フィリップ・ハレ
彫版職人、出版人
フィリップス・ハレ[1]またはフィリップ・ハレ[2](オランダ語: Philip Galle、名は Philip、Philippe、Philips、 Filipなど様々な綴りが用いられる。 1537年 - 1612年3月)は、おもにフランドルの版画家、出版人、著作家。
フィリップ・ハレ Philip Galle | |
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Philips Galle, Philip Galle | |
ヘンドリック・ホルツィウス 「フィリップ・ハレの肖像」、1577年 | |
生誕 |
1537年 ハールレム |
死没 |
1612年3月 アントウェルペン |
略歴
編集ハールレムで生まれた[3]。ハールレムの著述家で版画家のディルク・フォルケルツゾーン・コールンヘルト(Dirck Volkertsz. Coornhert: 1522–1590)の弟子であったとされる。1557年からアントウェルペンの版画家、出版業者のヒエロニムス・コックの出版社から版画を出版するようになった後、1563年から自ら出版を手掛けるようになった。1570年にヒエロニムス・コックが亡くなった後、コックの未亡人が出版業を続けたが出版のペースは衰え、ハレの出版社が、ネーデルランドを代表する出版社に発展することになった。ピーテル・ブリューゲルやマールテン・ファン・ヘームスケルク、フランス・フロリス、ヤン・ファン・デル・ストラートといった画家の複製版画を出版した。
美術作品だけでなく、廉価版の地図やイタリアの数学者ァブリツィオ・モルデンテの著書も出版した。
息子のコルネリス(Cornelis Galle I: 1576–1650)も版画家になり、父親の工房を継いだ。孫のコルネリス(Cornelis Galle II: 1615-1678) も出版の仕事をした。
ハレの工房で働いた画家には、ヘンドリック・ホルツィウスやジャン・バティスト・バルベらがいた。
作品
編集-
「錬金術師(ピーテル・ブリューゲルの原画による)」1558年以降
脚注
編集- ^ “聖母の死(ピーテル・ブリューゲルの構図による)”. 国立西洋美術館. 2018年6月30日閲覧。
- ^ “フィリップ・ハレの肖像”. 国立西洋美術館. 2018年6月30日閲覧。
- ^ “作家名索引>フィリップス・ハレ / Philips Galle [ ハールレム , 1537年 - アントワープ, 1612年 ]>作家について”. 国立西洋美術館. 2018年6月30日閲覧。