マクシミリアン・アンドレアス・フォン・バーデン
バーデン大公家家長 (1933 - 2022)
マクシミリアン・アンドレアス・プリンツ・フォン・バーデン(ドイツ語: Maximilian Andreas Prinz von Baden, 1933年7月3日 - 2022年12月29日[1])は、ドイツの旧諸侯の1つバーデン大公家の家長(1963年 - 2022年)。儀礼称号としてバーデン辺境伯(ドイツ語: Markgraf von Baden)およびツェーリンゲン公(ドイツ語: Herzog von Zähringen)を名乗る[2]。
マクシミリアン・アンドレアス Maximilian Andreas | |
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バーデン家家長 | |
2017年7月8日 | |
在位 | 1963年 - 2022年 |
全名 |
一覧参照
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出生 |
1933年7月3日 ドイツ国 バーデン共和国 ザーレム ザーレム城 |
死去 |
2022年12月29日(89歳没) ドイツ バーデン=ヴュルテンベルク州 ザーレム城 |
子女 |
一覧参照
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家名 | ツェーリンゲン家 |
父親 | ベルトルト・フォン・バーデン |
母親 | テオドラ・フォン・グリーヒェンラント |
宗教 | キリスト教ルーテル教会 |
サイン |
経歴
編集バーデン大公家家長ベルトルトとその妻のギリシャ王女テオドラ(ギリシャ王子アンドレアスの次女)の間の長男(第2子)としてザーレム城で生まれた。イギリスのエディンバラ公フィリップの甥、チャールズ3世の従兄にあたる。
1963年の父の死に伴い大公家の家督を継承し、1966年にトスカーナ大公家のヴァレリー(フーベルト・ザルヴァトール大公の七女)と結婚した。9月23日にザーレムで民事婚が、9月30日にペルゼンボイク城で宗教婚が行われた。長年にわたりバーデン辺境伯家ワイン醸造所(Weingüter des Markgrafen von Baden)を経営していたが、1998年に長男のベルンハルトに譲って引退した。
子女
編集妻ヴァレリーとの間に3男1女を儲けた。
- マリー・ルイーゼ・エリーザベト・マティルデ・テオドラ・ツェツィーリエ・ザーラ・シャルロッテ(1969年 - ) - 1999年、リチャード・ベーカーと結婚
- ベルンハルト・マックス・フリードリヒ・アウグスト・グスタフ・ルイ・クラフト(1970年 - )
- レオポルト・マックス・クリスティアン・ルートヴィヒ・クレメンス・フーベルト(1971年 - )
- ミヒャエル・マックス・アンドレアス(1976年 - )
脚注
編集- ^ “Haus Baden”. www.haus-baden.eu. 2022年12月29日閲覧。
- ^ Haus Baden, Auszug aus Paul Theroff's Online Gotha
外部リンク
編集ウィキメディア・コモンズには、マクシミリアン・アンドレアス・フォン・バーデンに関するカテゴリがあります。
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