パルメニデス古希: Παρμενίδης, Parmenidēs, パルメニデース、紀元前520年頃-紀元前450年[1])は、古代ギリシア哲学者南イタリアの都市エレア出身で、論理哲学的・超越思想的な学派であるエレア派の始祖。

Parmenidēs(アテナイの学堂

アナクサゴラスの弟子クセノパネスに学んだとも、ピュタゴラス学派のアメイニアス(Ameinias)に師事したとも伝えられる。名門の家柄であり、祖国エレアのために法律を制定したともいわれる。クセノパネス等にならって、詩の形で哲学を説いている。その中でも教訓詩『自然について』(: Περὶ Φύσεως, ペリ・ピュセオース)が断片として現存する[2]

思想編集

パルメニデスは、知覚可能な物理現象を抽象化した「アルケー」や「幾何学的対象」を考察してきたそれまでの哲学者たちとは異なり、「ある(有/在)」という概念を、

  • 「あるもの(有/在、ト・エオン)はあり、あらぬもの(非有/不在、ト・メー・エオン)はあらぬ」
    • 「あるもの(有/在、ト・エオン)は、唯一・不動・不変であり、理性による「真理の道」でのみ認識・探究可能」
    • 「あらぬもの(非有/不在、ト・メー・エオン)は、認識され得ず、探究不可能」
    • 「多様と変化を許容する、あり(有/在)かつあらぬ(非有/不在)もの(すなわち物理現象)は、感覚による「臆見の道」で認識される誤謬」

といった排中律的な原則・前提と、二元論的な世界観に基づいて、理性的・論理的に規定し、知覚可能で変動的な「物理現象」とは区別・隔絶された、超越的な(唯一にして不動不変の)「本質存在」を提唱した最初期の哲学者として知られる[3]。(もちろん唯一不動不変の「本質存在」のみを真の存在として認めるという立場を強調するならば、一元論と表現することもできる。)

彼を祖とするエレア派の存在論は、このように感覚よりも理性(ロゴス)を優先するという意味において理性主義[4]、その主張は「運動や変化の否定」など、著しく経験・直感に反する内容を持つ。「アキレスと亀」で知られるパラドクスは、運動が存在しない(仮象・幻覚である)ことを示すためにパルメニデスの弟子であるゼノンによって提起されたものである。

パルメニデスが主張する超越的な「本質存在」としての「在るもの」(ト・エオン, τὸ ἐόν, to eon)は、下述するパルメニデス自身の著書『自然について』においては、一種の「球体」として、素朴な形で構想・表現されているが、彼の思想に影響を受けたプラトンの対話篇『パルメニデス』や『ティマイオス』(のデミウルゴス)を通じて、その「本質存在」思想がより抽象化・神秘化、あるいは体系化・神話化された形で喧伝されたことで、エレア派の枠を超えて、アリストテレスの「不動の動者」や、新プラトン主義であるプロティノス等の「一者」(ト・ヘン, τὸ ἕν, to hen)、グノーシス主義キリスト教神学否定神学を含む)など広範囲に影響を与えたため、パルメニデスはそうした西洋の超越思想・神秘思想の系譜の元祖に位置付けることができる[5]

(ちなみに、世界を「変化・生成消滅する物理現象」と「超越的で永遠不変な存在」に分ける二元論や、その超越的存在を「球体(としての神)」として表現する発想は、パルメニデスより前に、彼の師とされるクセノパネスによって、既に提示されていたことが知られている[6]。)

パルメニデスの思想について書かれた古代の現存するテキストとしては、

などがある。

『自然について』編集

パルメニデス自身の思想は、直接的には断片として残る教訓詩『自然について』から推測するしかない。

構成

導入部に続いて「ある」と「あらぬ」についての言及があり、「「ある」そして「あらぬことは不可能」という道」を真理の道と位置づけ、以降、「ある」や「あらぬ」についての議論が続く。 その中で「あらぬ」は規定すらもできぬものとして否定され、「ある」は不生不滅で時間的にも不変であるとされ

以上の「信頼できる言説」の後、Fr.VIII 50 から「死すべき人の子らのまことの証なき思惑(ドクサ)」として、「火」と「土」の二元素論による自然現象の説明を展開している。これを述べた意図は、「死すべき人の子らにお前がそれらの知識で劣ることがないように」とされる。

