ベルビュー航空210便墜落事故
ベルビュー航空210便墜落事故は、2005年10月22日にナイジェリアで発生した航空事故である。ムルタラ・モハンマド国際空港からンナムディ・アジキウェ国際空港へ向かっていたベルビュー航空210便(ボーイング737-2L9)が離陸直後に墜落し、乗員乗客117人全員が死亡した[1]。
ミッドウェー航空での運用中に撮影された事故機(1987年) | |
事故の概要 | |
---|---|
日付 | 2005年10月22日 |
概要 | 原因不明、制御の喪失 |
現場 |
ナイジェリア オグン州 リサ 北緯6度48分43秒 東経3度18分19秒 / 北緯6.81194度 東経3.30528度座標: 北緯6度48分43秒 東経3度18分19秒 / 北緯6.81194度 東経3.30528度 |
乗客数 | 111 |
乗員数 | 6 |
負傷者数 | 0 |
死者数 | 117 (全員) |
生存者数 | 0 |
機種 | ボーイング737-2L9 |
機体名 | Resilence |
運用者 | ベルビュー航空 |
機体記号 | 5N-BFN |
出発地 | ムルタラ・モハンマド国際空港 |
目的地 | ンナムディ・アジキウェ国際空港 |
飛行の詳細
編集事故機
編集事故機のボーイング737-2L9は機体記号5N-BFNとして登録されており、愛称はResilenceだった。1981年に製造番号22734として製造され、マースク航空に納入された。総飛行時間は55,772時間で、36,266サイクルを経験していた。直近の検査は2004年12月28日から2005年2月12日にかけてロイヤル・エア・モロッコの施設で行われていた[2][3][1][4]。
乗員乗客
編集210便には乗員6人と乗客111人が搭乗していた。その多くはナイジェリア人で[5]、その他少なくともガーナ人が10人、イギリス人が2人、ドイツ人と南アフリカ人、アメリカ人、マリ人が1人ずつが含まれていた[6][7][8]。また、乗客には西アフリカ諸国経済共同体の副議長であるシェイク・ウマル・ディアッラも含まれていた[9][10]。
機長は2004年10月にベルビュー航空へ入社した男性だった。総飛行時間は13,429時間で、ボーイング737では1,053時間の経験があった。ベルビュー航空への入社前は、イマニ・アビエーション、オカダ・エア、ガス・エア、カボ・エアなどに勤務していた。機長は1992年から2004年までの12年間、パイロットとしての乗務を行っていなかった。機長と乗務した経験のあるパイロットは、彼の技量は十分なものだったと証言した[2]。副操縦士はガーナ人の男性で、彼の妻も事故機に搭乗していた[11][12][13][14]。総飛行時間は762時間で、ボーイング737では451時間の経験があった[2]。航空機関士はコギ州の男性だった[2]。
事故の経緯
編集210便はUTC19時28分に離陸許可を得て、滑走路18Lから離陸した。19時29分、パイロットは悪天候を迂回するため右旋回の許可を求めた。管制官はこれを許可し、210便は右旋回を開始した。19時32分22秒、パイロットはアプローチ管制に「アプローチ、ベルビュー210は右旋回を行い1,600フィート (490 m)を上昇中(Approach, Bellview 210 is with you on a right turn coming out of 1600 (feet))」と伝えた。アプローチ管制は「130を通過したら再度報告してください(Report again passing one three zero.)」と返答した。19時43分46秒、管制官は210便と交信を行おうとしたが、応答はなかった。機体は空港の北14km地点の平野に墜落した[2][1]。墜落現場で略奪が起きていたという未確認の情報も報告された[15][16][17][18][19]。
ナイジェリアの国家緊急事態管理庁が捜索活動を開始した。翌朝、捜索を行っていた警察のヘリコプターがラゴスから400kmほど離れたオヨ州キシの町の近くで機体を発見したという第一報が報じられ、50人ほどが生存している可能性が示唆された。しかし、テレビクルーがオグン州のリサ村付近で機体の残骸を発見したという報告がされた。この報告の後、当局は生存者がいるとの情報を撤回した[2][5][20][21]。
墜落により深さ30フィート (9.1 m)、広さ57フィート (17 m)×54フィート (16 m)のクレーターが生じた。ナイジェリアの赤十字当局は生存者が居ないことを現場で確認した。乗員乗客117人全員が墜落により死亡した[2]。
事故調査
編集ナイジェリアの事故調査局(AIB)が事故調査を行った。事故現場で残骸の約60%が回収されたが、コックピットボイスレコーダーとフライトデータレコーダーは発見されなかった。そのため事故調査は長期に渡り、最終報告書が発表されたのは7年以上経過した2013年2月のことだった。残骸や現場の状況から、機体は高速かつほぼ垂直の状態で地面に激突したと推測された。衝撃により遺体は大きく損傷しており、調査官は爪先と指よりも大きいものは無かったと述べた。
AP通信によれば、機長は長期休暇中に強盗に頭を撃たれていたが、パイロットの職務に復帰していた。機長は14年間農場で働いた後、ベルビュー航空に雇われていた[2][22]。また機長が以前、機材が安全でないと判断し乗務を拒否したため、2週間の飛行停止処分に処されていたという未確認の情報も報じられた[19][23]。その後の調査から、パイロットが使用していたマニュアルには、重要な情報が記載されたページの代わりに空白のページが複数含まれていたことが判明した[2][24]。この事実からアメリカは、ナイジェリア連邦空港局は適切な安全管理や監視を十分に行っていなかったと批判した[25][26][27][28][29][18]。
