インディアナポリス500

アメリカで毎年5月に開催される自動車レース
インディ500から転送)

インディアナポリス500 (Indianapolis 500) は、アメリカ合衆国インディアナ州インディアナポリス市近郊のスピードウェイにあるインディアナポリス・モーター・スピードウェイで毎年5月に開催されるアメリカンモータースポーツイベントである。略称のインディ500 (Indy 500) で呼ばれることもある。

Indianapolis 500
インディカー・シリーズ
開催地 インディアナポリス・モーター・スピードウェイ
初開催 1911
全長 500マイル (805 km)
周回 200
旧名 International Sweepstakes (1911–1915, 1920-1980)
Liberty Sweepstakes (1919)
最多勝利
(ドライバー)
A.J.フォイト (4)
アル・アンサー (4)
リック・メアーズ (4)
エリオ・カストロネベス (4)
最多勝利
(チーム)
ペンスキー (17)
最多勝利
(マニファクチャー)
Chassis: ダラーラ (18)
Engine: オッフェンハウザー (27)
Indy 500(1994年)

概要 編集

 
Panoz G-Force GF09B
(2004年優勝のバディ・ライスのマシン)

インディ500の決勝レースは毎年5月最終月曜日・メモリアルデーの前日の日曜日、すなわち5月24日から30日までの日曜日に開催される。インディアナポリス・モーター・スピードウェイのオーバルトラック1周2.5マイル (約4.023 km) を200周、走行距離500マイル (805 km)で争う。第1回開催は1911年モナコグランプリル・マン24時間レースと並び世界3大レースのひとつに数えられる。近年はモナコGPと同日に開催されることが多くなっている。

世界最速の周回レース 編集

インディ500の周回平均速度は予選で362 km/h、決勝でも354 km/hを超える。これは同じマシンでレースが行われるインディカー・シリーズの中ではもちろん、世界の周回レースカテゴリーの中でも最も速い。また、最高速度は380 km/hに達する。これはF1の瞬間最高速度記録 (372.4 km/h) を上回り、これより速いカテゴリーはドラッグレース (NHRAトップフューエルクラスで 520 km/h超) のような非周回レースに限られる。また、最高速だけであれば一部のプロトタイプカーが400 km/hを超えたこともあった[1]。33台のマシンがテール・トゥー・ノーズ、サイド・バイ・サイドで競り合い、ドラフティング(スリップストリーム)を駆使してオーバーテイクするアメリカンモータースポーツの典型とも言える展開が広がる。

選手権としての位置付け 編集

1950年から1960年までは世界選手権という体裁を整えるためにF1の一戦として組み込まれていた。しかしF1ドライバーの参戦は少なく、ほとんど名目上のものであった[注釈 1]1996年以降はインディカー・シリーズの最大イベントレースとして組み込まれている。

普段のインディカーレースが平均して50万人程度の視聴者数なのに対し、インディ500は500万人以上がTV観戦するほど注目度は高い[2]。現地でも、普段は空席の目立つオーバルに40万人が大挙し埋め尽くす、国民的な大イベントとして存在している。

2014年シーズンから2022年シーズンの決勝レースでは順位に応じて通常与えられるポイントの2倍が与えられていた。

車両 編集

1960年代までのインディ500は、様々なエンジン形式、駆動方式が参加可能であった。1952年ポールポジションを獲得したターボディーゼルエンジン搭載のカミンズ・ディーゼル・スペシャルや1967年英語版1968年英語版に登場したガスタービンエンジン搭載車が有名である。

CARTやインディカー・シリーズなどのオープンホイールレース選手権の1戦に組み込まれるようになると、参戦車両は選手権のレギュレーションに対応したものに変わった。インディ500では「スーパースピードウェイ・パッケージ」と呼ばれる高速オーバル用のエアロパーツが取り付けられる。これは前後共に一枚板構造(シングルエレメント)を持ち、空気抵抗を最小限に抑えることで超高速走行を実現している。

危険性 編集

速度域の高さや接戦の多さから、レース中には事故(クラッシュ)もたびたび発生している。レーシングマシンの安全性が低かった時代には何度か死亡事故も発生しているが、2021年現在、1996年英語版スコット・ブレイトンがインディ500のレーススケジュール中に起きたものでは最後の死亡事故となっている。詳細はインディアナポリス・モーター・スピードウェイでの死亡事故一覧英語版を参照。

伝統 編集

小さなサポートイベントなどを含めると約2週間にわたって行なわれること、予選グリッドの決め方が独特であることや、レース優勝者には牛乳が与えられるなど(下述)、他のレースと異なる「伝統」を持ったレースである。また、準優勝者(二位)には「最も速かった敗者」、初参戦のドライバーで最も活躍した者(基本的には最上位を獲得した者だが、2017年のように途中何度も1位に立ったがリタイアした選手に贈られる場合もある。)には「ルーキー・オブ・ザ・イヤー」の称号が与えられる。また、決勝の順位ごとに賞金が与えられるほか、「決勝1周目をトップで通過したドライバー」、「最後に予選を通過したドライバー」など、さまざまなケースのボーナス賞金がある。

ボルグワーナー・トロフィー 編集

インディ500の優勝トロフィーとして「ボルグワーナー・トロフィー」がある。このスターリングシルバー製トロフィーのチェッカーフラッグ状の壁面にはインディ500の歴代優勝者全員の顔を立体的にかたどったレリーフが埋め込まれ、それぞれ下のブロックに優勝者の氏名・開催年・優勝者の決勝レースにおける平均速度(マイル毎時 (mph))が刻まれている。トロフィーという名称ではあるが優勝者が持ち回りで所有できるわけではなく、また約153ポンド (69.4 kg) という重さのため持ち上げることもできない。普段はIMS内のミュージアムに展示されていて、インディ500決勝日にヴィクトリーレーンに飾られるモニュメント的な存在である。インディ500優勝者にはトロフィーの壁面に自分の顔のレリーフを埋め込む権利、決勝レースの翌日にトロフィーと一緒に写真を撮る権利が与えられ、後日ボルグワーナー・トロフィーを模したミニトロフィーが授与される(こちらは永久保持が可能)。1935年に制作されてから82年間、アメリカ国外に出たことがなかったが、2017年佐藤琢磨が優勝したことを記念した日本での凱旋ツアーのために史上初めて国外に出ることとなった。

