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ブランコ・ラスティグBranko Lustig, 1932年6月10日 - )は、クロアチア出身の映画プロデューサー

ブランコ・ラスティグ
Branko Lustig
ブランコ・ラスティグ Branko Lustig
2009年撮影
生年月日 (1932-06-10) 1932年6月10日(87歳)
出生地 Flag of Yugoslavia (1918–1941).svg ユーゴスラビア王国(現・クロアチア)・オシエク
職業 映画プロデューサー
活動期間 1955年 - [1]

ユーゴスラビア王国(現・クロアチア)・オシエクユダヤ人の家に生まれる。第二次世界大戦中、ナチスによってアウシュヴィッツ、次いでベルゲン・ベルゼン強制収容所に収容される。戦後、彼と母親は解放されたものの、父親や祖母など多くの親族が犠牲になった。また、解放時、彼の体重はわずか66ポンドしかなかったという[2][3]

1955年ザグレブの映画製作会社に就職し、映画製作の仕事を始める[1]1988年に渡米[1]

1993年、『シンドラーのリスト』を製作、第66回アカデミー作品賞を受賞するなど高い評価を受けた。自身も冒頭シーンにウェイター役で出演している。2000年、『グラディエーター』でも第73回アカデミー作品賞を受賞した。

2000年代は主にリドリー・スコット監督作品をプロデュースしている。

主なフィルモグラフィー編集

脚注編集

  1. ^ a b c Hollywoodska večer za Branka Lustiga” (Croatian). Vjesnik (2007年4月20日). 2008年7月10日閲覧。[リンク切れ]
  2. ^ Moj put od logora do Hollywooda” (Croatian). Gloria (2009年5月25日). 2011年10月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月21日閲覧。
  3. ^ U Hollywoodu održana večer posvećena Branku Lustigu” (Croatian). Jutarnji list (2007年4月19日). 2008年7月10日閲覧。

外部リンク編集