriさんの提案に賛成します。「ホモセクシュアル」はまあ「同性愛者を表す言葉」と言えるかもしれませんが、それも同性愛でふれればいいことですし、(日本語での)「ゲイ」「レズビアン」「ホモ」「レズ」「オカマ」については、そもそもどちらかの性別に限定されていて、明らかに別の概念ですよね? とくに「ホモ」「レズ」「オカマ」の3語は単なる「男性同性愛者」「女性同性愛者」以上のものです。ここでの議論からもわかるとおり、さまざまな立場の当事者・非当事者によるさまざまな思い・歴史・文化がからみついている言葉であり、部外者から貼り付けられてきてしまったニュアンスのようなものもあります。そうしたコンテクストぬきで単語だけがひとり歩きすることのないように注意を払うべきでしょう。

具体的提案としては、

  1. 「ホモセクシュアル」「ゲイ」「レズビアン」については、同性愛#概説に解説があるのでここでは不要。各語の登場時に同性愛#概説配下へリンクすればじゅうぶん。
  2. 日本語固有の語彙である「ホモ」「レズ」「オカマ」については、#呼称の変遷あたりを拡張する形でそれぞれ節か見出しを立てて解説する(「オカマ」についてはおかまに誘導するだけでもいいかもしれません)。これらの語彙はメディアなどで安易に使われ、配慮の伴わない形で一般の人々にも濫用される傾向があるので、ここではそれぞれの語の使われてきた歴史や背景、それぞれの語に対する肯定的立場および否定的立場の解説にも力点を置く。

こんな感じでいかがでしょうか。ぎゅうひ会話2014年4月6日 (日) 12:29 (UTC)

ぎゅうひさん、Kinoriさんの意見に私も同意ですかね。ぎょうひさんが具体的に提案された(太字に修正させて頂きました)、「ホモセクシュアル」「ゲイ」「レズビアン」については同性愛で触れているのだから「日本における同性愛」では不要。「ホモ」「レズ」「オカマ」については#呼称の変遷辺りで解説する(「オカマ」はおかまに誘導するだけ)。その方向で合意形成を図りたいと思います。2週間ほど待ち、異論が出ないようならその方向で編集したいと思います。--120.74.75.146 2014年4月7日 (月) 10:00 (UTC)
120.74.75.146さん、ありがとうございます。実際の加筆作業については私はお手伝いする時間があまりとれないかもしれないので、どうぞみなさま主導でよろしくお願いします。
別件ですが、私は大量の太字というのは暴力的な印象を受ける気がしてあんまり好きじゃないんですよ。すみませんが「茶色字」に変えさせていただきました、ご容赦ください。ぎゅうひ会話2014年4月7日 (月) 10:51 (UTC)

  賛成 コメント依頼からきました。あまり知識がある分野ではありませんが、「ホモセクシュアル」「ゲイ」「レズビアン」については皆様書かれていらっしゃるように、「日本における同性愛」という場所の冒頭に必要なものとは思えません。また、「ホモ」「レズ」「オカマ」は和製単語であっても、男色とか、ほかにもあるのですから、これだけ冒頭に書くのも違和感を感じます。他の節で、現代の日本では、そのように呼称されることを、丁寧な形で書くのが良いと思います。--Childofacrow会話2014年4月8日 (火) 07:57 (UTC)

追記です。「日本における同性愛」全体を表す別名を列挙するならまだしも、やはり、「日本における同性愛」の冒頭に「同性愛者」の側面を示す単語の一部を列挙する必要性は感じません。ぎゅうひさん、Kinoriさん、120.74.75.146さんのご意見に同意します。「「ホモ」「レズ」については#呼称の変遷辺りで解説。」「「オカマ」はおかまに誘導するだけ。」にも、異論ありません。--Childofacrow会話2014年4月8日 (火) 10:00 (UTC)

1980年代の10代サークルについて 編集

本項の「第1次ゲイリベレーション」と「サークルの隆盛」の節に、『ドリーム・メンズ・グループ』と『CLASS』についての説明があります。1981年に大阪でできたのが『ドリーム・メンズ・グループ』で、1983年にできたのが『CLASS』とあります。

さて、「オトコノコノためのボーイフレンド」(1986年発行少年社)には、後者の『CLASS』の説明として、「それ以前も別会名で活動」とあります。『ドリーム・メンズ・グループ』は『CLASS』(大阪本部)の前身組織なのでしょうか。お分かりの方がいたら情報提供お願い致します。--110.66.189.232 2014年10月3日 (金) 10:29 (UTC)

江戸時代に発展場はあったか、出典をご存知の方いませんか? 編集

#江戸時代中後期:男色文化、余り目立たない時代へ」の節に、平賀源内の『男色細見』は発展場案内書ともいわれており、江戸時代には既に発展場はあったと見られている」という記述があります(今は「利用者‐会話:123.225.0.52」によって削除)。『男色細見』が発展場案内書というのは、WEBの記事や何かで読んだ記憶があるのですが、詳細についてやそのことが書かれた書物について、ご存知の方はいませんか?そもそも江戸時代に発展場はあったのでしょうか。それについてもお詳しい方、ご教示お願いします。--110.66.111.120 2014年10月19日 (日) 05:04 (UTC)

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