大会日程 編集

インディ500は5月中旬に開幕し、練習走行・予選・決勝レースなどのレースプログラムと、サイン会やパレードなどの観客向けイベントが約3週間に渡って開催される。期間中にはインディカー・シリーズの公式戦である「グランプリ・オブ・インディアナポリス」やインディ・ライツの「フリーダム100」といったレースイベントも開催される。以下は例年行われるレース関連行事である。

ルーキー・オリエンテーション・プログラム (ROP) 編集

いわゆるルーキーテストのことで、4月中旬または下旬に行われるオープンテスト初日に行われるが、ここでクリアできなかった選手やオープンテスト以後にエントリーした選手向けにレーススケジュール中のプラクティス初日の最初にも行われる場合がある。初出場のドライバーや長らくオーバルでのレースに出場していないドライバー(「リフレッシャー」と呼ばれる)が対象となっていて、これに合格しないとインディ500への出走が認められない。インディ500では常に350 km/h (217 mph) 以上の巡航速度でレースが進むため、極端に遅いマシンはレースの妨げになり大変危険である[注釈 2]。そこでコースレイアウトに慣れることと、安定したペースで周回を重ねられるようになることが主な到達目標に据えられている。細かい部分は年によって異なるが、目標となる平均速度毎にいくつかの「フェーズ」が用意され、それらを1つずつクリアしていく方式がとられる。

練習走行 編集

5月第3週の火曜日から金曜日に行われる自由練習期間。前半は概ねマシンセッティングの確認が行われる。後半は予選に向けたハイペース走行や、決勝を意識したスリップストリームを使う練習が行われる。特に最終日の金曜日は"ファストフライデー"と呼ばれ、この日のトップタイムを記録したドライバーには賞金が贈られる。

予選 編集

5月第3週の土曜日、及び翌日曜日の2日間で行われる(2001-2009年などは4日間)。複雑な方式によって行われるため、それについては下記の予選方式にて解説する。

カーブ・デイ 編集

決勝レース2日前、金曜日 (2004年までは木曜日) 午前に1時間だけ行われる最終練習。予選を通過した33台すべてが決勝レース用のセッティングを施してコースに入り、ドラフティングを利用しながらレースを想定した練習走行をする。カーブ・デイとはカーブレーション・デイの略であり、かつて決勝レースの前にカーブレーター=キャブレターを調整できる最後の時間であったためにこの名がついた。また、この日の正午過ぎにフリーダム100が開始される。午後には一部のドライバーと担当ピットクルーがピット作業の速さを競う「ピットストップ・コンテスト」が行なわれる。

予選方式 編集

インディ500の予選方式は何度か変更されているが、2022年現在はおおむね以下の方式によって行なわれている[3]

基本事項 編集

  • 予選通過枠は33台、スターティンググリッドは3台✕11列。
  • 予選1日目を土曜日、2日目を日曜日に行う。
  • ドライバーは1回の計測(アテンプト)で4周走行し、その平均速度が参照される。
  • 予選2日目が雨のためセッションが行われない場合、順延されず1日目の上位12台の順位で確定されるが、ラストチャンス・クオリファイは翌日以降に順延される。

ドライバー交代 編集

インディ500では、予選と決勝でドライバーを交代させることができる。これは、予選が「決勝に進出するドライバーではなくマシンを選ぶ」という理念に基づくものであることによる。1960年代までのようにヨーロッパのF1選手権シリーズとの間での人的交流が盛んだった時代には、このシステムを利用して「予選を通過したマシン」に決勝だけ乗り込むF1ドライバーも稀ではなかった。ただし、ドライバー交代が行われたシャシーはグリッドが最後尾に降格する。2台以上で交代があった場合、選手権ポイントが少ない方が最後尾につく。

予選1日目 編集

予選1日目でまず30位までの決勝進出者が決定する。エントリーする全ての選手が最低1回のアテンプトを行い、その暫定順位によって以下のように振り分けられる。

  • 1位-12位:予選通過確定、予選2日目進出
  • 13位-30位:予選通過、及び予選順位確定
  • 31位以下:予選2日目のラストチャンス・クオリファイへ

1日目は予選時間中であれば、回数に制限なくアテンプトを行える。1回目は前日のくじ引きにより決まった順番にアテンプトする。2回目以降のアテンプトに臨む際は、直前に記録されたタイムを取り消すか残すかを選択できるが、取り消した選手が優先的に出走でき、取り消して再アテンプトする選手がいない場合に限り、取り消さない選手の再アテンプトが可能となる。 なお、エントリーが33台以下で予選落ちが発生しない場合は、1日目で予選13位-33位の予選順位が確定し、予選2日目の「ラストチャンス・クオリファイ」は行われない。

予選2日目(ポール・デイ) 編集

予選2日目は、3つのセッションが行われる。予選2日目に参加する選手は前日の記録はすべてリセットされる(暫定順位は保存される)ため、再びアテンプトを行う必要がある。なお予選上位12台にはこの日確定した順位をもとに選手権ポイントが与えられる。

