ポラリス・インダストリーズ

ポラリス・インダストリーズPolaris Industries)はオフロード系の輸送機器を中心にスノーモービルサイド・バイ・サイド・ビークル全地形対応車三輪自動車ネイバーフッド・エレクトリック・ビークルを製造するアメリカ合衆国のメーカーである。

三輪スポーツカーのスリングショット(2018年)

オートバイインディアン、雪上バイクのティンバースレッド、オフロード系車両のアフターパーツのトランスアメリカンオートパーツ、ボートのボートホールディングスを傘下企業に持つ。

経歴

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1960年代半ばに南極基地で使用されていたスノーモービル

1954年にエドガー・ヘイティーンらによって創立され、1955年に最初のスノーモービルを製造した[1]。1956年に生産ラインをミネソタ州に移した。1960年にはエドガー率いる3人のスノーモービル乗りがベセルからアラスカの荒野を120マイルかけて走破した。

1968年にテキストロンに買収された[1]。またこの年、スノーモービルの「スター」から富士重工業(現SUBARU)製ロビンエンジンを採用[2]。以来30年近くに渡り富士重工業はポラリス唯一のエンジンサプライヤーを務めるようになる[3]

1976年に会社初の水冷エンジンのスノーモービル、そして独立懸架サスペンションのスノーモービルを発売した[1]

1987年に公開会社となった[3]

1992年には水上オートバイの製造を開始したが、2004年に製造中止となった。

1995年から自社内製エンジンも投入するようになり、富士重工業の単独エンジン供給時代は区切りを迎えた[3]。この年初めて売上10億ドルを突破[1]

1997年にオートバイブランドのビクトリー・モーターサイクルを誕生させ、CART/インディ500王者のアル・アンサーJr.がプロモーションに参加した[1]

1999年に初のSxS(サイド・バイ・サイド・ビークル)となるレンジャーを発売した[4]

2005年、KTMの株式の24%を買い付け提携することを発表したが、2006年にKTM・ポラリスともに早期に契約を終了することを発表している。2005年からフランスのエクストリームプラスと関係を持ち、現在までのラリーレイドにおける成功の礎を築いた[5]

2007年、革新的な構造を持つスポーツSxSの「RZR」を発売した[1]

2010年に工場をオセロラからメキシコに移した。

2011年にインディアンを子会社化する。この年、年間売上額は20億ドルに到達[1]

2013年11月に、富士重工業が所有していた自社株(396万株、4億9750万ドル)を、自社の現金及びリボルビング信用枠に基づく借入2億5000万ドルを組み合わせて全て買い戻し、半世紀に渡る関係に終止符を打った[3]。2013年時点でポラリスのスノーモービルやオフロード車の1/4が富士重工業製エンジンを搭載していたが、徐々に内製エンジンへ切り替えていく方向を示した[3]。富士重工業はこの4年後、産業用機器や汎用エンジンの分野から撤退した[6]

2014年、北米以外では初となる工場をポーランドに設立[1]

 
乗用車に混じってローカルラリーに参戦するポラリス・RZR XP1000(2018年スペイン)

2015年に雪上バイクのティンバースレッド社を買収[1]ダカール・ラリーのT3(軽量バギー)クラスでは4年連続勝利を達成した[7]

2016年にトランスアメリカンオートパーツ社を買収[1]

2017年に年間売上50億ドルを突破[1]し、レンジャーは累計生産100万台目に到達[8]。一方でオートバイのビクトリーブランドを製造終了した[9]。この年ダカール・ラリーではUTV(SxS)が部門として独立し、エクストリームプラスからポラリスをドライブしたブラジル人のレアンドロ・トーレスが初代勝者となり[5]、四輪の下位クラスだった2012〜2016年と合わせてT3カテゴリでダカール6連勝を達成した[10]

2018年に4つのボートブランド(ベニントン、ゴッドフリー、ハリケーン、リンカー)を持つボート・ホールディングスを買収[1]

2019年にフリート販売のニーズに合わせて会社を支援する体験会社ポラリス・アドベンチャーズを設立した[11]

製品

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ポラリス・スポーツマン570(2021年)

サイド・バイ・サイド・ビークル

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スポーツSxSのRZR

政府・防衛用モデル

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MRZR(2019年)

スノーモービル

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脚注

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外部リンク

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