解釈

教訓詩の解釈は現在でも様々であるが、以下に主要なものを列挙する[7]

第一の解釈は、厳格な存在論的な一元論とするもので、上記を自然学的な主張だと解釈する。つまり、「ある」は不生不滅で運動も変化もしない、この世にただ一の存在物である。イオニアの自然学においては、例えばタレスの「水」を唯一つのアルケーとするなど、一元論的な理論が盛んであった。この一元論を徹底的に推し進めたのがパルメニデスだということになる。

第二の解釈は, Fr. IIIの「思惟することと「ある」ことは同じであるから」に着目し、ラッセルの「記述の理論」などを参考に、詩の内容を自然学というよりは存在の形而上学として解釈する。

第三の解釈では、詩文の中の「ある」を存在を意味するのではなく、叙述「~である」を意味すると解釈する。この解釈の下では、断片のFr.VIII 50の直前までは事物の本質的な叙述のあり方を述べたものということになる。

一般的な解説では、上記の第一の解釈に絞った説明が多い。これは古代からあった解釈ではあるが、ただ一つの有力な解釈だったわけではない。上記の第二、第三の解釈と同様に、パルメニデスの思想を経験される事実と矛盾しないように解釈したい、という考えは古くからある。例えばアリストテレスの『形而上学』第一巻において、そのような考えを概ね弟子のメリッソスのものとし、「素朴で検討に値しない」と退けた。一方、パルメニデスについては「より深い洞察を持って語っている」とし、「一者」は存在の本質についての概念であるとした。この存在の本質についての一元論と詩の後半部の二元論は、各々現実の別の側面を捉えたものとされる。

影響編集

当時、パルメニデスらエレア派の議論は大きな衝撃をもたらしたようで、後に続く哲学者は何らかの形でその議論を取り込んでいる。

例えば、レウキッポスやデモクリトスのアトムはエレア派の「有」を小さく分割したものである。また、運動や変化の説明のため、「あらぬもの」すなわち空虚の存在を仮定した。

アリストテレスは純粋質料と形相の組み合わせで自然の変化を説明したが、前者の概念はエレア派の「有」を思わせる。また、彼の有名な空虚の否定はエレア派の影響である。

その影響は、現代哲学にも見られる。

プラトン哲学への影響編集

古代のプラトン主義者たちは、パルメニデスの思想の中にイデア説の原型を見出している。 つまり、理性でのみ把握される不生不滅の「有」の世界と、感覚で把握される生成流転する世界の二層構造を初めて見出したのがパルメニデスだ、というのである。

プラトンは『パルメニデス[8]という対話篇を書いている。この中で、パルメニデスは、未だ若く未熟なソクラテスイデア論の難点を指摘し、その思索を導く。これから読み取れることは、プラトンがパルメニデスを高く評価していたこと、また、そのイデア論がパルメニデスの深い影響下で成立したことである。

当然のことながら、この対話編の登場人物のパルメニニデスと同名の歴史上の人物の思想を同一視することはできない。また、パルメニデスの思想がイデア論の成立に深く影響したことは事実ではあっても、そこから逆算してパルメニデスの思想をイデア論的に引き寄せて解釈することができるかどうかは、また別の問題である。

プラトンイデア論はパルメニデスの不生不滅の考えとヘラクレイトスの万物流転の考えを調和させようとした試みであるとも言われている。

脚注編集

  1. ^ 出口治明『哲学と宗教全史』ダイヤモンド社、2019年、P.62。
  2. ^ 当時の哲学者の多くは、自分の思想・世界観を表明するために、こうした題名の著作を書いていた。(参考:自然について英語版
  3. ^ パルメニデスとは - コトバンク
  4. ^ C・ロヴェッリ『すごい物理学講義』河出文庫、2019年、P.34。
  5. ^ 全集4, 岩波, pp.373-374
  6. ^ ギリシア哲学者列伝』第9巻・第2章
  7. ^ 以下の記述は、主にJohn Palmer, Parmenides, in Stanford Encyclopedia of Philosophy https://plato.stanford.edu/entries/parmenides/ による。
  8. ^ 田中美知太郎訳『プラトン全集4 パルメニデス・ピレボス』(岩波書店)参照。

外部リンク編集