  • トップ12・クオリファイ
    • 前日の予選1位から12位の選手を対象に、順位の低い選手から一度だけアテンプトを行い、上位6台がファスト・シックスに進出。7-12位の選手は予選順位が確定する。
  • ラストチャンス・クオリファイ
    • 31番手から33番手のスターティング・グリッドを確定させるセッションが行われる。予選1日目の暫定予選順位31位以下の選手を対象に、参加選手中、1巡目は金曜日のくじ引きの早い順に一度アテンプトを行い、その後は制限時間中であれば再アテンプトは可能だが、その場合直前に出した記録は必ず取り消される。最終的に平均速度が速い順位で31位 - 33位(参加者中上位3台)の選手が予選通過、34位以下は予選落ちとなる。なお、前日30位以上の選手より速い記録を出しても、31位以下からのスタートとなる。
  • ファスト・シックス
    • ファスト・シックスではポール・ポジションから6番手までのスターティング・グリッドが確定する。トップ12・クオリファイの1位から6位の選手を対象に、順位の低い選手から一度だけアテンプトを行う。

歴代優勝者 編集

優勝者 車体・エンジン チーム/オーナー レース距離[歴代 1]
マイル
平均時速[歴代 2]
マイル毎時 (mph))
1 1911年英語版   レイ・ハルーン[歴代 3] マーモン英語版 マーモン 500 74.602
2 1912年英語版   ジョー・ドーソン ナショナル ナショナル・モーター・ビークル 78.719
3 1913年英語版   ジュール・グー[歴代 3] プジョー プジョー 75.933
4 1914年英語版   ルネ・トーマ[歴代 3] ドラージュ英語版 ドラージュ 82.474
5 1915年英語版   ラルフ・デパルマ メルセデス E.C Patterson 89.840
6 1916年英語版   ダリオ・レスタ プジョー プジョー 300[歴代 4] 84.001
1917年・1918年: 第一次世界大戦の影響により開催されず
7 1919年英語版   ハウディ・ウィルコックス プジョー I.M.S Corporation 500 88.050
8 1920年英語版   ガストン・シボレー フロンテナック ウィリアム・スモール・カンパニー 88.618
9 1921年英語版   トミー・ミルトン ルイ・シボレー 89.621
10 1922年英語版   ジミー・マーフィー デューセンバーグミラー英語版 ジミー・マーフィー 94.484
11 1923年英語版   トミー・ミルトン ミラー H. C. S.モーターカンパニー 90.545
12 1924年英語版   ローラ・L・コラム
  ジョー・ボイヤー[歴代 5]
デューセンバーグ 98.545
13 1925年英語版   ピーター・デパオロ 101.127
14 1926年英語版   フランク・ロックハート[歴代 3] ミラー ピーター・クライス 400(雨) 95.904
15 1927年英語版   ジョージ・サウダース[歴代 3] デューセンバーグ ウィリアム・S・ホワイト 500 97.545
16 1928年英語版   ルイス・メイヤー ミラー アルデン・サンプソン2世 99.904
17 1929年英語版   レイ・キーチ M. A. Yagle 97.585
18 1930年英語版   ビリー・アーノルド サマーズ・ミラー ハリー・ハルツ 100.448
19 1931年英語版   ルー・シュナイダー スティーブンス英語版・ミラー B. L. シュナイダー 96.629
20 1932年英語版   フレッド・フレイム ウェッタロス英語版・ミラー ハリー・ハルツ 104.144
21 1933年英語版   ルイス・メイヤー ミラー ルイス・メイヤー 104.162
22 1934年英語版   ビル・カミングズ H. C. ヘニング 104.863
23 1935年英語版   ケリー・ペティロ ウェッタロス・オッフェンハウザー英語版 ケリー・ペテイロ 106.240
24 1936年英語版   ルイス・メイヤー スティーブンス・ミラー ルイス・メイヤー 109.069
25 1937年英語版   ウィルバー・ショウ ショウ英語版・オッフェンハウザー ウィルバー・ショウ 113.580
26 1938年英語版   フロイド・ロバーツ ウエッタロス・ミラー ロウ・ムーア 117.200
27 1939年英語版   ウィルバー・ショウ マセラティ ボイル・レーシング 115.035
28 1940年英語版 114.277
29 1941年英語版   フロイド・デイビス
  マウリ・ローズ[歴代 6]
ウェッタロス・オッフェンハウザー ロウ・ムーア 115.117
1942年~1945年: 第二次世界大戦の影響により開催されず。
30 1946年英語版   ジョージ・ロブソン アダムス・スパークス Thorne Engineering 500 114.820
31 1947年英語版   マウリ・ローズ デート英語版・オッフェンハウザー ロウ・ムーア 116.338
32 1948年英語版 119.814
33 1949年英語版   ビル・ホランド 121.327
34 1950年   ジョニー・パーソンズ カーティス英語版・オッフェンハウザー カーティス 345(雨) 124.002
35 1951年   リー・ワラード Murrell Belanger 500 126.244
36 1952年   トロイ・ラットマン クズマ英語版・オッフェンハウザー Christopher J.C. Agajanian 128.922
37 1953年英語版   ビル・ブコビッチ カーティス・オッフェンハウザー ハワード・ケック 128.740
38 1954年英語版 130.840
39 1955年英語版   ボブ・スウェイカート ジョン・ジンク 128.209
40 1956年   パット・フラハーティ ワトソン英語版・オッフェンハウザー 128.490
41 1957年   サム・ハンクス エパリー・オッフェンハウザー Geoge Salih 135.601
42 1958年   ジミー・ブライアン 133.719
43 1959年   ロジャー・ウォード ワトソン・オッフェンハウザー Leader Cards 135.875
44 1960年   ジム・ラスマン Ken-Paul 138.767
45 1961年英語版   A.J.フォイト Bignotti-Bowes Racing 139.130
46 1962年英語版   ロジャー・ウォード Leader Cards 140.293
47 1963年英語版   パーネリー・ジョーンズ Christopher J.C. Agajanian 143.137
48 1964年英語版   A.J.フォイト Ansted-Thompson Racing 147.350
49 1965年英語版   ジム・クラーク ロータスフォード チーム・ロータス[歴代 7] 150.686
50 1966年英語版   グラハム・ヒル[歴代 3] ローラ・フォード メコン・レーシング・チーム 144.137
51 1967年英語版   A.J.フォイト コヨーテ・フォード Ansted-Thompson Racing 151.207
52 1968年英語版   ボビー・アンサー イーグル・オッフェンハウザー Leader Cards 152.882
53 1969年英語版   マリオ・アンドレッティ ブラウナー・ホーク英語版・フォード STP英語版 156.867
54 1970年英語版   アル・アンサー PJコルト・フォード ヴェルズ・パーネリ・ジョーンズ・レーシング 155.749
