ポロツク県(ポロツクけん、ロシア語: Полоцкая губерния)は、帝政ロシアの県(グベールニヤ)の1つである。1776年に設置され、1796年に廃止された。行政中心地はポロツク(現ポラツク)におかれていた。その領域は現ベラルーシラトビアロシアにまたがる。

県章

歴史 編集

ポロツク県は1776年9月4日に[1]プスコフ県を分割して形成された。行政中心地はポロツクに置かれ、ポロツク(ru)、ヴィテプスク、ドヴィナ(ru)の3つの地区(当時、県の下位区分はプロヴィンツィヤという区分名だった)を管轄した。プロヴィンツィヤ制は後に廃止され、また、人口・面積の均質化を図るために、1777年3月22日に11の郡(ウエズド)に再編された。なお、一時採用されたナメストニチェストヴォ制(エカテリーナ2世が制定)により、1778年1月10日にポロツク・グベールニヤからポロツク・ナメストニチェストヴォへと行政区分名が改正された。このナメストニチェストヴォ制も短期で廃止される(パーヴェル1世が廃止)が、この改編の後、モギリョフ・ナメストニチェストヴォ(ru)(グベールニヤ制におけるモギリョフ県)と合併してベロルシヤ(白ロシア)県となる形で、ポロツク県は廃止された。1796年の人口はおよそ31万8千人だった[2]。なお、ベルロシヤ県は後に再分割され、モギリョフ県は再置されるが、ポロツク県はヴィテプスク県と改称された[3]

行政区分 編集

 
ポロツク県の郡(1792年)
左端の赤より時計回りに、赤:ドヴィンスク郡、緑:レジツァ郡、黄:リュツィン郡、灰:セーベジ郡、薄黄:ネヴェリ郡、青:レペリ郡、緑:ヴェリジ郡、黄:スラジ郡、灰:ヴィテプスク郡、赤:ポロツク郡、青:ドリッサ郡

廃止直前のポロツク県に属していた郡(ウエズド)は以下の12郡である。

ポロツク県の下位区分
行政中心地
ポロツク郡(ru) ポラツク
ヴィテプスク郡(ru) ヴィツェプスク
ゴロドク郡(ru) ハラドク(ru)
ドリッサ郡(ru) ドルィサ
レペリ郡(ru) レペリ
スラジ郡(ru) スラジ(ru)
ドヴィンスク郡(ru) ダウガフピルス
リュツィン郡(ru) Ludza(ru)
レジツァ郡(ru) レーゼクネ
ヴェリジ郡(ru) ヴェリジ
ネヴェリ郡(ru) ネヴェリ
セーベジ郡(ru) セーベジ
[註]
・行政中心地の背景色は、その自治体が現在所属する国を示す(黄:ベラルーシ、青:ラトビア、赤:ロシア)。
・郡名はロシア語に基づく。また、黄:ベラルーシ語、青:ラトビア語、赤:ロシア語に基づく。
・ドルィサは後に改称し、現ヴェルフニャズヴィンスク。

行政の長 編集

出典 編集

  1. ^ Нацыянальныя сімвалы Беларусі. Ад імперыі да рэспублікі
  2. ^ Белорусская ССР: Краткая энциклопедия. В 5-ти т. Т. 1 / Ред. колл.: П. У. Бровка и др — Мн.: Гл. ред. Белорус. Сов. Энциклопедии, 1979. — Т. 1.
  3. ^ Полоцкая губерния // Еврейская энциклопедия Брокгауза и Ефрона