ボーケール (ガール県)
ボーケール (フランス語:Beaucaire、オック語:Bèucaire)は、フランス、オクシタニー地域圏、ガール県のコミューン。
Beaucaire | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | オクシタニー地域圏 |
県 (département) | ガール県 |
郡 (arrondissement) | ニーム郡 |
小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
INSEEコード | 30032 |
郵便番号 | 30300 |
市長(任期) |
ジュリアン・サンシェズ (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes Beaucaire-Terre d'Argence |
人口動態 | |
人口 |
15,274人 (2007年) |
人口密度 | 177人/km2 |
住民の呼称 | Beaucairois/Beaucairoises |
地理 | |
座標 | 北緯43度48分29秒 東経4度38分39秒 / 北緯43.8080555556度 東経4.64416666667度座標: 北緯43度48分29秒 東経4度38分39秒 / 北緯43.8080555556度 東経4.64416666667度 |
標高 |
平均:?m 最低:1m 最高:156 m |
面積 | 86.52km2 (8 652ha) |
公式サイト | Site officiel de la Ville de Beaucaire |
地理
編集ガール県の東県境にあるボーケールは、ローヌ川岸にある。西のニーム、北東のアヴィニョン、南のアルルを3点とした三角形の中心にあたる。プロヴァンス、カマルグ、コスティエール(fr)台地の各地方の交差路にもあたる。ローヌ川を挟んでボーケールと向かい合うのはブーシュ=デュ=ローヌ県のタラスコンで、タラスコンとともに約3万人の都市圏を形成する。
歴史
編集紀元前7世紀頃にまちができた。ボーケールはイタリア=スペイン間をつなぐドミティア街道の都市の一つであった。この時代の名はUgernumであった。
中世、都市の拡大は停滞した。この暗黒時代のボーケールには、災難を避けることができなかった。ボーケールはブルグント、ゴート族、そしてサラセン人に征服された。占領時代に最初の城壁と城ができた。
『美しい石』を意味する地名ボーケールが町の名となった。モンフォール=アモーリー領主にしてアルビジョア十字軍の指揮官であったシモン・ド・モンフォールは、1216年にボーケールを包囲した。
13世紀、ルイ9世が数回ボーケールを訪れた。町は拡大し、人口が増加した。百年戦争やユグノー戦争にもかかわらず、ボーケール商人の富と平行して建築物の栄華と洗練は増幅した。
1579年、ボーケールはラングドック知事モンモランシー=ダンヴィルによって治められていた。彼はカトリック教徒であったがユグノーに寛容であった。町の民衆隊長はジャン・ド・パラベールであった。しかしモンモランシー=ダンヴィルはパラベールを斬首刑にして、街を手に入れるため反乱を引き起こした。ボーケールは、提督ガスパール・ド・コリニーの息子フランソワ2世・ド・コリニーが送った援軍によってユグノー派が制圧した。
17世紀から19世紀、ボーケールのマドレーヌ市は国際的な影響をもたらした。10日間開催されるフランシュ市は、マルセイユ港の1年間の売り上げと同じであった。1789年のフランス革命も、商人の活動を変えることがなかった。
鉄道の敷設、川での水上貿易の衰退が、次第にマドレーヌ市を衰退させた。マドレーヌ市は、見本市の形態の他に闘牛や多様な祭りを含んでいた。いつも7月21日に始まり、月曜日に終了し、少なくとも6日間続けられた。
19世紀終わりから20世紀初頭、大きな価値のある数少ない例が、まちの東側、旧市街をローヌ川の洪水から守るために市街に沿ってつくられた石の壁である。ローヌ・エ・セット運河が掘削されたのもこの時代である。ボーケールがミディ運河に接続された。
経済
編集みどころ
編集姉妹都市
編集ボーケールは以下の都市と姉妹都市協定を結んでいる[2]。
1969年以降姉妹都市となっているファルシエンヌの市長は、2014年4月1日に極右政党(国民戦線)所属の市長がボーケールに誕生したことを理由に、姉妹都市協定を破棄した[3]。
脚注
編集- ^ Italcimenti
- ^ jumellage de Beaucaire
- ^ Sandra Durieux, « Arlon et Farciennes rompent leurs relations avec Hayange et Beaucaire », Le Soir, 31 mars 2014, consultée le Template:1er avril 2014.