55 1971年英語版 157.735
56 1972年英語版   マーク・ダナヒュー マクラーレン・オッフェンハウザー ペンスキー・レーシング 162.692
57 1973年英語版   ゴードン・ジョンコック イーグル・オッフェンハウザー オール・アメリカン・レーサーズ 332.5(雨) 159.063
58 1974年英語版   ジョニー・ラザフォード マクラーレン・オッフェンハウザー マクラーレン[歴代 7] 500 158.589
59 1975年英語版   ボビー・アンサー イーグル・オッフェンハウザー A.J.フォイト・エンタープライゼス英語版 161.331
60 1976年英語版   ジョニー・ラザフォード マクラーレン・オッフェンハウザー マクラーレン 255(雨) 148.725
61 1977年英語版   A.J.フォイト コヨーテ・フォイト A.J.フォイト・エンタープライゼス 500 161.331
62 1978年英語版   アル・アンサー ローラ・コスワース シャパラル・レーシング 161.363
63 1979年英語版   リック・メアーズ ペンスキー・コスワース ペンスキー 158.899
64 1980年英語版   ジョニー・ラザフォード シャパラル・コスワース シャパラル・レーシング 142.862
65 1981年英語版   ボビー・アンサー ペンスキー・コスワース ペンスキー・レーシング 139.084
66 1982年英語版   ゴードン・ジョンコック ワイルドキャット・コスワース STPパトリック・レーシング 162.029
67 1983年英語版   トム・スニーバ マーチ・コスワース Bignotti-Cotter 162.117
68 1984年英語版   リック・メアーズ ペンスキー 163.612
69 1985年英語版   ダニー・サリバン 152.982
70 1986年英語版   ボビー・レイホール トゥルースポーツ英語版 170.722
71 1987年英語版   アル・アンサー ペンスキー 162.175
72 1988年英語版   リック・メアーズ ペンスキー・シボレー 144.809
73 1989年英語版   エマーソン・フィッティパルディ ペンスキー・シボレー パトリック・レーシング 167.581
74 1990年英語版   アリー・ルイエンダイク ローラ・シボレー ダグ・シアソン・レーシング英語版 185.981
75 1991年英語版   リック・メアーズ ペンスキー・シボレー ペンスキー 176.457
76 1992年英語版   アル・アンサーJr. ギャルマー・シボレー ギャレス・クラコ・レーシング英語版 134.477
77 1993年英語版   エマーソン・フィッティパルディ ペンスキー・シボレー ペンスキー 157.207
78 1994年英語版   アル・アンサーJr. ペンスキー・メルセデス 160.872
79 1995年英語版   ジャック・ヴィルヌーヴ レイナード・フォード チーム・グリーン 153.616
80 1996年英語版   バディ・ラジアー ヘメルガーン・レーシング英語版 147.956
81 1997年英語版   アリー・ルイエンダイク Gフォースオーロラ(オールズモビル) トレッドウェイ・レーシング英語版 145.827
82 1998年英語版   エディ・チーバーJr. ダラーラ・オーロラ チーバー・レーシング英語版 145.155
83 1999年英語版   ケニー・ブラック A.J.フォイト・エンタープライゼス 153.176
84 2000年英語版   ファン・パブロ・モントーヤ[歴代 3] Gフォース・オーロラ チップ・ガナッシ・レーシング 167.607
85 2001年英語版   エリオ・カストロネベス[歴代 3] ダラーラ・オーロラ ペンスキー 153.601
86 2002年英語版   エリオ・カストロネベス ダラーラ・シボレー 166.499
87 2003年英語版   ジル・ド・フェラン パノスGフォース・トヨタ 156.291
88 2004年英語版   バディ・ライス パノスGフォース・ホンダ レイホール・レターマン・レーシング 450(雨) 138.518
89 2005年英語版   ダン・ウェルドン ダラーラ・ホンダ アンドレッティ・グリーン・レーシング 500 157.603
90 2006年英語版   サム・ホーニッシュJr. ペンスキー 157.085
91 2007年英語版   ダリオ・フランキッティ アンドレッティ・グリーン・レーシング 415(雨) 151.774
92 2008年英語版   スコット・ディクソン チップ・ガナッシ・レーシング 500 143.567
93 2009年英語版   エリオ・カストロネベス ペンスキー 150.318
94 2010年英語版   ダリオ・フランキッティ チップ・ガナッシ・レーシング 161.623
95 2011年   ダン・ウェルドン ブライアン・ハータ・オートスポート英語版 170.265
96 2012年   ダリオ・フランキッティ チップ・ガナッシ・レーシング 167.734
97 2013年   トニー・カナーン ダラーラ・シボレー KVレーシング・テクノロジー 187.433
98 2014年英語版   ライアン・ハンター=レイ ダラーラ・ホンダ アンドレッティ・オートスポーツ 186.563
99 2015年英語版   ファン・パブロ・モントーヤ ダラーラ・シボレー チーム・ペンスキー 161.341
100 2016年英語版   アレクサンダー・ロッシ[歴代 3] ダラーラ・ホンダ アンドレッティ・オートスポーツ 166.634
101 2017年   佐藤琢磨 155.395
102 2018年英語版   ウィル・パワー ダラーラ・シボレー チーム・ペンスキー 166.935
103 2019年英語版   サイモン・パジェノ 175.794
104 2020年英語版[歴代 8]   佐藤琢磨 ダラーラ・ホンダ レイホール・レターマン・ラニガン・レーシング 157.824
105 2021年英語版   エリオ・カストロネベス メイヤー・シャンク・レーシング英語版 190.690[歴代 9]
106 2022年英語版   マーカス・エリクソン チップ・ガナッシ・レーシング 175.428
107 2023年英語版   ジョセフ・ニューガーデン ダラーラ・シボレー チーム・ペンスキー 168.193
  1. ^ (雨)は降雨によって途中で打ち切られたレース。
  2. ^ 太字はその時点での最速記録。ただしインディ500ではフルコースコーション中も周回数が数えられるため、実際のレーシングスピードは記録を上回る。
  3. ^ a b c d e f g h i インディアナポリス500における「ルーキー・ドライバー」による優勝。
  4. ^ 1916年のレースはレース距離300マイルとして開催。
  5. ^ 1924年のレースでは、ローラ・L・コラムがスタートさせた車をレース途中でジョー・ボイヤーが引き継ぎ優勝したため、両名が優勝者として扱われている。
  6. ^ 1941年のレースでは、フロイド・デイビスがスタートさせた車をレース途中でマウリ・ローズが引き継ぎ優勝したため、両名が優勝者として扱われている。
  7. ^ a b 1965年のチーム・ロータスと1974年のマクラーレンは、同年にF1コンストラクターズタイトルも獲得している。
  8. ^ 2019年コロナウイルス感染症の影響により8月23日に延期し、無観客開催。
  9. ^ 平均レース時速最速記録。

