ピエール・ラルース

ピエール・ラルース(Pierre Larousse、1817年10月23日 - 1875年1月3日)は、フランスの教育者、百科事典の執筆、編集者として知られる人物である。百科事典のプチ・ラルースなどは、彼の名に由来する。

ピエール・ラルース
Pierre Larousse.jpg
生誕Pierre Larousse
(1817-10-23) 1817年10月23日
ヨンヌ県トゥシー
死没 (1875-01-03) 1875年1月3日(57歳没)
パリ
職業教育者
著名な実績百科事典の執筆、編集
代表作ラルース百科事典

若い頃編集

 
故郷にあるピエール・ラルース記念碑(20世紀初頭)

ピエール・ラルースは、トゥシーで生まれ、父親は鍛冶屋だった。16歳の時、奨学金を得てベルサイユの教育学校で学んだ。4年後、初等学校で教えるためにトゥシーに戻ったが、古めかしく柔軟性に欠ける教育方法に失望していた。1840年、無料講座を受けることにより、自らの教育を改善させるためにパリに向かった[1]

経歴編集

 
ラルースの最初のフランス語辞典の表紙(1856年)

1848年から1851年まで、ボーディングスクールで教えており、そこで未来の妻Suzanne Caubelに出会った(ただし、1872年まで結婚はしなかった)。1849年、ともに、子供向けにフランス語講座を公開した[1]。1851年、幻滅していたかつての教師Augustin Boyerに出会い、共同でthe Librairie Larousse et Boyer (Larousse and Boyer Bookshop)を設立し、生徒の創造性と自立性を向上させることに重点を置いて、子供向けに進歩的な教科書、教師向けに教育マニュアルを出版した。1856年には、プチ・ラルースの前触れである「新フランス語辞典」を出版したが、ラルースはすでに次のより大きなプロジェクトの計画を立て始めていた。1863年12月27日、ラルース百科事典の第1巻が登場した[1]。この事典はヴィクトル・ユーゴーに賞賛され、傑作になった。モダンで改定された形式が今も高い評価を受けている。1869年、ラルースはBoyerとの協力関係を解消し、残りの人生を百科事典の執筆に費やした。1875年、パリでラルースが疲労による脳卒中で亡くなった後に、ラルースの甥Jules Hollierにより仕上げられた(全15巻)[1]

レガシーの出版編集

出版社のラルースフランス語版は今も存続しているが、1984年にCompagnie Européenne de Publication、1997年にHavas、1998年にVivendi Universal、2002年にLagardère Groupに買収された。ラルース百科事典の英語版は、Hamlyn (publishers)とPrometheus Booksにより何十年にわたり出版された。

脚注編集

関連項目編集

外部リンク編集