フィリピン諸島米国軍政府

フィリピン諸島米国軍政府
United States Military Government of the Philippine Islands(英語)
Gobierno militar estadounidense de las Islas Filipinas(スペイン語)
Pamahalaang Militar ng Estados Unidos sa Kapuluang Pilipinas(タガログ語)
フィリピン総督領 1898年 - 1902年 フィリピン諸島政府
フィリピンの国旗 フィリピンの国章
国旗国章
国歌: Hail, Columbia(英語)
コロンビア万歳
フィリピンの位置
1901年のフィリピン
言語 英語
スペイン語
タガログ語
首都 マニラ
大統領
1898年 - 1901年 ウィリアム・マッキンリー
1901年 - 1902年セオドア・ルーズベルト
軍事総督
1898年8月14日 - 30日ウェズリー・メリット英語版
1898年 - 1900年エルウェル・スティーブン・オーティス英語版
1900年 - 1901年アーサー・マッカーサー・ジュニア
変遷
マニラ占領 1898年8月14日
パリ条約調印1898年12月10日
反乱1899年2月4日
マロロス占領1899年3月31日
タフト委員会設立1900年3月16日
フィリピン自治法制定1902年7月1日
通貨フィリピン・ペソ
現在フィリピンの旗 フィリピン

フィリピン諸島米国軍政府(フィリピンしょとうべいこくぐんせいふ、英語: United States Military Government of the Philippine Islands)は、フィリピンに置かれていたアメリカ合衆国軍事政府である。

ウェズリー・メリット英語版1898年8月14日の布告によって政府を樹立し[1]、その翌日にメリットは軍事総督に就任した[2]1902年アメリカ合衆国議会でフィリピン自治法が可決されたことで、フィリピンがより植民地化されていくこととなった。

マニラの占領

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戦闘後、パシグ川にかかる橋を警備するアメリカ兵の写真(1898年8月13日)

関連項目

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脚注

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出典

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