記録 編集

予選速度の変遷 編集

レース 編集

  • 最多ポール・ポジション - リック・メアーズ/6回 (1979年, 1982年, 1986年, 1988年, 1989年, 1991年)
  • 最高レース平均速度 - 190.690 mph (306.885 km/h)/エリオ・カストロネベス (2021年)
  • 最高予選速度(1周) - 237.498 mph (382.216 km/h)/アリー・ルイエンダイク (1996年)
  • 最高ファステストラップ - 236.103 mph (379.971 km/h)/エディ・チーバー (1996年)
  • 最多ラップリード - 198周 (3 - 200周目)/ビリー・アーノルド (1930年)
  • 優勝ドライバーの最少ラップリード - 1周/ダン・ウェルドン (2011年)
  • 最多リーダー人数 - 15人 (2017年, 2018年)
  • 最多リードチェンジ - 68回 (2013年)
  • 1位と2位の最小タイム差 - 0.043秒/1位:アル・アンサーjr, 2位:スコット・グッドイヤー (1992年)
  • 最大ポジション上昇 - 32 (38番手スタートから6位フィニッシュ)/ジーク・メイヤー (1932年)

ドライバー 編集

  • 最年少優勝 - トロイ・ラットマン/22歳80日 (1952年)
  • 最年少出走 - A・J・フォイト4世/19歳0日 (2003年)
  • 最年長優勝 - アル・アンサー/47歳360日 (1987年)
  • 最年長出走 - A・J・フォイト/57歳128日 (1992年)

勝利数 編集

回数 ドライバー
4   A・J・フォイト 1961年、1964年、1967年、1977年
  アル・アンサー 1970年、1971年、1978年、1987年
  リック・メアーズ 1979年、1984年、1988年、1991年
  エリオ・カストロネベス 2001年、2002年、2009年、2021年
3   ルイス・メイヤー 1928年、1933年、1936年
  ウィルバー・ショウ 1937年、1939年、1940年
  マウリ・ローズ 1941年、1947年、1948年
  ジョニー・ラザフォード 1974年、1976年、1980年
  ボビー・アンサー 1968年、1975年、1981年
  ダリオ・フランキッティ 2007年、2010年、2012年
2   トミー・ミルトン 1921年、1923年
  ビル・ブコビッチ 1953年、1954年
  ロジャー・ウォード 1959年、1962年
  ゴードン・ジョンコック 1973年、1982年
  エマーソン・フィッティパルディ 1989年、1993年
  アル・アンサーJr. 1992年、1994年
  アリー・ルイエンダイク 1990年、1997年
  ダン・ウェルドン 2005年、2011年
  ファン・パブロ・モントーヤ 2000年、2015年
  佐藤琢磨 2017年、2020年

