フランコンヴィルFranconville)は、フランスイル=ド=フランス地域圏ヴァル=ドワーズ県コミューン。フランコンヴィル=ラ=ガレンヌ(Franconville-la-Garenne)とも呼ばれる。

Franconville


行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) イル=ド=フランス地域圏
(département) ヴァル=ドワーズ県
(arrondissement) ポントワーズ郡
小郡 (canton) フランコンヴィル小郡
INSEEコード 95252
郵便番号 95130
市長任期 フランシス・ドゥラトル
2008年-2014年
人口動態
人口 32,932人
2007年
人口密度 5,320人/km2
住民の呼称 Franconvillois, Franconvilloises
地理
座標 北緯48度59分01秒 東経2度13分43秒 / 北緯48.983533度 東経2.2285556度 / 48.983533; 2.2285556座標: 北緯48度59分01秒 東経2度13分43秒 / 北緯48.983533度 東経2.2285556度 / 48.983533; 2.2285556
標高 最低:54m
最高:167m
面積 6.19km2
Franconvilleの位置(フランス内)
Franconville
Franconville
公式サイト http://www.ville-franconville.fr
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地理 編集

フランコンヴィルは、モンモランシー谷の中央部に位置する。パリの北西約12kmに位置する。

歴史 編集

ルテティアリールボンヌとをつなぐ古いローマ街道(fr)が、ル・プレシ=ブシャールに隣接するフランコンヴィル域内を横断していた。それでも、フランク人がフランコンヴィル誕生の義務を負うこととなった。フランコンヴィルの名が知られたのは8世紀だった。

『フランク人の家』を意味する名称フランコルム・ヴィラ(Francorum Villa)を最初に書き表したのは、1137年、サン=ドニ修道院シュジェールであった。村には農民の数世帯が暮らし、クルミの林がとりわけ特徴だった。

サン=ドニ修道院の影響下に教区は置かれ、モンモランシー男爵家が教会と権力を争っていた。最初の名の知られた当主、ギヨーム・ド・バテストが教会を建てた。シュジェールも領主となった一人だった。村の収入は、サン=ドニ修道院の修道士たちの衣料品の保全、そして履物作りだった。

1229年、フランコンヴィルに、十字軍帰還者のハンセン病患者を収容する病院が建てられた。

16世紀の村は農業、旅館経営で経済が成長した。フランコンヴィルを通過する道路は往来が活発で、のちにはパリ=ルーアン間をつなぐ主要道となった。しかしこれら通信設備や首都に近接していることが、町をしばしば破壊する戦争の要因でもあった。

17世紀から18世紀、中流階級用の美しい住宅が建てられた。1630年、聖ヴァンサン・ド・ポール修道会はフランコンヴィルへ移住した。フランス革命中、フランコンヴィル=ラ=リーブル(Franconville-la-libre)と改名させられた。

1846年に鉄道が到達し、モンモランシー谷全てのコミューンがつながった。

交通 編集

姉妹都市 編集