プロスチェヨフチェコ語: Prostějovチェコ語発音: [ˈproscɛjof]ドイツ語: Proßnitz)とは、チェコオロモウツ州にある都市である。今日では服飾産業と軍事基地の所在で知られている。

Prostějov
Radnice (Prostějov- czech republic).jpg
市庁舎
Prostejov prapor.png
Flag
Prostejov CoA CZ.png
Coat of arms
Czech Republic
オロモウツ州
プロスチェヨフ郡
コミューン プロスチェヨフ
Hloučela, Romže
標高 223m (732ft)
面積 46.58 km² (17.98 sq mi)
人口 46,436 (2006-10-02)
人口密度 997 /km² (2,582 /sq mi)
初出 1141
首長 Jan Tesař
等時間 CET (UTC+1)
 - 夏時間(DST) CEST (UTC+2)
郵便番号 796 01
ウィキメディア・コモンズ: Prostějov
統計: statnisprava.cz
ウェブサイト: www.mestopv.cz/

地理編集

プロスチェヨフは上モラビア谷チェコ語版の北端に位置し、国内では東部に位置している。町の西側ではドラハン高地ドイツ語版が隆起している。しかし町自体は平坦で、僅かな標高差しか見られず、その標高は212mから262mとなっている。

歴史編集

町の存在は1141年には確認されており、Prostějoviceの名で小さな集落として現れ、その名はプロスチェイ(Prostěj)卿に由来するとされている。12世紀に出版された町に関する最古の文献記録ではこの地を「ハナー英語版エルサレム」とも称されると記している。

1918年に至るまで、プロスニッツはハプスブルク君主国の下にあり、モラビアに34あったBezirkshauptmannschaftenの一つであった[1]。プロスニッツの旧名は19世紀末まで用いられた。

観光地編集

市の古くからある観光地の一つが聖十字教会で、アウグスティヌス派聖堂参事会英語版の教会を14世紀末に建て替えた物である。その他にはプロスチェヨフ城がペルンシュティーン広場にあり、これは16世紀初めにルネサンス建築で建てられ、20世紀初頭に改築され、イタリア人建築家のカスペル・クネウスによる門も作られた。ズグラッフィートの装飾も城にはあるが、これはヤノ・コフレルによる物である。玄関の上には有名な一文、Hanák tade bode do skonání světa...(ハナーは時の終焉まで生きるだろう…)が記されている。1520年代から1530年代にかけてのイタリア人建築家によるルネサンス建築はかつての市庁舎にも見られる。この建物は1538年に完成し、その入口には市章が刻まれている。そして現在ではプロスチェヨフ博物館として使われている。今日、町の文化的、共同体的中心となっている建物は国民の家英語版であり、1905年から1907年にかけて建てられたこの建物は、ヤン・コチェラ英語版の作であり、チェコ・アール・ヌーヴォー様式で作られている。コチェラに加えて、画家のフランチシェク・キセラ、彫刻家のスタニスラフ・スチャルダ英語版、カレル・ペトルが彫刻を施している。町の中心には新しい市庁舎が建っており、これは1911年から1914年にかけて軍事小屋を取り払い、K.H.ケプカによって、歴史主義建築でかつ内装にアール・ヌーヴォーの要素も含みつつデザインされて作られた物である。正面側は彫刻家のV・プレスキーによって、右側はマチェイ・レイセク英語版のレリーフがあり、これはヤン・トリースカ英語版によって、左側はエトムント・フッサールに捧げられたレリーフがボフミル・テプリーによってそれぞれ装飾された。他には1714年に作られた、作者不詳の聖母マリアと三位一体の柱英語版バロック建築で作られたネポムクのヨハネ教会、聖ピエトロ及びパウロ教区教会、聖コンスタンティン及びメソジスト教会などが挙げられる。

この町は歴史に生きているだけではない。5月の初めには、ディスコダンスフォーメーション及びディスコショーフォーメーションチェコ共和国及び世界選手権とブレイクダンス欧州選手権が行われる。1957年以来、町ではウォルクルフ・プロスチェヨフと言う詩の祭典が行われている。9月には3日間に及ぶプロスチェヨフ・ハナー祭りが行われ、国内で最大のハナーの合唱や民芸フェアが実施されている。

人物編集

行政区画編集

プロスチェヨフは七つの部分に分けられる。

参考文献編集

  1. ^ Die postalischen Abstempelungen auf den österreichischen Postwertzeichen-Ausgaben 1867, 1883 und 1890, Wilhelm KLEIN, 1967

外部リンク編集