連勝 編集

2連勝したドライバーが5名いる(3連勝以上したドライバーは存在しない)。

他カテゴリとの間の記録 編集

モナコグランプリル・マン24時間レースと関係する記録は世界三大レースを参照のこと
アメリカ合衆国の他カテゴリと複数制覇
ドライバー インディ500優勝 CART/インディカー・シリーズチャンピオン デイトナ500優勝 デイトナ24時間レース優勝
  ジミー・ブライアン 1958年 1956年、1957年
  ロジャー・ウォード 1959年、1962年 1959年、1962年
  A・J・フォイト 1961年、1964年、1967年、1977年 1960年、1961年、1963年、1964年、
1967年、1975年、1979年
1972年 1983年、1985年
  ボビー・アンサー 1968年 1968年、1974年
  マリオ・アンドレッティ 1969年 1965年、1966年、1969年、1984年 1967年 1972年
  アル・アンサー 1970年、1971年、1978年、1987年 1970年、1983年、1985年 1985年
  マーク・ダナヒュー 1972年 1969年
  ゴードン・ジョンコック 1973年、1982年 1976年
  ジョニー・ラザフォード 1974年、1976年、1980年 1980年
  リック・メアーズ 1979年、1984年、1988年、1991年 1979年
  トム・スニーバ 1983年 1977年、1978年
  ダニー・サリバン 1985年 1988年
  ボビー・レイホール 1986年 1986年、1987年、1992年 1981年
  エマーソン・フィッティパルディ 1989年、1993年 1989年
  アル・アンサーJr. 1992年、1994年 1990年、1994年 1986年、1987年
  ジャック・ヴィルヌーヴ 1995年 1995年
  バディ・ラジアー 1996年 2000年 (IRL)
  ケニー・ブラック 1999年 1998年 (IRL)
  ファン・パブロ・モントーヤ 2000年、2015年 1999年 (CART) 2007年、2008年、2013年
  ジル・ド・フェラン 2003年 2000年、2001年 (CART)
  ダン・ウェルドン 2005年、2011年 2005年 (IRL) 2006年
  サム・ホーニッシュJr. 2006年 2001年、2002年、2006年 (IRL)
  ダリオ・フランキッティ 2007年、2010年、2012年 2007年 (IRL)、2009年、2010年、2011年 2008年
  バディ・ライス 2004年 - 2009年
  トニー・カナーン 2013年 2004年 (IRL) 2015年
  スコット・ディクソン 2008年 2003年 (IRL)、2008年、2013年、2015年、
2018年、2020年
2006年、2015年
  ライアン・ハンター=レイ 2014年 2012年
  ウィル・パワー 2018年 2014年
  サイモン・パジェノ 2019年 2016年 2022年
  エリオ・カストロネベス 2001年、2002年、2009年、2021年 2021年、2022年
  アレキサンダー・ロッシ 2016年 2021年

ゲームソフト 編集

日本では、1968年に関西精機製作所(Kasco)からエレメカゲームの「インディ500」がリリースされている。また、トミー(現:タカラトミー)から1997年5月23日にプレイステーション用ゲームソフトとして「Indy500」がリリース、セガからもアーケードゲームとして「インディ500」がリリースされている。

日本との関係 編集

日本以外では、インディ500にアジアの国が関わった例はほとんどないため[注釈 3]、「日本初」としている記録はたいてい「アジア初」となる。

ドライバー 編集

1991年のヒロ松下の初参戦以降、2017年までに計10名の日本人ドライバーが挑戦している[4][注釈 4]

  • 日本人ドライバー初の完走は1991年にヒロ松下によって記録された(16位[注釈 5])。
  • 日本人ドライバー初のルーキー・オブ・ザ・イヤー英語版[注釈 6]は2003年に高木虎之介によって記録された(5位完走)。翌年、松浦孝亮(11位完走)もルーキー・オブ・ザ・イヤーを授与された。
  • 日本人ドライバー初のリードラップは2003年に高木虎之介によって記録された(2周)。
  • 日本人ドライバー初の優勝は2017年に佐藤琢磨によって記録された。
  • 日本人ドライバー初のフロントローは2020年に佐藤琢磨によって記録された。
  • 日本人ドライバー初の複数回優勝は2020年に佐藤琢磨によって記録された。
  • 日本人ドライバーのポールポジション獲得はまだ無く、予選最上位は2020年に佐藤琢磨によって記録された3位。

以下、参戦ドライバーと決勝順位を記載する。

1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019 2020 2021 2022
ヒロ松下[注釈 7] DNQ 16 DNQ 18 14 10
桃田健史 DNQ
松田秀士 24 15 8 DNQ 10 DNQ
服部茂章 DNQ 20 30
中野信治 14
高木虎之介[注釈 8] 5 19
ロジャー安川[注釈 9] 10 10 18 16 21 DNQ
松浦孝亮 11 17 15 16
武藤英紀 7 10 28
佐藤琢磨 20 33 17 13 19 13 26 1 32 3 1 14 25
色と結果
優勝
2位
3位
4位・5位
6位 - 10位
完走
(11位以下)
リタイア[注釈 10]
予選落ち
(DNQ)

チーム 編集

いずれも現地チームを母体とした提携ではあるものの、スーパーアグリが2004~2006年に「スーパーアグリ・フェルナンデス・レーシング」、2007年に「スーパーアグリ・パンサー・レーシング」として、チーム郷が2020年に「デイル・コイン・レーシング with チーム郷」として参戦した例がある。

日本のチーム・コンストラクターがインディ500用の車両を製作したことはない。

実現に至らなかったものとしては、1960年代のF1の一戦に含まれていた頃に、ホンダが参戦を検討していたことがある[5]

サプライヤー 編集

エンジン供給は、ホンダ(1995年、2003年以降)のほか、過去に日産自動車(1997~2002年;インフィニティ名義)とトヨタ(2003 - 2005年)が行っている。初優勝は2003年にトヨタによって記録された(ドライバーはジル・ド・フェランチーム・ペンスキー)。

エンジン関係では、1987年から1991年にかけてジャッドにより供給されていたエンジンは元々はホンダがインディ500を含むCART参戦用に開発していたエンジンから発展したという経緯を持つという関係がある。

タイヤ供給は、ブリヂストンファイアストン名義で行っている(1995年以降)[注釈 11]

日本インディ 編集

1966年10月、神彰の呼びかけにより、当時のインディ500出走ドライバーを招聘して「日本インディー200マイルレース」(通称「日本インディ」)が富士スピードウェイで開催された[6]

