フィロ・ホール (英語: Philo Hall, 1865年12月31日 - 1938年10月7日)は、アメリカ合衆国政治家弁護士。所属政党は共和党カナダ系アメリカ人2世。

フィロ・ホール
Philo Hall
生年月日 (1865-12-31) 1865年12月31日
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ミネソタ州ワセカ郡、ウィルトン村
没年月日 1938年10月7日(1938-10-07)(72歳没)
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
サウスダコタ州ブルッキングズ
出身校 バプテスト・カレッジ
前職 弁護士
所属政党 共和党
配偶者 メアリー・A・クック
子女 3人

選挙区 サウスダコタ州全州選挙区
当選回数
在任期間 1907年3月4日 - 1909年3月3日

第6代 サウスダコタ州司法長官
在任期間 1903年 - 1907年

在任期間 1901年 - 1903年
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四半世紀にわたってサウスダコタ州東部の法曹界で活躍し、州弁護士や州司法長官などを務めたほか、州上院議員(1期)や連邦下院議員(1期)として政界でも活躍した。

経歴・人物

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1865年12月31日、フィロ・ホールはミネソタ州ワセカ郡ウィルトン村で生まれた。父フィロ・ホールは南北戦争北軍として参加したカナダ系1世で、ウィルトンでホテルを経営していた。1883年に父が亡くなると、一家はダコタ準州ブルッキングズに移った[1]

スーフォールズのバプテスト・カレッジを卒業後、J・O・アンドリュース判事の下で法律を学び、1887年に弁護士資格を得て、ブルッキングスで開業した[1]ブルッキングズ郡検事、ブルッキングズ市検事を歴任し、1894年から1895年までブルッキングズ市長を務めた[2]

州上院議員や州司法長官を務めた後、1906年選挙で連邦下院議員に当選し、1期の任期を務めた。1908年選挙では再選を果たせず、弁護士活動を再開した[1]

1938年10月7日にブルッキングズで死去し、同地のグリーンウッド・セメタリーに埋葬された[3]

家族

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1890年、ホールはメアリー・A・クックと結婚し、間に3人の子供をもうけた。

関連項目

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参考文献

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  1. ^ a b c Kingsbury, George W. (1915). History of Dakota Territory Vol.4. The S.J. Clarke Pub. Co. pp. 312-313. https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=chi.78737525&view=2up&seq=168&q1=Burke 
  2. ^ Thornes, Shari (December 30, 2015). City of Brookings Directory: Elected Officials Appointed Boards, Committees & Commissions. Brookins, SD: City of Brookings, South Dakota. p. 39. http://cityofbrookings.org/DocumentCenter/Home/View/262 
  3. ^ HALL, Philo; 1865 – 1938”. bioguide.congress.gov. 2021年5月1日閲覧。

外部リンク

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  • United States Congress. "フィロ・ホール (id: H000066)". Biographical Directory of the United States Congress (英語).
  • フィロ・ホール - Find a Grave(英語)
アメリカ合衆国下院
先代
チャールズ・バーク
  サウスダコタ州全州選挙区
シートA選出議員

第4代: 1907年3月4日 - 1909年3月3日
同職:ウィリアム・パーカー
次代
チャールズ・バーク
司法職
先代
アドルファス・W・バート
  サウスダコタ州司法長官
第6代: 1903年 - 1907年
次代
サミュエル・ウェズリー・クラーク