ノート:秋篠宮文仁親王

最新のコメント:2 年前 | トピック:皇位継承に関するローカルルール | 投稿者:Uiweo

皇位継承に関するローカルルール 編集

皇位継承発生時には、プロジェクトで合意されたプロジェクト:日本の皇室#皇位継承に関するローカルルールに従ってください。

なお、天皇退位特例法による皇位継承がなされた場合は、皇位継承に関するローカルルールの2019年のみの特例規定を適用し、「秋篠宮文仁親王」の移動はせず、皇嗣となった旨を追記するに留めます。-Shuricastle会話2019年4月28日 (日) 03:59 (UTC)返信

Wikipedia:Help_for_Non-Japanese_Speakers#Prince Fumihitoにて、秋篠宮皇嗣殿下に改名せず秋篠宮文仁親王のまま維持していることに理由があるのかとの質問が外国語ユーザーから来ています。2019年の特例にて改名しないことで合意が取れているようですが、理由についてはノートを見ても明確に記されていませんでした。理由をご存じの方はどのように説明すればよいのかご教示ください。--Uiweo会話2022年1月3日 (月) 04:22 (UTC)返信

記事名について 編集

公的名称としては親王の身位まで含めるべきかと。私人として掲載するわけではないという点から。秋篠宮という宮号をつけるあたり、検索の便宜性もありますが、公人としての掲載であることは明らか。皇族ならば秋篠宮文仁親王とするのが正式にも思います。古代の皇族のタイトルと比べても一貫性があります。もちろん、現憲法下の皇族と祖先としての皇族は必ずしも同一視すべきではない面もありますが。如何でしょうか。/suifu

皇族関連の項目名についてはノート:雅子 (皇室)に先行の議論がありますので、ご意見はそちらに書いた方がよろしいかと。Woyzzeck 2005年4月24日 (日) 23:56 (UTC)返信

遅ればせながら、記事名に関する合意形成の結果、Wikipedia-日本の皇族の記事名に関する合意事項に基づき、記事名において宮号及び身位を付記することとなりました。--Suifu 2005年12月20日 (火) 10:25 (UTC)返信

今はメモ 編集

記事の内容について 編集

「歌道にも造詣が深い。」という記述がありますが、歌会始などで和歌を詠む機会が多い皇族が歌道に造詣が深いのは当然です。皇族の中でも特別に歌道に造詣が深いと評価されているのではない限り、この記述は不必要だと思います。--60.36.40.225 2006年11月23日 (木) 02:26 (UTC)返信

秋篠宮家で使用している車の車種についての記述がありますが、現在、たまたまこの車種を使用しているだけで、恒久的にこの車種を使い続けることが決まっている訳ではないと思いますので、わざわざ記述する必要は無いと思います。--60.36.40.225 2006年11月23日 (木) 02:26 (UTC)返信

書式の統一 編集

現在、各皇族の書式の統一を図っております。御協力をお願いします。。--田中凪 2007年5月16日 (水)

  • 始める前にまず合意を形成してください。大変に見づらくなっています。

また検証可能性のあるエピソード多数の削除などが目立ちます。記事の充実のため、削除もよろしいがテンプレや加筆依頼の活用もお考えください。よろしゅう。--氏名不詳者 2007年5月22日 (火) 15:33 (UTC)返信

  • 検証可能なエピソードであっても、一神社の遷宮といった公務のみわざわざ入れるのは「百科事典としてウィキペディア」には適当ではないと思うのですがどうでしょうか? どうしても入れるべきであると考えるなら、他の皇族方の同様の性格の公務も全部リサーチして入れるべきではないでしょうか。他の皆さんのお考えも聞いてみたいので、ご意見をお聞かせください。--霧風 2007年5月22日 (火) 22:07 (UTC)返信
    • お久しぶりのご参加、積極的な発言、歓迎いたします。田中氏と霧風さんは同意見ということでよろしいでしょうか。
伊勢神宮は皇室の祖先神天照大神を祀る神社であり、皇族が代々斎宮、祭主を務める皇室と大変ゆかりの深い神社です。神宮の号からも分かるように、神道においても大変に重要な位置づけにあります。単純な地方視察、一公務として片付けることはできません。掲載する意味は十分にあります。また伊勢神宮の式年遷宮は行われるのが六十年に一度であり、歴史的な出来事ともいえます。これに関わったということは、ご成婚や皇位継承の儀式において役割を果たしたというのと同じで、重要な意味があります。
伊勢神宮についての資料を読まれると、皇室と神宮の深いかかわりはよく分かることと思います。編集をされる前にご一読をお勧めいたします。
他の皇族の同様の性格の公務、ということでしたら、前回および前々回の式年遷宮への皇族の参加を調べて掲載すべきでしょう。おそらく上位の皇位継承権を持つ皇族が参加していることと思います。--氏名不詳者 2007年5月23日 (水) 16:41 (UTC)返信