テレビ放送 編集

  • 日本では、地上波ではかつてTBSテレビ朝日で全国ネット生中継、2003年からは日本テレビで後日ダイジェスト放送(関東ローカル)がされていたが、2012年からは放送されていない。衛星放送ではインディカー・シリーズの一戦としてGAORAが生中継している。2019年からはこのほかNHK BS1で当日夜に録画中継。
  • アメリカでは1965年から2018年までABCが毎年生中継をしていて、映画デルタ・フォースのテーマ曲The Delta Force Theme がオープニングや挿入曲として使われていた。2019年よりNBCが生中継を行う[7]

エピソード 編集

優勝者は牛乳を飲む 編集

インディ500では、優勝したドライバーは牛乳を飲むという慣習がある。1933年、ルイス・メイヤーは自身二度目の優勝を飾ったが、レース終了後にバターミルクをリクエストした。ルイス・メイヤーは1936年にも自身三度目の優勝を果たし、この際もバターミルクをリクエストしたが、コップではなくボトルで手渡され、それをそのまま飲んだ。その飲んでいる写真が新聞の記事になり牛乳会社の目に止まった。それ以降優勝者には牛乳が提供されるようになった(1947年から1955年までの間を除く)。

この「ヴィクトリーレーンで牛乳を飲む」という行為にもスポンサー(2017年現在はインディアナ州酪農組合)がついており、仮に牛乳を飲まなかった場合や、飲むのが規定のスケジュールを外れた場合は該当スポンサーからの賞金は与えられない。

なお実際には、通常の成分無調整乳 (whole milk)以外に低脂肪乳 (2% fat milk)、無脂肪乳 (fat-free milk) も選択できる。このため予選通過が決まったドライバーは、優勝時にどれを飲むかを事前に選択することになっており、毎年選択の結果は「Milk List」として公表される[8]。伝統に則りバターミルクをリクエストするドライバーも少なくないが、スポンサーのインディアナ州酪農組合では「メイヤーが飲んだのは、彼の母が作った伝統的なバターミルクだが、現代では同様のバターミルクは入手困難」「伝統的なバターミルクは非常に腐りやすい」の2点を理由として、このリクエストを断っている[9]

この慣習に従わなかったドライバーもいる。ボビー・アンサーは1968年の優勝時にはこれを拒否したが、その後の2回の優勝時には従っている。エマーソン・フィッティパルディは1993年の優勝時に自身がブラジルでオレンジ農園を営んでいるという理由から、牛乳より先にオレンジジュースを飲んでいる[10][11]。このため牛乳を飲むのが規定の時間を外れてしまいスポンサー賞金を受け取れなかったが、後でフィッティパルディが陳謝することで事は収まった。

1998年に優勝したエディ・チーバーは、この「Winner's Milk」を表彰台でボトル2本も飲み干した[12]

「Back home again in Indiana」 編集

オープニングセレモニーの終盤、スタートコマンドの直前に「Back home again in Indiana」の独唱が行われる。セレモニーにおいてアメリカ合衆国国歌よりも後に歌われるこの曲は、インディアナ州の「州歌」と言えるほど有名な曲だが、1946年にジェームス・メルトンが、自分が代表を務める自動車クラブのパレードに合わせて歌ったものがセレモニー内で歌われた最初である。この歌が好評となり、メルトンは1947年以降は招待されてこの歌を歌うようになった。この歌が正式にスタートコマンドの直前に歌われる現在の形に決められたのは、1948年のことである。以降、現在に至るまで何人もの歌手が独唱を披露してきた。

もっとも知られている歌手は、1972年から2014年までの42年間に渡り、36回歌ったカントリー歌手のジム・ネイバースである。2014年、36回目にして最後の歌唱を終えたネイバースは、マリ・ハルマン・ジョージとともにスタートコマンドも行っている。

2017年以降はセレモニーなどでの国歌歌唱を行う歌手ジム・コーネリソン英語版が行っている。

スタートコマンド 編集

レース開始前のエンジン始動の号令(スタートコマンド)「Ladies and gentlemen, start your engines!」は、代々インディアナポリス・モーター・スピードウェイにゆかりのある人物が行ってきた。

もともとはIMSのオーナーだったトニー・ハルマンがアナウンスを行っていたが、トニーは1977年に死去。翌1978年からはトニーの妻のメアリー・フェンドリッチ・ハルマンが行うようになった(1982年のみ、インディアナポリス・モーター・スピードウェイの場内放送アナウンサーだったトム・カーネギーが行っている)。そのメアリーが1998年4月に死去すると、1998年から2015年までトニーとメアリーの娘のマリ・ハルマン・ジョージが引き継いだ。その後2016年はマリが嫁いだハルマン・ジョージ家の家族一同で行い、2017年から2019年まではマリの息子のトニー・ジョージが行った。そして2020年は、新たにIMSのオーナーとなったロジャー・ペンスキーが行っている。

かつてはレースに参加するドライバーは男性ばかりだったので、スタートコマンドは「Gentlemen, start your engines!(紳士諸君、エンジンを始動しなさい)」だったが、女性ドライバーが参加するようになり、「A(One) lady and gentlemen, start your engines!(淑女と紳士諸君~)」と改められ、女性が複数人参加した際にはさらに複数形に改められ、「Ladies and gentlemen, start your engines!」となる。2017年と2018年、ペンスキーが行うようになった2020年以降は性別に関係なく使用できる「Drivers, start your engines!」というスタートコマンドが使われているが、結果的にトニ・ジョージ最後のコマンドとなった2019年は「Lady and gentlemen, start your engines!」に戻された[13]

