ボンヌ・ダルトワ

ボンヌ・ダルトワBonne d’Artois, 1396年頃 - 1425年9月17日)は、中世フランスの貴族女性。ウー伯フィリップ・ダルトワと、ベリー公ジャンの娘でオーヴェルニュ公領ドイツ語版の女子相続人であるマリーの間の長女。

ボンヌ・ダルトワ
Bonne d’Artois
Portrait of Bonne of Artois.jpg
フランドル派画家が描いたボンヌ・ダルトワの肖像

出生 1396年頃
死去 1425年9月17日
Ancient Flag of Burgundy.svg ブルゴーニュ公国ディジョン
埋葬 Ancient Flag of Burgundy.svg ブルゴーニュ公国シャンモル修道院
配偶者 ヌヴェール伯・ルテルフィリップ・ド・ブルゴーニュ
  ブルゴーニュ公フィリップ3世
子女 シャルル
ジャン
家名 アルトワ家
父親 ウー伯フィリップ・ダルトワ
母親 マリー・ド・ベリー
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生涯編集

1413年6月20日にボーモン=アン=アルトワ(現エナン=ボーモン)において、ヌヴェール伯およびルテルフィリップと最初の結婚をした。夫妻は間に2人の息子をもうけたが、夫は1415年のアジャンクールの戦いで戦死した。

  • シャルル(1414年 - 1464年) - ヌヴェール伯、ルテル伯
  • ジャン(1415年 - 1491年) - エタンプ伯、ヌヴェール伯、ルテル伯、ウー伯

1424年11月30日にムーラン=アンジルベール英語版において、亡夫の甥にあたるブルゴーニュ公フィリップ・ル・ボンと再婚した。ブルゴーニュ公は先妻のフランス王女ミシェルと死別しており、再婚同士の夫婦だった。しかし再婚から10カ月後にボンヌは死去し、ブルゴーニュ公はポルトガル王女イザベルを3番目の妻に迎えた。ボンヌの遺骸はシャンモル修道院に埋葬された。

参考文献編集

  • Detlev Schwennicke: Europäische Stammtafeln. Band II, 1984, Tafel 24 und Band III.1, 1984, Tafel 70