出典等 編集

出典が不明確なエピソードの掲載は、「百科事典」であるウィキペディアにはふさわしくないと考えます。また、献上品、特筆すべき事柄のない一般的な公務については掲載する必要はないのではないでしょうか。--田中凪 2007年5月22日 (火) 02:50 (UTC)返信

どなたの編集によるか未確認なのですが、博士論文のテーマに関する情報も削除されてしまっていますよね。私が生物学の研究者ということもあって重視しすぎなのかなという嫌いもあるかもしれませんが、それほど特筆すべきでない情報なのかな、と少々気になりまして。--ウミユスリカ 2007年5月23日 (水) 20:59 (UTC)返信

ノート:美智子(皇室)より

最初に「存命の方の記事」についての方針を導入した英語版では、
  • 出典のない部分は除去してよい。
  • 出典を付加しない状態で差し戻しをしたものは即時ブロック対象
の2セットで運用していますね。生者についての記事はそれだけの慎重さを要するものだと思います。

とある以上、出典がない記事については削除する、というのがウィキペディアの共通認識であるようです。--霧風 2007年6月3日 (日) 12:26 (UTC)返信

  • 服喪期間に関する出典元の記事を転載しておきます。

岩波書店から刊行された村上重良編『皇室辞典』の「皇室の服喪」の項からです。--爺ウソ検証 2008年10月2日 (木) 01:44 (UTC)返信

村上重良編『皇室辞典』

 皇室の服喪 戦前の旧皇室服喪礼には「大喪、宮中喪」の項で詳細に皇室の服喪規定が定めら れていた。戦後これらの規定は廃止され、現在ではかなり緩和されたものになった。 天皇が、大行天皇、皇后、太皇太后、皇太后のために服喪する「大喪」と、これら以 外の人のために服喪する「宮中喪」は戦後は廃止された。しかし、友好外国の王室 などの凶訃に対しては、従来通り現在でも宮中喪が適用されている。戦後緩和され た服喪規定の中でも、とくに大きく変ったのは服喪期間中の第二期および第三期に 、「心喪」という服喪形式がとられるようになったことである。心喪とは、この期間中、 天皇はじめ各皇族は公けの行事には出席するが、神事のみ遠慮するという形式の 服喪である。一九五一年(昭和二六)の貞明皇后の場合の服喪は次の通りである。 天皇・秩父宮・高松宮・三笠宮=服喪期間一年間。 第一期五〇日、第二期五〇日、第三期残り日。 皇后・皇太子・義宮・順宮・清宮・秩父宮妃・高松宮妃・三笠宮妃=服喪期間一五日。 秩父宮の場合の服喪は次の通りである。 天皇・高松宮・三笠宮=服喪期間三〇日間。 第一期一〇日、第二期二〇日(心喪)。 皇太子・義宮・清宮=服喪期間一〇日間。 秩父宮妃=服喪期間九〇日間。 第一期二〇日、第二期三〇日、第三期四〇日(心喪)。 旧皇室葬儀令および旧国葬令には、天皇が死者の冥福を祈って静かに過ごす「廃 朝」が行われる規定があり、大葬儀とご葬儀にさいして、三日間から五日間、また国 葬日当日も廃朝が行われたが、戦後は廃止された。

