フランソワーズ・マドレーヌ・ドルレアン
フランソワーズ・マドレーヌ・ドルレアン(Françoise Madeleine d'Orléans, 1648年10月13日 - 1664年1月14日)は、サヴォイア公カルロ・エマヌエーレ2世の最初の妃。父はフランス王ルイ13世の弟オルレアン公ガストン、母はその2番目の妃マルグリット・ド・ロレーヌ。イタリア名はフランチェスカ・マッダレーナ・ドルレアンス(Francesca Maddalena d'Orléans)。
フランソワーズ・マドレーヌ・ドルレアン Françoise Madeleine d'Orléans | |
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サヴォイア公妃 | |
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在位 | 1663年 - 1664年 |
出生 |
1648年10月13日![]() |
死去 |
1664年1月14日(15歳没)![]() |
埋葬 |
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結婚 | 1663年4月3日 アヌシー |
配偶者 | サヴォイア公カルロ・エマヌエーレ2世 |
家名 | ブルボン家 |
父親 | オルレアン公ガストン |
母親 | マルグリット・ド・ロレーヌ |
宗教 | キリスト教カトリック |
生涯編集
1663年にカルロ・エマヌエーレ2世と結婚した。カルロ・エマヌエーレの母マリーア・クリスティーナはオルレアン公の姉であり、カルロ・エマヌエーレとフランソワーズ・マドレーヌとは従兄妹であった。結婚から1年とたたずに翌1664年、フランソワーズ・マドレーヌは子供を生むことなく早世し、トリノ大聖堂に葬られた。
カルロ・エマヌエーレは間もなく1665年にサヴォイア家傍系のマリー・ジャンヌ・ド・サヴォワ=ヌムール(サヴォワ=ヌムール家)と再婚し、のちにサルデーニャ王となるヴィットーリオ・アメデーオ2世をもうけた。