優勝者にはキルトが贈られる 編集

1976年以降、優勝者には手作りのキルトが贈られている。これは、地元のキルターであり、自らも元女性レーサーであったジャネッタ・ホールダーが手作りしたもの。レースをこよなく愛するホールダーは、レーサーのサインを集めて刺繍(ししゅう)したオリジナルのアップリケキルトを毎年作り、優勝者に贈っている。そのため、彼女は「キルト・レディ」として、レーサーや関係者に親しまれている。 そのうちの一人、数回の優勝経験をもつボビー・アンサーはヘンリー・フォード・博物館(ミシガン州ディアボーン)にキルトを寄贈した。また、アル・アンサーは自ら設立したアンサー・レーシング博物館(ニューメキシコ州アルバカーキー)に授与されたキルトを飾っている。 [14]

チャンピオンリング 編集

他の多くのアメリカンスポーツ同様に、本レースでも優勝者にはチャンピオンリングが授与される。リングの製作は1983年から2016年までは同じインディアナポリスを本拠とする「Herff Jones」が担当していたが、2017年よりミネソタ州の「Jostens」に変更された。なおJostensは、他にもピットストップチャレンジの勝者等に渡されるリングや、主催者が同じNASCARブリックヤード400のチャンピオンリングなどの製作も担当する[15]

優勝者の超過密日程 編集

優勝者は名誉と共に超過密日程をこなす責務を負うこととなる。レース翌日は午前9時から行われる3時間の撮影会の後に優勝者記者会見、午後は5時間に渡って行われるセレモニーイベント「インディ500ビクトリー・バンケット」に出席し、それが終わると休む間もなく 1000 km以上離れたニューヨークへ移動し、僅かな仮眠の後に翌朝はFOX5ニューヨークの「グッデイ・ニューヨーク」とCNBCの「スクワークボックス」に出演、その後はナスダックへ向かい午前9:30の取引開始のベルを鳴らす。更にこの後にはエンパイア・ステート・ビルでメディア向け撮影会をこなした後様々なテレビ、ラジオに出演、その後約 3000 km離れたテキサス州アーリントンへ移動しアメリカを象徴するスポーツチーム、NFLダラス・カウボーイズを表敬訪問し、ここでも数多くの取材をこなす。さらに2012年から2019年および2022年以降はそのまま週末にレースが行われるデトロイトに移動してレースに備えなければならない[16]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ この期間に参戦したF1ドライバーは1952年アルベルト・アスカリ1958年ファン・マヌエル・ファンジオ(エントリーしたが予選に参加せず)くらいである。なお世界選手権から外れた直後の1960年代にはこれよりも多くの参戦例がみられる。
  2. ^ これはインディ500に限らず他のオーバルレースでも同様であり、インディカーシリーズではシリーズに参戦するドライバーに対しROPとは別にルーキーテストを課している
  3. ^ エントリーしたドライバーとしてはフィリピンのライセンスを使用したジョビー・マルセロ(1992年、練習走行中に事故死)、中華人民共和国のライセンスを使用したホーピン・タン(2011年、予選落ち)、アラブ首長国連邦のライセンスを使っているエド・ジョーンズ(2017年初参戦)くらいしか例がない。
  4. ^ 人数には予選落ちして決勝を走っていない桃田健史と日系人のロジャー安川を含んでいる。
  5. ^ 優勝したリック・メアーズから51周遅れ。
  6. ^ メディアの投票によって選出される。いくつかの選出基準があるが、通常はルーキーの中で最上位の順位を記録した者に与えられることが多い。
  7. ^ 本名は松下弘幸だが、競技ライセンスでは「ヒロ松下 (Hiro Matsushita)」をエントリー名としていた。
  8. ^ エントリー名は「Tora Takagi」
  9. ^ アメリカ合衆国生まれ、日本育ちの日系アメリカ人。アメリカ合衆国の競技ライセンスで出走している。
  10. ^ リタイアした場合も周回数に応じて順位が与えられる。そのため、完走したドライバーより上位となることもある。
  11. ^ ファイアストン社はブリヂストンに買収された1988年以前にも、1911年の第1回大会から1970年代までインディ500にタイヤを供給していた。

出典 編集

  1. ^ 6キロの直線「ユノディエール」を体験=ル・マンの風 現地レポートVol.3”. スポーツナビ. 2023年4月22日閲覧。
  2. ^ UPDATED TV Ratings: Indy 500, Coca-Cola 600, Monaco GP
  3. ^ 2022 QUALIFYING FORMAT(英語) - INDYCAR、2022年5月9日閲覧。
  4. ^ 場野守泰 (2017年). “コトバンク - インディ500” (Japanese). コトバンク、朝日新聞出版. 2018年5月20日閲覧。
  5. ^ 幻のHondaインディ計画” (Japanese). 本田技研工業. 2018年5月20日閲覧。
  6. ^ 大久保力・STINGER編集部. “第55回 日本インディは風の又三郎だったのか?!” (Japanese). STINGER. 2018年5月20日閲覧。
  7. ^ 2019シーズンから全戦をNBCが放送 | こちら GAORA INDYCAR 実況室”. 2019年4月20日閲覧。
  8. ^ This Is The 2017 Indy 500 Milk List - BLACKFLAG・2017年5月25日
  9. ^ Why the Indy 500 winner drinks milk, and why it can't be buttermilk - IndyStar・2021年5月24日
  10. ^ インディ500とは? Vol.3
  11. ^ 『インディー500』二玄社、1994年、p.114。
  12. ^ 『Racing On』No.271 ニューズ出版、1998年、p.116。
  13. ^ [1]
  14. ^ "Quilter's Newsletter Magazine" No.421
  15. ^ IMS Shifts Winners Ring Supplier - Inside Indiana Business・2017年5月13日
  16. ^ [2] - インディ500優勝ってどの位凄いの?= 全米の超有名メディアが大挙して取材を求めるレベルに凄い - FORMULA1 DATA 2018年1月9日

関連項目 編集

外部リンク 編集