記事の差し戻し&保護以来について 編集

  • ノートで議論もせずにいきなりきじを自分が書いたと思われる版に戻し、且つ、保護依頼を出すというのはなかなか乱暴ではないでしょうか。

ということで、差し戻し以前の版に戻します。124.155.36.215 2007年5月30日 (水) 03:12 (UTC)返信

記事の信頼性、及び中立性について 編集

  • まず、IP:222.7.140.109さんの投稿は、ソースが不明、あるいは事実誤認の可能性が高いものが多いように思います。
    • 例えば、2007年6月10日 (日) 17:52の版において、~を眺める姿がロイターで報道された。とありますが、ロイターというのは通信社であって、ニュースを収集、配信する企業であり、一般に向けての報道はしないものです。ロイターと提携している新聞社や放送局などがそのニュースを報道するわけです。よってこの記事では、その報道がなされたマスコミ名と報道された日時を明記しないとソースとはいえないと思います。
    • また、2007年6月12日 (火) 14:46の版において、~御川曳に参加した。(宮内庁公式ウェブサイトに記載あり、産経web)とありますが、宮内庁ホームページにリンクが張ってあるとはいえ、本来ならその記述がなされているページのURLも掲載すべきではないでしょうか。また、産経webにおいては外部リンクも張ってない、URLもない状態で、果たして本当にその記事が産経webというある程度信頼できるウェブサイトに載っていたものかどうかが確認できません。
    • 2007年6月10日 (日) 17:39の版にも~姿が現地有力紙で報道された。 という記述をされていますが、せめて新聞名+その記事が載っている日時ぐらい分かりませんか? 「現地有力紙」という言葉はソース元としては認められないだろうと思います。
  • そして、中立性に関する問題ですが、IP:222.7.140.109さんは2007年6月10日 (日) 17:39の版で「守り刀」についての記述をされてますが、あれは皇族の子女全員に出生当日、または翌日に天皇から授けられるものです。少し調べれば分かることなのですが、IP:222.7.140.109さんは秋篠宮文仁にのみ編集で追加なさっているようですが、何か理由がおありになるのですか? 同様に、自身が訪問した国の日系人の団体が表敬訪問することは、皇族であればごく普通にある公務の一環であり、わざわざ特筆すべきことでしょうか? 総じて、秋篠宮文仁という人物を過度に美化しようとしているように思うのですが、気の回しすぎでしょうか?

以上2点、ご回答をお願いします。--霧風 2007年6月12日 (火) 17:31 (UTC)返信

  • IP:222.7.140.109さんからのご回答がまだですが、同様の問題が別途発生したのでこの項に追加します。
    • 2007年6月19日 (火) 00:17の版において、遠来の客が雨をもたらすとき、その人は徳がある人だ」という諺がありとありますが、モンゴルの諺・習慣で雨に関するものといえば、1.モンゴル人は「ロス(loos[loos]=モンゴル語で龍のこと)が雨を降らせている」という信仰がある。2.雨が少ない地域であるため、客人が来る時に雨が降ると、その客が雨を連れて来てくれたと喜ぶ風習がある。3.諺としては、「愛しい人は雨を連れてやってくる」が著名であり、徳がある云々と言うのは基本的に知られておりません。その習慣なり諺なりが解説されている出典があったほうがいいかと思います。また、このモンゴル側の発言が掲載されている明確な出典をお願いします。--霧風 2007年6月20日 (水) 13:08 (UTC)返信
  • 昭和天皇明仁秋篠宮文仁親王等の記事で、「昭和天皇に非常に可愛がられた」旨の記述が記載されていますが、これは事実でしょうか?どうにも文仁親王を非常に美化したいが為の記述に思えてならないのですが。確かな出典をお願いします。--いろはにほへと 2008年1月5日 (土) 16:28 (UTC)返信
可愛がったのは事実として非常に可愛がられたという記述は徳仁親王よりも可愛がられたという意味を含めたい執筆者の意思のように思えます。--Tiyoringo 2008年1月5日 (土) 16:48 (UTC)返信
  • 次期天皇である皇太子が、今上から天皇になるための心構えを教わることは、ある意味当然のことであり、それをわざわざ文仁親王の項で取り上げる必要はないと思ったので削除いたしました。
    • また、脚注にあった鎌田純一『皇室祭祀と建国の心』では、天皇夫妻、皇太子夫妻、秋篠宮や他の皇族も一様に皇室祭祀には熱心だという内容の記事であり、秋篠宮が宮中祭祀や帝王学を受けていないことを示した記事内容ではありません。--爺ウソ検証 2008年10月2日 (木) 02:26 (UTC)返信
  • 略歴 少年時代の項

>「度々父・明仁親王に『民間人になりたい』と直訴したこともあると伝わる」 とあり、脚注に『週刊朝日』1989年4月21号となっていますが、同誌の記事は、一部週刊誌が報じた「礼宮皇籍離脱発言」を宮内庁長官や侍従、侍医、学友や恩師、高円宮に取材して全員が礼宮が皇籍を離脱したいなどと発言したことは全く考えられず、事実無根の記事だという全面否定の内容であり、民間人になりたいと訴えたことはどこにも書かれていません。--爺ウソ検証 2008年10月2日 (木) 02:47 (UTC)返信

この皇籍離脱発言についてですが、否定の意見を長々と連ねすぎで読みにくなっているのではないでしょうか。もう少し削っても問題ないと思いますが--Tabletaken 2009年1月20日 (火) 06:58 (UTC)返信

