フィル・ヴォルグ、あるいはフィル・ボルグ: Fir Bolg)はアイルランドの伝説上の民族である。 広義では彼らと同時期にアイルランドに入植したフィル・ドーナン英語版やゲーリオン人(Gáilióin)(「[1])も含めてフィル・ヴォルグと称する[2]

概要

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アイルランド来寇の書において、フィル・ヴォルグはアイルランドに入植した四番目[3]の民族として記されている。フィル・ヴォルグと五番目の民族トゥアハ・デ・ダナーンは双方とも三番目の民族である「ネウェド英語版と従者たち」の子孫にあたり、同じ言葉を使用したとされる。ネウェドと従者たちは疫病により大きく人数を減らした後、フォモール族から重税を強いられた。そのため彼らの大部分はアイルランドを後にした。

この内のギリシアに向かった者達が後のフィル・ヴォルグとなり、「世界の北」へ向かった者達が後のトゥアハ・デ・ダナーンとなる。

彼らはアイルランドへ入植後フォモール族と婚姻関係を結び、後フォモールの王となるインジッヒ(Indich mac de domnann)も生まれる[1]。 彼らは地域を5つに分け、東部のレンスター、西部コナハト、南部のマンスターと北部のアルスター、東中央のミ―ス[4]を制定した。5つの地域はクイギュー(Coigedh 直訳すると「5分の1」)と呼ばれた[5]。 彼らは、その後に入植したトゥアハ・デ・ダナーンとは、言語の他、戦争に関するルールも同じであったため、当初「エリンの島の半分ずつに互いに別れて暮らそう」という友好な関係を持つものの、互いの人口増加により戦争となる。

 
ドゥーン・エンガス

そのようにして行われた第一次マグ・トゥレドの戦いでトゥアハ・デ・ダナーンに敗北した後、アラン諸島へと敗走する。伝説ではアラン諸島にあるイニシュモア島英語版ドゥーン・エンガス英語版[6]は彼らが作った城塞とされる。 伝承によってはコナハトの地を有することを許された[7]

 後、彼らは伝承の中で、アイルランドの最初の妖精となったが、それは巨人の如きグロテスクな存在であったという[8]。また、巨人として語られた後には、身長90cmで、紅いチェックやプレードの服を着る 農民のような形と言われるようになり、土塁やラース(円形土砦)に住み、人間と交配ができるが、高齢化した一族を人間の子供と交換する、チェンジリングも行うと語られる[9]

 キャサリン・ブリッグズは、金髪碧眼で巨大であったトゥアハ・デ・ダナーンと戦い敗れ被征服民となる彼らを、ギリシャ神話に登場する、オリュンポスの神々と戦い敗れる巨人ティターンの関係と比しうるとしている[8]

呼称

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「フィル・ヴォルグ」(Fir Bholg あるいはFirbolgs)の呼称は資料によって、「皮を持つ人[10]」、「革袋の民[1]」、「沼地の人[9]」と説明されるほか、フィルはゲール語で英語の"men"にあたる語であり、ヴォルグは彼らの崇拝するビルグ(Builg)[7]、湿地[11][12]など諸説がある。

また彼らはコルカ・オイドカ(闇の人)コルカ・ドゥイブナ(夜の人)とも言われる[13]

歴史

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フィル・ヴォルグは完全な伝説上の民族ではなく、現実の歴史の一部が伝説へと反映された存在である。広義のフィル・ヴォルグの中の一部族であるゲーリオン人は「レンスター」の語源であるリーイン族英語版を指すと考えられている。また、フィル・ヴォルグの中の一部族フィル・ドーナンはブリテンのドゥムノニ族英語版と関係がある[14]。ヤン・ブレキリアンはフィル・ヴォルグを「ベルギー人」と、フィル・ゲーリオンを「ガリア人」とし[15]、フランク・ディレイニーは「フィル・ヴォルグ」と言う呼称と大陸ケルト人たる「ベルガエ人」との関連を示唆している[16]

脚注

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  1. ^ a b c 健部 2004, p. 216.
  2. ^ "[the Gaileoin, the Fir Bolg and the Fir Domnann] are all called Fir Bolg, ..." (Macalister 1941, pp. 9, 17)[1][2]
    「そして[フィル・ボルグ族の3つのグループの内の1つである] 厳密な意味でのフィル・ボルグ族はアルスター[中略]に上陸した.」(リース 2001)
  3. ^ ケスィル英語版らを一番目とした場合。彼女らを勘定に入れるかどうかには異論がある(リース 2001, p. 637)。
  4. ^ ディレイニー 2000, p. 42.
  5. ^ マッカーナ 1991, p. 111.
  6. ^ 北緯53度07分32秒 西経9度46分01秒 / 北緯53.125553度 西経9.766847度 / 53.125553; -9.766847 (Dún Aonghasa)
  7. ^ a b グリーン 1997, p. 29.
  8. ^ a b ブリッグズ 1990, p. 292.
  9. ^ a b フランクリン 2004, p. 392.
  10. ^ 井村 1990, p. 61.
  11. ^ デイヴィス 2006, p. 115.
  12. ^ 丸山 2016, p. 69.
  13. ^ ローズ 2003, p. 328.
  14. ^ マッカーナ 1991, p. 112.
  15. ^ ブレキリアン 1998, p. 207.
  16. ^ ディレイニー 2000, p. 38.

参考文献

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関連項目

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