ピーター・ライト (エンジニア)
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ピーター・ライト(Peter Wright、1946年5月26日 - )[1]は、1960年代から1990年代にかけてF1で活躍したイギリス出身のエンジニア。
ピーター・ライト Peter Wright | |
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生誕 | 1946年5月27日(76歳) 同・サリー州レクルシャム |
国籍 | ![]() |

人物編集
熱力学と空気力学を専攻し工学の学位を取得してケンブリッジ大学を卒業し、1966年末にBRMに入社し、1969年まで在籍していた[2]。
1969年後半には、ローラ社の関連する、ハンティンドンを拠点とする[3]、グラスファイバーのボディカバーへの応用でのパイオニアのSpecialized Mouldings社[4]に移籍し、コンポジットの黎明期に、ようやく採用され始めたグラスファイバーを取り込んだモノコック製造の下請けを担当し、マーチ701のサイドポッド設計を担当した[2]。
さらに、社用に専用風洞を設計し用意した。
コーリン・チャップマンのボート事業と連携して射出成形技術の研究を行っていた調査会社、グループ・ロータスの企業である「テクノクラフト」にいたトニー・ラッドに空力面で呼び出されて移籍することになり、地面効果技術のパイオニアの1人となり、その後、モータースポーツにおける空気力学の適用に非常に大きな影響を与えた。
とりわけ、1970年代後半のこのチーム・ロータス在籍中に、地面効果(グラウンド・エフェクト)理論を展開し、チームは1978年のチャンピオンを獲得するロータス79を生み出した[2]。
1994年にモータースポーツから引退した後、ライトはFIAの技術コンサルタントとして採用され、FIAの安全委員会の責任者を何年も務めたが、現在は引退している。
インペリアル・カレッジ・ロンドン(ICL)の風洞施設編集
ホンダの資金提供による1980年代後半のインペリアル・カレッジ・ロンドン (ICL)の風洞施設は、ロータスとウイリアムズが使用していて、その運用中心人物はフランク・ダーニー、ローラがその運用サポートをしていて、多くの空気力学エンジニアを輩出している[5]。
脚注編集
- ^ “Where Are They Now: Peter Wright”. OldRacingCars.com (2015年6月6日). 2021年5月9日閲覧。
- ^ a b c “Peter Wright”. Motor Sport Magazine. 2022年9月5日閲覧。
- ^ “イギリス ハンティンドン”. google maps. 2022年9月20日閲覧。
- ^ “SPECIALISED MOULDINGS” (英語). Motor Sport Magazine. 2022年9月9日閲覧。
- ^ “The Imperial”. grandprix.com. 2022年8月18日閲覧。