天皇即位論 編集

文藝春秋2009年2月号「秋篠宮が天皇になる日」[1]などを参考にし、項目を作成しても良いのではないだろうか。--Ajax009 2009年10月16日 (金) 15:33 (UTC)返信

白髪について 編集

秋篠宮は、白髪をめていない。白髪染め禁止ですか?--以上の署名のないコメントは、43.234.51.168会話/Whois)さんが 2010年2月24日 (水) 10:37(UTC) に投稿したものです(Whiteblancocat会話)による付記)。

長女眞子内親王の婚約に関する発言の項等におけるKの表記について 編集

題名について、どうしてKという表記を使用しているのでしょうか。プライバシー保護等の理由でしょうか。--nagae8670会話2021年10月23日 (土) 10:11 (UTC)返信

画像のライセンス 編集

  情報 Artanisenさんが2020年9月27日 (日) 12:15 (UTC)にアップしてくれた画像「Princess-Kiko-Prince-Fumihito-in-the-Matsu-no-Ma-State-Room-2019.png」ですが、明らかに虚偽ライセンスの画像と考えられます。返信

この画像について、Artanisenさんは総理大臣官邸のウェブサイト(www.kantei.go.jp)の利用規約を提示して政府標準利用規約(第2.0版)でライセンスされておりクリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際と互換性があるなどと主張しています。しかし、この画像の転載元はルーマニアのラジオ局「ヨーロッパFM」のウェブサイト(www.europafm.ro)内のページです。総理大臣官邸のウェブサイトの利用規約が、全然別のヨーロッパFMのウェブサイト内のページにまで適用されるはずがありませんから、当然政府標準利用規約(第2.0版)は適用されません。そもそもヨーロッパFMのウェブサイトには下部に「Copyright © Europa FM. Toate drepturile rezervate.」などと記されており、ウィキメディア・コモンズにアップ可能なライセンスではありません。

Artanisenさんは、出典元についてはヨーロッパFMのページにリンクを張っているにもかかわらず、ライセンスについては全く無関係の総理大臣官邸のウェブサイトの利用規約にわざわざリンクを張ったうえでご丁寧にも政府標準利用規約(第2.0版)のテンプレートまで貼っています。したがって、出典元が総理大臣官邸のページでないことを十分に承知のうえでこのような行為に及んでいますので、過失ではなく故意に虚偽の主張を展開していると思われます。申し訳ありませんが、このような画像は掲載できません。Artanisen会話 / 投稿記録 / 記録さんの2020年9月27日 (日) 12:24 (UTC)の編集によってこちらの記事に掲載されましたが、除去いたしました。日本国の皇族である秋篠宮文仁皇嗣殿下の記事において、このような行為が堂々となされたことは大変残念です。--Nnkrkrhhdi会話2021年12月2日 (木) 10:08 (UTC)返信

  コメント なお、日本の政府著作物全てに政府標準利用規約が適用されているわけではありません。個々のウェブサイトごとに利用規約が定められており、その中で政府標準利用規約に準拠する旨明記されている場合のみ、その利用規約に基づいて当該ウェブサイト内のコンテンツが利用できます。アメリカ合衆国の政府著作物とは扱いが大きく異なります。--Nnkrkrhhdi会話2021年12月2日 (木) 10:08 (UTC)返信
説明してくれてありがとう。 私は次回チェックします。その場合は削除できます。-Artanisen会話2021年12月2日 (木) 18:45 (UTC)返信
  質問 この画像の削除依頼の場において、Artanisenさんは「Sorry I thought this photo was taken by the Government of Japan. In that case, it can be deleted.」などと発言なさっていますが、何か誤解なさっていませんか? 誰が撮影者なのか議論しているわけではありませんし、もちろん撮影者が「Government of Japan」でないから削除すべきと指摘しているわけでもありません。そもそもヨーロッパFMの当該ページには「FOTO: Government of Japan」と記載されていると思います。撮影者について問題があると申し上げているのではなく、上記でご説明させていただいたとおり虚偽のライセンスであることが問題だと申し上げております。--Nnkrkrhhdi会話2021年12月3日 (金) 02:42 (UTC)返信
  情報 削除依頼の結果、当該画像は削除されました。わざわざ嘘をついてまで著作権侵害画像を掲載しようとする、というのはちょっと理解に苦しむ行為です。日本国の皇族に関連する記事に悪戯されないよう、今後も留意が必要かもしれません。--Nnkrkrhhdi会話2021年12月25日 (土) 16:03 (UTC)返信
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