悪天候
編集調査から事故当時、現場付近には巨大なメソ対流系が存在していたことが判明した。また、ナイジェリア気象庁の衛星画像によれば、ラゴスを含むナイジェリア南西部には降水セルが存在していた。このセルは深夜に発達し、最終的に大きな雲のセルとなっていた。南部の湾岸を覆っていた積乱雲は次第に弱まり、最終的に消滅した。ボーイングの作成した衛星画像上からも、事故現場付近に激しい雷雨が発生していたことが分かった。また、高度15,000フィート (4,600 m)以上では着氷の恐れもあった[2][30]。これらの情報から、事故原因が落雷であるという説が囁かれた[3][28][31][32]。その他の説では、機体が失速して墜落したという可能性も示唆された[33]。
テロ攻撃の可能性
編集クレーターから約100フィート (30 m)離れた地点で、焼け焦げた左側の胴体下部が発見された。焼けた痕跡は機体記号付近に見られた[2][30]。ナイジェリア政府はナイジェリアの国家安全保障局とアメリカの連邦捜査局(FBI)に飛行中に爆発があったかどうかを確かめるよう要請した。FBIは210便の残骸を調査し、火薬などの残留物が付着していないか検査した。検査の結果、残骸からは火薬などの爆発物は検出されなかった[2]。また、当局はテロリストが機体を墜落させたという主張を否定した[34][35][36]。
事故原因
編集AIBは事故原因を特定できなかったが、報告書で事故に寄与したと見られる複数の要因を挙げた。それぞれの要因が事故にどれ程影響したかについての結論は出されなかった[2]。
- 機長の飛行訓練は不十分であった。また、機長は事故前日に長時間の乗務を行っており、疲労していた可能性があった。しかし、事故当時の健康状態は特定できなかった[2]。
- 機体にはいくつもの技術的欠陥があり、飛行を行うような状態ではなかった。ベルビュー航空は適切な保守点検を行っておらず、民間航空局の手順や運用への監視は不十分だった[1][2][31]。
また、AIBは報告書で4つの推奨事項を述べた[2]。
関連項目
編集脚注
編集- ^ a b c d e f g h Ranter, Harro. “Accident description Bellview Airlines Flight 210 - Aviation Safety Network”. aviation-safety.net. Aviation Safety Network. 2020年10月3日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t “Report on the Accident involving Bellview Airlines Ltd B737 200 Reg. 5N BFN at Lisa Village, Ogun State, Nigeria On 22 October 2005”. Accident Investigation Bureau (February 2013). 5 October 2019時点のオリジナルよりアーカイブ。5 October 2019閲覧。
- ^ a b “Nigerian 737 May Have Been Struck By Lightning, Say Authorities”. www.aero-news.net. Aero-News Network. 20 October 2019閲覧。
- ^ “CRASH OF A BOEING 737-200 IN LAGOS: 117 KILLED”. Bureau of Aircraft Accidents Archives. Bureau of Aircraft Accidents Archives. 2020年10月3日閲覧。
- ^ a b “All killed in Nigeria plane crash”. BBC News. (23 October 2005)
- ^ Ago, Autofreakin Steemnaira • 2 Years (22 October 2017). “12th YEAR REMEMBRANCE OF VICTIMS OF BELLVIEW AIRCRASH”. Steemit. 2020年10月3日閲覧。
- ^ “Nigeria mourns plane crash victims”. ABC News. (24 October 2005)
- ^ “Bellview crash manifest NMUpdates”. www.nigerianmuse.com. Nigerian Muse. 8 October 2019閲覧。
- ^ Brandful, William G. M. (2013) (英語). Personal Reflections of a Ghanaian Foreign Service Officer - Whither Ghanaian Diplomacy?. Dorrance Publishing. ISBN 9781480900066
- ^ Clark, Dave. “Nigeria mourns air crash victims” (英語). The M&G Online. 8 October 2019閲覧。
- ^ “Nigeria Air Crash - Ten Ghanaians Dead” (英語). www.ghanaweb.com. 8 October 2019閲覧。
- ^ “Kumbuor Escapes Death” (英語). www.ghanaweb.com. 8 October 2019閲覧。
- ^ Bellview Pilots Allege Coverup of Excessive Flight Hours. (27 October 2005) 8 October 2019閲覧。.
