マドレーヌ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ
(マッダレーナ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュから転送)
マドレーヌ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ(Madeleine de la Tour d'Auvergne, 1498年 - 1519年4月28日)は、ウルビーノ公ロレンツォ2世・デ・メディチの妻。フランス王妃カトリーヌ・ド・メディシスの母。
マドレーヌ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ Madeleine de la Tour d'Auvergne | |
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ウルビーノ公妃 | |
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在位 | 1518年 - 1519年 |
出生 |
1498年 |
死去 |
1519年4月28日 フィレンツェ共和国、フィレンツェ |
結婚 | 1518年5月5日 アンボワーズ城 |
配偶者 | ウルビーノ公ロレンツォ2世・デ・メディチ |
子女 | カテリーナ |
家名 | ラ・トゥール・ドーヴェルニュ家 |
父親 | オーヴェルニュ伯ジャン3世 |
母親 | ジャンヌ・ド・ブルボン=ヴァンドーム |
オーヴェルニュ伯及びロラゲ伯ジャン3世と、ブルボン家傍系のジャンヌ・ド・ブルボン=ヴァンドームの娘として生まれた。1518年にロレンツォと結婚するが、翌年、長女カテリーナ(カトリーヌ・ド・メディシス)を出産直後に黒死病に感染して死亡した。1524年、姉アンヌが子供のないまま没すると、オーヴェルニュ伯領とブローニュ伯領は、ラ・トゥール男爵領と同様にマドレーヌの一人娘カテリーナに引き継がれた。