プラークリット
プラークリット(サンスクリット: Prākr̥tam, प्राकृतम्, シャウラセーニー語: pāuda, アルダマーガディー語: pāua)は、中期インド・アーリア語とも言い、おおむね10世紀以前に使われていた、サンスクリットに対して俗語的なインド・アーリア諸語の総称。具体的にはパーリ語、マーガディー(マガダ語)、アルダ・マーガディー(半マガダ語の意味)、マーハーラーシュトリー(マハーラーシュトラ語)、シャウラセーニー、アパブランシャ、ガーンダーリー(ガンダーラ語)などを指す。ジャイナ教の経典に用いられたプラークリットはジャイナ・プラークリットと呼ぶ。
プラークリット | |
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話される地域 | 北インド |
言語系統 | インド・ヨーロッパ語族 |
ISO 639-2 / 5 | pra |
ISO 639-5 | pra |
ブラーフミー文字ははじめプラークリットを書くのに用いられた。
名称
編集「プラークリット」という語の意味にはいくつかの説がある[1]。
- サンスクリットを基礎(prakr̥ti)として生じた言語。伝統的にはこの説をとることが多い。
- (サンスクリットが人工的に洗練された言語であるのに対して)自然に発達した言語。
- 民衆の言語。
「プラークリット」が具体的にどの言語を指すかは文献によって異なるが、もっとも広い意味では中期インド・アーリア語と同じ意味に用いられる。この記事でも両者を同じ意味に用いる。
歴史
編集プラークリットは通常3つの時期に分けられる。
- 初期プラークリット
- 中期プラークリット
- 後期プラークリット
- アパブランシャと呼ばれる。6世紀ごろから文学で使われるようになった。「アパブランシャ」とはサンスクリット語で「崩れた」を意味する。
特徴
編集サンスクリットとの違いのおおまかな傾向は、言語によっても異なるが以下のようになる。
音韻的変化
編集- 母音は ai au が消滅し(e o になる)、また aya → e、ava → o のような変化が起きた。
- r̥, l̥ は消滅して通常の母音になった。
- 閉音節で長母音は短くなった。このため、サンスクリットにはない短い e o が出現した。
- サンスクリットにあった3つの歯擦音 ś ṣ s の区別が消滅した。
- ḍ, ḍh は母音間で弱化して ḷ, ḷh に変化した。
- 子音結合は、重子音または同器官的鼻音+子音を除いて大部分が消滅した(隣接する子音への同化・脱落・母音挿入などによる)。
- 語末子音は大部分が脱落した。
- y, w はしばしば j, b に合流した。
- パーリ語にはあまり見られないが、時代が進むにつれて母音間の閉鎖音・破擦音が弱化し、無声音の有声化、接近音化、さらには脱落が起きた。マーハーラーシュトリーではこの傾向がいちじるしい。
形態的変化
編集演劇プラークリット
編集プラークリットは、インド古典劇でも利用され、サンスクリットと併用された。このようなプラークリットは演劇プラークリットと呼ばれる。インドの古典劇において、サンスクリットはバラモン・王・学者・大臣・将軍等高級軍人などの男性、及び第一王妃、大臣の娘、尼僧、高級娼婦などが使用した。これに対してプラークリットは婦人・子供・地位の低い男性が用いた。
演劇プラークリットには、シャウラセーニー語、マハーラーシュトリー語、マーガディー語の三種類があり使い分けされた。通常劇では、サンスクリットとシャウラセーニーが利用され、シャウラセーニーを利用する登場人物が韻文を使う時はマハーラーシュトリーが利用された。マハーラーシュトリーは抒情詩にも利用された。マーガディーは極めて地位の低い男性に用いられた。このように、同一劇の中で3種類のプラークリットが使い分けられた。なお、演劇用プラークリットは劇中に登場する、劇中言語としての口語であって、劇が作成された時代(3世紀から10世紀頃)にあって、実際の日常生活の口語ではなかった。元は口語だったが、インド古典劇の時代にあっては演劇専用口語言語として“文語化”していたものと推測されている。
シャウラセーニーは中北インド地方で前五世紀に利用された口語との説があり、中世にはカリー・ボリー語となり、現代のヒンドゥスターニー語、パンジャーブ語等へと発展した。マーガディーはマガダ地方の口語(インド東部・ベンガル・ネパール地方)、シャカが用いた言葉との説があり、アショーカ王の勅令で利用された言語で、現代のビハール語、ベンガル語、オリヤー語などの祖語となった。マハーラーシュトリー語は前500年頃から後500年の間の1000年間利用され、北はマールワー、ラージプート、南はクリシュナ川、トゥンガバドラー川付近で使われていた。現代のシンハラ語、マラーティー語、コンカニ語の祖語となった。
脚注
編集- ^ 辻直四郎「インドの言語と文学」『辻直四郎著作集』 4巻、法蔵館、1982年、56頁。ISBN 4831832049。