ファズルリハク・ハレキヤル

アフガニスタンの政治家

ファズルリハク・ハレキヤル(فضل حق خالقيار、Fazal Haq Khaliqyar、1934年 - 2004年7月16日)は、アフガニスタンの政治家。ムハンマド・ナジーブッラー政権の首相。アフガニスタン民主共和国英雄。[要出典]

経歴

編集

ヘラートの大地主の家庭に生まれる。タジク人。ヘラートの貴族学校、1958年にカーブル大学経済学部を卒業し、アメリカに留学した。

  • 1958年~1960年 – 計画省職員
  • 1962年~1963年 – 内務省職員
  • 1965年~1966年 – 通信省職員
  • 1966年~1968年 – カーブル州財務局長
  • 1969年~1971年 – 財務省行政局長
  • 1971年~1972年 – バグラーン州知事
  • 1972年~1978年 – 財務次官
  • 1978年~1980年 – 財務省官房長
  • 1980年~1985年 – 財務第一次官

1985年12月28日、財務・経済問題担当の無任所相。1987年からヘラート州知事と北西地帯全権代表を兼任。

1990年4月、ムジャーヒディーン部隊のムハンマド・ナジーブッラー政権への帰順式典時、テロ攻撃により重傷を負う。1990年5月8日~1992年、首相。

パーソナル

編集

妻帯、2児を有する。長男は、ムジャーヒディーンとの関係の嫌疑で短期間逮捕された。次男は、1980年代末に西ドイツに留学。

アフガニスタン民主共和国英雄(1987年)。

先代
スルタン・アリー・ケシュトマンド
アフガニスタン首相
1990年 - 1992年
次代
アフマド・シャー・アフマドザイ