フリードリヒ・フォン・アンハルト=デッサウ

フリードリヒ・フォン・アンハルト=デッサウ(Friedrich von Anhalt-Dessau, 1769年12月27日 - 1814年5月27日)は、ドイツアンハルト=デッサウ侯爵(1807年より公爵)家の世継ぎ公子。アンハルト=デッサウ公レオポルト3世とその妻でブランデンブルク=シュヴェート辺境伯フリードリヒ・ハインリヒの娘であるルイーゼの間の一人息子。

フリードリヒ・フォン・アンハルト=デッサウ
Friedrich von Anhalt-Dessau
アンハルト=デッサウ公世子

出生 (1769-12-27) 1769年12月27日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
アンハルト=デッサウ侯領、デッサウ
死去 (1814-05-27) 1814年5月27日(44歳没)
アンハルト=デッサウ公国、デッサウ
配偶者 アマーリエ・フォン・ヘッセン=ホンブルク
子女 アウグステ
レオポルト4世フリードリヒ
ゲオルク
パウル
ルイーゼ
フリードリヒ・アウグスト
ヴィルヘルム
家名 アンハルト=デッサウ家
父親 アンハルト=デッサウ公レオポルト3世
母親 ルイーゼ・フォン・ブランデンブルク=シュヴェート
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生涯

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フリードリヒは1786年にプロイセン軍に入隊し、後に元帥の称号を得ている。また1805年にはデッサウにキューナウ(Kühnau)公園を建設している。フリードリヒが父の死の3年前に亡くなったため、長男のレオポルト4世が祖父の後を継いだ。

1792年6月12日にバート・ホンブルク・フォア・デア・ヘーエにおいて、ヘッセン=ホンブルク方伯フリードリヒ5世の娘アマーリエ(1774年 - 1846年)と結婚し、間に7人の子女をもうけた。