- ^ “Full List of The 117 Passengers On Board The Bellview Air Crash”. The Elites (22 October 2015). 8 October 2019閲覧。
- ^ “Airlines Archives - Page 3 of 3”. naija7wonders.com. Naija 7 Wonders. 8 October 2019閲覧。
- ^ “Nigeria: 117 Perish in Bellview Crash, Stella Obasanjo Dies at 59”. allAfrica (Vanguard). (24 October 2005) 8 October 2019閲覧。
- ^ “Flight 210”. perdurabo10.tripod.com. 8 October 2019閲覧。
- ^ a b “America’s Damning Report on The Rot In Nigeria’s Aviation Sector!” (18 February 2012). 8 October 2019閲覧。
- ^ a b “SCAVENGERS OF THE DEAD RANSACK BELLVIEW AIR CRASH SITE IN NIGERIA”. nigerian-times.blogspot.com. Nigerian Times. 8 October 2019閲覧。
- ^ “Nigeria - where the truth is hard to find”. BBC News. (24 October 2005)
- ^ Vasagar, Jeevan (23 October 2005). “100 feared dead in Nigeria after passenger jet crashes” (英語). The Guardian. ISSN 0261-3077
- ^ Igbokwe, Casmir (26 October 2005). “Faces in Bellview Flight 210 ...plus the heart-breaking story of the pilot”. onlinenigeria.com. Online Nigeria. 8 October 2019閲覧。
- ^ Chima, Ekenyerengozi Michael (27 October 2005). “BELLVIEW AIRLINES HAS FAULTY PLANES”. nigerian-times.blogspot.com. Nigerian Times. 8 October 2019閲覧。
- ^ “The Real Reasons Behind The Dana Air Crash!” (英語). THE STREET JOURNAL (4 June 2012). 8 October 2019閲覧。
- ^ Polgreen, Lydia; Iyare, Tony (24 October 2005). “Plane Crashes in Nigeria; All 117 Aboard Are Probably Dead” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331 8 October 2019閲覧。
- ^ (英語) Country Reports on Human Rights Practices: Report Submitted to the Committee on Foreign Affairs, U.S. House of Representatives and Committee on Foreign Relations, U.S. Senate by the Department of State in Accordance with Sections 116(d) and 502B(b) of the Foreign Assistance Act of 1961, as Amended. U.S. Government Printing Office. (2005)
- ^ Michaels, Daniel (1 October 2007). “How Blunders and Neglect Stoked an African Air Tragedy”. The Wall Street Journal. ISSN 0099-9660 20 October 2019閲覧。
- ^ a b “Bellview Airlines Flight 210 : Jordan Naoum : 9786133998056”. www.bookdepository.com. 20 October 2019閲覧。
- ^ https://training.fema.gov/hiedu/downloads/compemmgmtbookproject/comparative%20em%20book%20-%20chapter%20-%20a%20look%20at%20nigeria's%20burgeoning%20em%20system.doc
- ^ a b “AIRCRAFT ACCIDENT REPORT | 2/2009 (BLV 2005/10/22/F)”. www.saferskiesng.org. Accident Investigation Bureau. 30 May 2016閲覧。
- ^ a b “BellView Flight 210”. www.gamji.com. 20 October 2019閲覧。
- ^ “Nigeria mourns as investigators probe air crash”. www.chinadaily.com.cn. 20 October 2019閲覧。
- ^ “Airline BEB”. www.7jetset7.com. 7 Jet Set 7. 20 October 2019閲覧。
- ^ Etim, Tony Ita (2005年10月26日). “Nigeria: Bellview: Group Claims Responsibility”. allafrica.com. 2020年6月10日閲覧。
- ^ Boadu-Ayeboafoh, Yaw (28 October 2005) (英語). Daily Graphic: Issue 149571 October 28 2005. Graphic Communications Group
- ^ “No. 1273: Death and Responsibility”. www.laits.utexas.edu. 20 October 2019閲覧。