ポルトガルによる長崎統治
- ポルトガル統治下の長崎
- Ecclesiastical Nagasaki
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← 1580年 - 1587年 →
(国旗) -
公用語 日本語、ポルトガル語 首都 長崎市 - ポルトガル国王
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1580年 - 1587年 フェリペ2世 (スペイン王)
- イエズス会
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1580年 - 1587年 アレッサンドロ・ヴァリニャーノ - 日本準管区長
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1580年 - 1587年 ガスパール・コエリョ - 変遷
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長崎市統治 1580年 豊臣秀吉に返還 1587年
ポルトガルによる長崎統治(ポルトガルによるながさきとうち)または教会領長崎、ポルトガル占領下の長崎とは、1580年(天正8年)から1587年(天正15年)まで、イエズス会によって統治されていた時代の長崎である。この7年間の長崎はポルトガル海上帝国(現在のポルトガル共和国)の地域として扱われていた[要出典]。
概要
編集キリシタン大名だった大村純忠は、日本の寄港地を探していたポルトガル人の希望に応じて、1571年(元亀2年)に長崎を開港地とした[1]。天然の良港だった長崎はポルトガルの寄港地として定着する一方、純忠は周辺大名からの圧迫に苦しむ立場だった[2]。南蛮貿易を保持する目的で、純忠はイエズス会巡察使だったアレッサンドロ・ヴァリニャーノに対して、長崎を同じく領内の茂木とともに会に寄進することを申し出た[2]。これにより長崎の司法権・行政権はイエズス会が持つことになった[2]。
統治下の生活
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日本人奴隷の売買
編集詳細は「ポルトガルの奴隷貿易」を参照
脚注
編集関連項目
編集日本における被占領期